tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

高校時代のお弁当5選と偉大な母

高校時代のお弁当

もう40年程も前ですが、母に作ってもらっていた高校時代のお弁当を紹介します。お弁当については、以前、記事にしたこともあるので、今回は少し趣向を変えました。

主食、主菜、副菜、卵焼き、デザートの5部門での5選です。

イラストにするとこんな感じ。

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印象に残っているお弁当のおかず5選

①豚そぼろといり卵の2色弁当

②豚みじん切りの照り焼き

ブロッコリー

④卵焼き

⑤缶詰のさくらん

なお、実際に豚そぼろと豚の照り焼きが一緒になっていることはなかったです。また、いつも5品があったわけでもありません。先に5部門を決めて、そこに一品ずつ選びました。

 

 

主食 豚そぼろといり卵の二色弁当

主食(ご飯)の上にはたいてい、梅干し、たくあん、昆布の佃煮、ふりかけ、でんぶなど何かが載っていました。

 

一番贅沢なのはウナギのかば焼きでしたが、これは当時まだうなぎが安く手に入ったからでしょう。それでも、特別の素材でした。でも、何回か目のときに、せっかくのウナギがお弁当だとすっかり冷えてもったいない、温かいのを夕食で食べたいと母に話しました。ただ、たれの染み込んだご飯は食べたいと面倒なことを言って、夕飯でかば焼きを食べたら、翌日にウナギのかば焼きのたれだけ入り弁当になったこともあります。

 

というわけで、ウナギは選外とし、豚そぼろといり卵の二色弁当を選びました。

 

母がいり卵を作るとき、牛乳と砂糖とだし汁を少し加えていました。ずっと前は、塩も入れていましたが、塩と砂糖の量を間違ったことがあって、間違い防止のために塩は使わないように頼んだのです。

 

母の豚そぼろは、ショウガが効いています。ショウガは毎回、手ですりおろしたばかりのせいか、香りが立っていたように思います。食べるときにショウガの繊維が口に残ることもありましたが、ショウガを楽しみたい気持ちが強かったので、それもありってことにしていました。

  

主菜 豚みじん切りの照り焼き

 同じようなおかずを牛肉で作ってくれたこともあるのですが、冷えた牛肉は脂のぼそぼそ感に抵抗があって、牛肉を使わないように話したことがあります。

 

そぼろとは違う照りと脂身が魅力。こちらもショウガが効いていて飽きが来ない味。刻んだ玉ねぎが入っていることもありましたが、無い方が好み。刻みネギが載っていることもありましたが、無い方が好みでした。

 

副菜 ブロッコリー

 茹でたブロッコリーが定番になる前は、カリフラワーが多かったです。ただ、母としては彩が良いという理由で、私としてはカリッとした食感が好きで、ブロッコリーを選ぶようになりました。茹で過ぎないように気をつけてとよく母に言っていました。ちょっとした火加減で食感が大きく変わることを教えてくれた食材です。

 

ブロッコリーには、マヨネーズが定番。上のイラストではトッピングになっていますが、お弁当箱の蓋が汚れてしまいます。その蓋に学校で用意してくれたお茶を入れるので抵抗があり、程なくブロッコリーの下にマヨネーズを敷くスタイルにしてもらいました。

 

卵焼き

 お弁当の定番メニュー、卵焼き。イラストでは、エノキ入り、味付け海苔を一緒に巻いたもの、ネギ入りを並べていますが、一度に3種類は並びません。ただ、いろんなものを巻いてくれたことが目にわかるように描きました。いつも同じ卵焼きだと飽きてくると母は言っていました。それは食べる私ではなく、作る母の気持ちだったようです。

 

そぼろのいり卵と同じ下ごしらえをして、卵焼き器に流し込みます。その上に食材を載せ、熱加減を見ながら、卵を巻き、空いたスペースに残りの卵液を加えて、ふんわりと仕上げる母の姿を何度も見ました。とても簡単そうに見えます。

 

でも、自分で作ってみると簡単にはできません。加熱具合、巻き具合には慣れや熟練が必要です。未だに納得できる卵焼きは滅多につくれず、大抵、形が整わなかったり、焦げたりしてしまいます。

 

デザート 缶詰のさくらん

私のお弁当にデザートの果物が入っていることが多かったのには、理由がありました。上で紹介した記事、お弁当 - tn198403s 高校時代blog から引用します。

