tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

母の家計簿から(1)大学合格の電報

1985年3月16日の母の家計簿。日記欄にこうありました。

大学合格。やっと安心した。電報を待つ気持ちのつらかったこと。嬉しかった。

え?!合格の電報?何のこと?!衝撃でした。

 

実は、以前のブログにはこう書いています。

受験の結果だけを書けば、大学の合格通知は一通も手にすることなく終わっている。二浪はしないと決めていたので、かなり落ち込んだ。ただ、本命の第2志望の学科であれば、定員割れが生じた場合に繰り上げ合格の可能性があるとのことだった。

記憶が大混乱しました。

確かに、大学の正式な合格通知とは別に、学生の自治会が行っていたFAXの合否電報を申し込んだ記憶はあります。遠方の受験生は大学に張り出された合格者の受験番号を見に行くことができないので、大学生が代わりに見て合否を電報で送ってくれるというものです。でも、電報はイラスト付きで「残念。不合格」という旨の内容だったと記憶していました。

 

しかし、母が家計簿にこんな嘘を書くはずがありません。

 

どゆこと?と、しばし記憶をたどります。

で、思い出しました!

「残念。不合格」は、私がもらった電報ではなく、大学入学後に知り合った人の物でした。電報の内容が間違っていたと憤慨しながら見せてくれたのです。イラストの目が×印になっていたと思います。それを自分の電報として記憶を書き換えてしまったのでしょう。

 

母の文章を見て、もらった電報には、合格の文字があってイラストはニコニコの目、その下に(ただし、第二志望)と書かれていたような気がしてきました。

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大学の合否電報 イメージ

父に聞くと、地元の新聞の大学合格者欄に私の名前が載っていたとのこと。新聞を見た親戚の人から合格を祝う電話があったようです。そう言えば、新聞に名前が載っていたのを自分で確かめたような気もします。どういう経緯で新聞に載っていたのかは不明ですが、別の大学を受験した友人の名前も見た気がしてきました。

 

でも、正式な大学の通知には、不合格と書かれていたはずです。その下に第2志望は定員割れの場合に合格と書いていたと思うのです。一方で、定員割れの場合に合格というのなら、現場の大学生にそれがわかるはずがなく、合格電報は出せないはず。どうにもつじつまが合いません。

 

あっれぇええええ????

 

以前のブログには

程なくして、繰り上げ合格の電話が鳴った。もちろん、それを受け入れた。というか、受け入れるしかなかった。

と書きましたが、第2志望の合格は通知にも書いてあったのかも。大学からの1回目の電話は繰り上げ合格ではなく、第2志望でも入学希望があるかの確認だったのかも。

 

でも、それだと

ところが、数日後にまた電話が鳴った。淡々と「先日、繰り上げ合格の話をしたのですが…」と切り出され、まさかの合格取り消しかと心臓が止まりそうになったが、結局、第1志望の学科でも定員割れが生じたので切り替えるかという話だった。もちろん受けた。

と書いた太字部分の記憶も違っていたことになります。

まったくもって、記憶とはいい加減なものです。

 

こんな記事を書いたことがあります。

ちょっと長いですが、そのまま引用します。

刑事ドラマなんかで、容疑者や参考人を質問攻めにして、何とか記憶を引き出そうとしてる内に「思い出したよ、刑事さん!」とかいうシーン、よくありますよね。あれ、このブログを書くまで、(そんなに、都合よく思い出せるものじゃないだろう?)とあまり信じてませんでした。

 

でも、小さな記憶を丁寧に思い出すことを繰り返している内、不意にタイムスリップして、まるで今その場に居るんじゃないかと思うくらい、いろんな記憶が鮮明になる瞬間があります。よく似た画像が並びそれを立体視するときのように、ピタッと焦点が合う感じ。ただ問題なのは、だからといってその記憶が正しいかどうかは別ということ。無意識の内に、記憶を勝手に作ってしまった上、さも、それが当然の事実のように感じてしまうのです。

この感じです。

本当に細かい部分まで憶えていることがあります。それがそのまま正しかったということがある反面、細かな部分まで間違って記憶していることもあります。

記憶ってある意味、厄介です。

だからこそ、記録の大切さなのでしょう。

 

ところで今気になるのは、第2志望合格の電報を見た時、私はどんな反応をしたのだろうか、母はどんな反応をしたのだろうかということです。

 

私が誤って記憶していた理由を考えれば、第2志望合格を否定的に感じていたと思われます。高3、一浪で受験した大学にことごとく落ち、かろうじて残った第2志望の合格を素直に喜んでいたなら、「大学の合格通知は一通も手にすることなく終わっている。」と記憶しなかったでしょう。

 

母の「大学合格。やっと安心した。電報を待つ気持ちのつらかったこと。嬉しかった。」との文章に驚いた後、とても申し訳ない気持ちになりました。合格電報を見た時の母の記憶がないのです。母がどれだけ心配してくれていたか、合格電報でどれだけ安心してくれたか、私は気にも留めずいたことになります。

 

そんな訳で、今週のお題「復活してほしいもの」は、大学の合否電報、大学からの不合格(第2志望合格)通知です。加えて、それを見た時の母や父の反応も見たいです。今更ながら、受験の苦労を自分だけのことに思っていたと気づきました。もっと早く、それに気づけていたら、高校時代を灰色に思わずにすんだのかも知れません。知らず知らず、高校時代を灰色に塗っていたのは私自身だった気がしてくるのです。

 

母の家計簿に感謝です。

 

(2)へ続く。

 

今週のお題「復活してほしいもの」

 

※なお、この記事は、今年の5つの話題宣言

の中の「4.母の家計簿から」にあたる最初の記事です。