母のこと
今日、八代亜紀さんの訃報を知りました。亡くなられたのは12月30日、享年73歳とのこと。2023年の秋から闘病中により活動休止とは聞いていましたが、活動再開にならなかったのは本当に残念です。 お悔やみ申し上げます。 初めて買ったレコード 『雨の慕情』の…
母がまだ認知症と診断される前だった。母の様子は、盆と正月に帰省した折にしかわからなかったけれど、それでも年々、気になることが増えていった。料理の手順が違ったり、味付けが変になったり、調味料を片付け忘れたり、そんな感じのうっかりが、珍しくな…
我が家のクリスマスについて、母の家計簿で調べました。家計簿は1971年から残っていてで、私が成人になる1985年までをまとめました。 12月24日前後辺りで購入した、クリスマスっぽい物を拾いました。 クリスマスっぽい物の購入歴 クリスマスにケーキを購入し…
今日は母の命日でした。もう4年が経ちました。 このブログを始めて約1年の頃です。 現実を受け止め切れず、しばらくの間、ブログにも母のことを書けませんでした。 母は認知症が進行して施設に入り、晩年は私が誰かもわからなくなっていました。そして、風…
我が家が、初めてブロッコリーを買った日 1985年頃、おかずの定番がカリフラワーからブロッコリーに変わったことを、幾つかの資料を交えて昨日の記事に書きました。 結論的に、ブロッコリー市場は1985年頃から急速に広がり、その一方でカリフラワーを片隅に…
紅白鍋合戦? それは何だろう?と、「今週のお題」ページにあった、紅白鍋合戦2023 - 週刊はてなブログ を見てみた。 チゲ鍋やトマト鍋などのホットな「赤い鍋」と、みぞれ鍋やちゃんこ鍋などの定番の「白い鍋」… なるほど。 我が家定番の鍋、水炊き 白鍋 高…
「30万円」と「高校時代」。二つのキーワードを掛け合わせると、思い当たることが2つあります。 兄のお下がりの学生服を着たり、中学生になっても自転車を買い替えなくていいとか、夜食を作らなくていいとか、自分では家計や家事に協力していると思っていて…
1984年3月30日 みかんととんこつラーメン みかん 受験仲間のA君、Bさんに会いにC市まで、朝、日豊本線で向かう。 手帳に道中のことを記している。 行きの列車でおばあさんにみかんをもらう。 手帳を見るまで、みかんをもらったことは忘れていた。ただ、列…
治りが遅い日々 先日、親不知を抜いた後の経過が今ひとつよくありません。 心配した出血は、うっかり強く噛んでしまった1回だけです。でも、痛みの方は食後に発生することが続き、痛み止め薬を毎日、朝、夕と飲んでいます。今日は、試しに朝食後の痛みを我…
私の高校では、男子は学生服が標準服とされていました。 詰襟部分に校章バッジをつけていた記憶もあります。 学生服 イメージ 学生服は中学入学以降、高校卒業までの6年間着ていました。高校入学時に買い替えたのかは不明ですが、身長も伸び盛りの頃なので…
大きな新高(にいたか)梨 知り合いからもらった新高梨を4個、実家に持って帰りました。 一番大きいのを測ってみると高さ約12cm、直径約15cmでした。重さ1kg超。 新高梨 横から撮影 煙草の縦が約8.5cm 新高梨 上から撮影 煙草の縦が約8.5cm 高さ15cm…
「国立大は無理だそうだ」への疑問 1982年5月16日の母の家計簿にはこう記されていました。私が高2の時です。 (私の)学級会へ主人に行ってもらった。個人面接があったそうで国立大は無理だそうだ。 これには少なからず驚きました。高2の担任の先生は、「国…
私が高1の時、母が学校で聞いたこと 過去記事に、こう書いています。 高1(15歳)の初めての三者面談。私、母、学級担任で進路相談をした。将来の夢とともに国公立大学進学の希望を話したら笑われた。一字一句までは憶えていないが「あはは。まあ、夢が大…
1985年3月16日の母の家計簿。日記欄にこうありました。 大学合格。やっと安心した。電報を待つ気持ちのつらかったこと。嬉しかった。 え?!合格の電報?何のこと?!衝撃でした。 実は、以前のブログにはこう書いています。 受験の結果だけを書けば、大学の…
帰省する度に小さくなる母のわがまま少しは聞いてあげたい メモによると、この歌を詠んだのは2000年5月15日。私34歳。母63歳。母に励まされてきた私が、母を励まさなければと感じ始めた頃でした。 歌の背景 2000年のGW前、土曜日の仕事を休んで5連休にして…