幼少時代には、肉嫌い、魚嫌い、野菜嫌い、だった私は、母をずいぶん困らせていました。果物か乳製品以外は、食べるのに時間がかかったり、残したりの毎日だったそう。(中略)いつも家には果物の缶詰がいろいろありました。

(中略)

切り分けたりんご等であれば、入っていても問題はないのですが、缶詰のみかんやさくらんぼ、黄桃等だと、揺られて潰れ、汁が弁当箱の包み布にまで染み出すことがありました。時には教科書にまで染み込んだことも。そして、缶詰の果物を入れてくれていた母の気持ちも考えずに、汚れたことに文句を言ったこともありました。今、考えれば、何とも自分勝手な話です。

また見た目の彩のために使っていたとも思います。

 

缶詰では、さくらんぼがお気に入りでした。

 

余談ですが、さくらんぼの柄を口の中で結ぶことがクラスで少し話題になったことがありました。実を食べ、種を出した後、歯や舌を器用に動かして結びます。小学校の頃にできていたので、自慢気にやってみせると「キスの練習をしているのか」と言われショックを受けたことがあります。感受性の強い頃です。「そんなことはない」と強い口調で言うと「むきになって、ますます怪しい」とも言われたような。

検索してみると、そんな話も確かにあったようで、まったくのでたらめでもなかったのかとびっくりです。

 

母のお弁当の特徴

お弁当の彩

母のお弁当は彩が鮮やかだった印象があります。

緑ならブロッコリーを筆頭に、グリーンピース、インゲン豆、アスパラガス、ほうれんそうのおひたし等。ピーマンは少なかったと思います。

黄色なら、卵焼きを筆頭に、半分に切った皮つきミカン、缶詰(ミカン、パイナップル黄桃等)、コーン、たくあん。ウズラの卵を切っていたことも。

赤なら、トマト、皮をウサギ風に残したリンゴ、缶詰のさくらんぼ、ニンジン、ハム、赤いウインナー、ケチャップ利用(蓋につかないよう下に敷く)

 

コーンとインゲン豆のバター炒めはよく食べました。

当時はあまり気にしていませんでしたが、自分で調理をするようになってから、彩への配慮って意外と手間だと知りました。

 

冷凍食品、お惣菜

高校入学当初、冷凍食品を保存できる冷蔵庫ではなかったので、冷凍食品とはしばらく無縁でした。

(↓我が家の冷蔵庫事情に触れた記事)

冷凍保存ができる冷蔵庫になってからも、母は、冷凍食品を避けていたようでした。その例外がギョーザ、シューマイ、カニクリームコロッケなどでした。

 

出来合いの惣菜類を使うことも少なかったと思います。記憶にあるのは、豆の煮もの(金時豆が多い)、ポテトサラダくらいでしょうか。

 

酢の物も自分で作ってました。柑橘類を絞った酢を使ったり、出汁をとった後の煮干しが入っていたり。きゅうりの酢の物が主流で、彩にタコやカニカマを使うこともありました。

 

今更ながら、母は凄かった

あ、そうそう、カニカマを入れた卵焼きもありました。崩したのだったり、ごろっと入ってたり。その他、ミニちくわに切ったきゅうりやチーズを押し込んだのや、かんぴょうで巻いた昆布の煮もの、天ぷら、からあげも母が作ってました。

ウズラの卵も朝、茹でていました。冬、茹でる前のウズラを3つ拝借して、石油ストーブの上にアルミ箔の簡易フライパンを作り、目玉焼きにしたこともありました。三つ目の目玉焼きはそうそう食べれないなんて言いながら、朝食のおかずにしたのを思い出しました。

 

うわぁ、こう一つ一つ思い出してみると、母のお弁当はかなり手が込んでいますね。あらためてびっくりです。母、凄いです。なんで、今まで、気づかなかったんだろう?というか、思い出そうとしなかったんだろう?

 

記憶に強く残ってるお弁当から5選して記事を書き始めてちょっと後悔。

脳の奥底に沈殿していた記憶に、今になって水流がきて、巻き上がった感じです。

豪華な食材は無かったけれど、何とも手間暇がかかった贅沢なお弁当でした。

その後、母は一日会社で仕事をし、帰ってから夕飯を作っていたのです。

今更ながら、私はずっと呑気でいたのだと知りました。母に感謝です。

 

  

今週のお題「お弁当」