昨年末、母が亡くなってから、もう2カ月が経ちました。早いものです。
なかなか自分の中で受け止めきれないままにいますが、宙ぶらりんな気持ちで居続けるのも不義理な気がして、何かしらの区切りをつけなくてはと思い始めているところです。
何から書いたものかーー。考えあぐねている内に、高校時代に収まり切らなくてもいいから書いてみようと決めました。
振り返ってみれば、小さい頃から、かなり自由気ままに生きて来た気がします。それでも、そんなに母に甘えたとか、わがままを言ったとは思っていません。むしろ、大人びて可愛げの無い子どもだったように思えます。
日付がわかる一番古い母との記憶は、3歳になる1日前のことです。
「Nちゃん(私の呼び名)は、明日、3つになるんだよ。」
「いくつになったって聞かれたら、3つと言って、手をこうするんだよ。」
と、3本の指を立てて見せてくれました。でも、それが思いの外難しいのです。二本なら力を入れることなく簡単にできるのに、どうしても三本立たすことが上手くできません。
その内、私が親指で小指を押さえられていないことに気づいた母は、手の平で私の親指と小指をそっと覆いました。
「こうして、この指を伸ばして。」
と、薬指を引っ張られて初めて、薬指に力を入れることを自覚した気がします。その後、自分のもう片方の手で親指と小指を覆って3を作って母に見せたのですが、
「3つになるんだから、こっちの手で3ができないと駄目。」
と許してもらえません。
小指を親指で押さえて、薬指を伸ばす。
ただそれだけのことにずいぶん苦労したように思いますが、やがて不器用ながらもできるようになりました。
次の日、誕生日のことは覚えていませんが、その翌日の事件?は覚えています。
近所の人だったと思いますが、母が先に誕生日の話をしていたのでしょう、その人から「Nちゃん、幾つになったの?」
と聞かれたのです。
母は穏やかに私を見ていました。
私は自信たっぷりに、
「4つ。」
と言って、親指以外の4本を立たせて見せたのでした。
その時の母の、文字通り目を丸くして驚いた顔が記憶に残っています。
でも、私はふざけていたのでも、意地悪をしたわけでもありません。
誕生日の前は2つ。誕生日は3つ。だから誕生日の次の日は4つだと考えたのでした。
この記憶は、その時にすべてが刻まれた訳ではないでしょう。
高校時代も成人した後も、尚、何度も話題に上っては
「あの時は、ほんとにびっくりしたわぁ。」
と母は笑っていました。
ただ、4を作った理由は憶えてもらえなかったままのように思います。
私としては、少しばかりの悔しさも混じった苦みのある笑い話です。
このことは今までに、何人かに話したことがあるのですが「本当の話なのか?」と突っ込まれると、「多分・・・。」としか答えられません。何せ、証拠も無ければ、証人も居ません。母が生きていたとしても、私の驚きや悔しさまでは、わかっているはずはありません。後から創作した話だと言われても、反論はできないです。
でも・・・。
あの時、驚いた母の顔も、思い出しては笑っていた母の顔も、私の記憶の中では大切な思い出、というより体験の一つ。大切な人とは、記憶のあやふやさや共感の程度を越えて、心に刻まれた体験や印象によって決まっていくものかも知れません。証拠があれば、もっと確信が持てるのでしょうが、証拠の有無が大切さを決定づける訳でもないと思います。
もし、母がこのブログを読んだなら「N(中学以降の私の呼び名)らしいね。」と鼻息一つで笑うでしょう。「また、自分一人で勝手に考えて、訳のわからんことをあれこれ言う。」と呆れるかも知れません。
それが叶わぬことだとしても、この記事を見て「カメさんらしいな。」と思ってくれる人がいたなら、その人は、私の新しい大切な人になる人かもと思ったり。
なんだかまとまらなくなりましたが、そんな風に考えていくと、世の中って意外と大切な人はたくさんいて、ただそれに気づかないだけかも知れないなんて、ふっと思ってしまいました。
母には、また鼻で笑われそうですが。
今週のお題「大切な人へ」