編み物をしたことはありますか? 高校2年の晩秋、編み物の世界を知りたくて、マフラーを編んでみたことがあります。初めての挑戦でしたが、少しは冬を暖かくすごせるかもと夢は大きかったです。 実は、きっかけは某科学雑誌の記事でした。 「編み物は2進法…
この記事は「 お茶と水と清涼飲料水。そしてペットボトル(1) 」の続きです。 お茶系無糖飲料の広がり 缶入りお茶の功績 お茶系無糖飲料の広がり 缶入りお茶の功績 (2)お茶を楽しむスタイルの変化 (※ 水についての結論) ミネラルウォーターの躍進と水…
1951年、14歳で母に会う 誕生日の度、生まれた1965年から時代を逆に生きていたらと考えるようになって、ある時、母や父に会えないだろうかと思いました。同じ年齢になった時にだけ会えるというルールを決めてイメージしました。ちなみに母は1937年(昭和12年…
実家に帰省してから、ほぼ毎日、食事を作っています。 調理のミス 親子丼を作っていて、砂糖と塩を間違えてしまったことがあります。実家では、普段の調理でもグラニュー糖を使うことがあり、その感覚で塩を入れてしまったのです。 親子丼には塩?砂糖? 高…
高校時代のお弁当 もう40年程も前ですが、母に作ってもらっていた高校時代のお弁当を紹介します。お弁当については、以前、記事にしたこともあるので、今回は少し趣向を変えました。 主食、主菜、副菜、卵焼き、デザートの5部門での5選です。 イラストにす…
もう45年ほども前の話です。確か、私が小2の冬休み中、ずいぶん寒い日のことでした。 滅多に仕事を休まない母が、高熱で仕事を休むことになりました。自分で電話をかけたら仮病と思われるかもしれないとのことで、私が母の職場に電話をかけた記憶がありま…
終末医療についてはいろいろな考えがあります。最期を迎える場所のみならず、どんな最期を迎えるかも大切な視点。それは個人個人で違うでしょうが、大切なのは「その人らしい」最期を迎えたい、迎えさせてあげたいという思いでしょう。 でも、「人らしさ」と…
前回、私がツレ(連れ合い)のお父さん(以下、ツレ父)の自宅に介護に入っている近況を書きました。 ツレ父が自宅を選んだ理由 私の母が入院しか選べなかった理由 どちらが良いかで比べない ツレ父が自宅を選んだ理由 ツレ父のがんが見つかった時点で既にス…
「ハンバーグ作るから手伝って。」と母から声がかかる。 小学5年頃からの定番の手伝いは、高校生になっても続いていた。 母の言うには、私に手伝ってもらわないと、いつもの味にならないとのこと。 手伝いは、決まってニンジンをすりおろすことから始まる。 …
「仕事と子育てが縒(よ)り合わさって私がある(2)」の「母の職場に行くことは度々あった」の続きです。 母の職場に行くことは度々あった 職場の人から教わったこと 板ガラスを切るのを見る 板ガラスを切る さしを使ってマジックで線を引く 母の職場との…
「仕事と子育てが縒(よ)り合わさって私がある(1)」の「内職をしながら遊ぶ」の続きです。 女性はいつの時代でも「仕事も子育ても」だった 女性はいつの時代でも「仕事も子育ても」だった 内職をしながら遊ぶ ベルトの穴でできた丸くずで遊ぶ 造花作り …
思いつくままに「仕事」と「子育て」の関係性を考えてみました。 今の私は、親の仕事からいろんな影響を受けていると思っています。仕事と子育て二つが私を支えているというより、二つが縒(よ)り合わさって糸となり、布となり今の私を覆ってくれている感じ…
母が亡くなった時のことを少しずつでも書き残しておきたいと思っているのですが、なかなか書けないでいます。書こうとすると、それ以外のことが次から次へと思い出されて、まとまりません。 そこで先に、大切な人が亡くなった時のことを書いておくことにしま…
昨年末、母が亡くなってから、もう2カ月が経ちました。早いものです。 なかなか自分の中で受け止めきれないままにいますが、宙ぶらりんな気持ちで居続けるのも不義理な気がして、何かしらの区切りをつけなくてはと思い始めているところです。 何から書いた…
私の場合、高校になってから、弁当になりました。小中学校は給食(土曜日は帰宅してから弁当)でした。そんなこともあって、高校時代、弁当を自分で作るという発想も、技術も無く、毎日、母に作ってもらった弁当を持って行きました。(後に学食を利用するこ…