仕事と子育て(3)買い物カートではしゃぎ過ぎる子を見て
「仕事と子育てが縒(よ)り合わさって私がある(2)」の「母の職場に行くことは度々あった」の続きです。
母の職場に行くことは度々あった
職場の人から教わったこと
板ガラスを切るのを見る
小学2年では長さの勉強があり、物差しの使い方や、cm、mmの単位を習います。それほど難しくはなく、線を引くプリントやテストでは、少しぐらいのズレなら許されていました。「1mmくらいなら許すけど、2mmはダメ」みたいな感じです。
ある日、母の職場に鍵をもらいに行ったとき、どういういきさつだったかは不明ですが、切り残ったガラスを切ってみるかという話になりました。表面がつるつるのガラスです。厚さ5mmのガラスはやめておこうとなったので、2~3mmの薄いガラスを使ったはずです。学校では見逃してくれた1mm、2mmの違いですが、それがガラスの厚さの違いとなるとかなり感じが変わるのには驚きました。
「よく見ていろよ。」とお兄さん風の職員が、ガラスにさしを置き、それにガラス切りを沿わせてチーっと音を立てながら引いていきます。端まで行って「よしっ。」と、さしをのけました。ガラスに筋は入っていますが、切れていません。
(なんだ、切れてないんだ。)そう思いましたが、お兄さんは両手で板ガラスを持ち上げ、パキッと音を立てました。えっ?っと思った瞬間、ガラスはきれいに切れていました。魔法を見せられた感じです。
切れたところをよく見たくて近づこうとすると、
「危ない!近づいたらいかん!」
と叱られました。切った(割った)ばかりの切り口は怪我をしやすいとのこと。触らない約束と特別な許可で、じっくり見ると切り口の角はギザギザでキラキラ、その二つに挟まれた厚みには光り方が違う別世界があるような感じ。
この辺りの記憶は、後付けされてる部分もあると思いますが、危なくても綺麗だと感じたのは確かです。
板ガラスを切る
まだ、子どもには早いと言う母に、大丈夫だから切ってみたいと根拠もないのにお願いしました。「一緒に一度のお願い!」と、当時の流行り文句で言ったかも。そして、お兄さんたちの協力も得て、ガラスを切ることになりました。
作業台が高くて背が足りず、足台を用意してくれました。でも、その上からでも、ガラスにへばりつくような格好です。いろいろ説明は聞きましたが、ガラス切りを手にすると、緊張と興奮が押さえられません。
お兄さんに身体を支えてもらうようにして、ガラス切りを引きます。でも、あのチーという音は出ず、滑っている感じです。もっと押さえないと傷は入らないと言われ、2度3度往復させたような、行ったり来たりしたら駄目だと言われたような。切る長さが短くてすむガラスに替えたような。私の手の上から押さえてもらったような。
とにかく、悪戦苦闘して傷を入れ、パキッと割ってもらいました。
そのとき、ちらりと見た母の顔が、ホッとした風だったのも憶えています。
傍から見れば、私がガラスを切ったというより、ほとんど切ってもらったと見えるはず。お兄さんたちはすごいんだなと思ったのは確かです。
さしを使ってマジックで線を引く
どんな場面でそうなったのか不明ですが、さしを使ってマジックで線を引くことになりました。学校で学習済みだったので、それなら簡単にできると事務仕事の机に向かって座りました。
ところが、さしを置いてマジックを降ろそうとする前に注意されました。
さしの置き方、さしの押さえ方、マジックの持ち方。自信満々の高い鼻はぽきっと折られました。
- 長さを測る時と、線を引く時では、さしを当てる場所が違うこと。
- 長い線を引くときには、途中で指をずらせるように置く方がいいこと。
- マジックを当てるさしの縁が浮くようにしないとインクがにじむこと。
学校で習っていたはずが、いつのまにかいい加減になっていたのでしょう。その後、学校ではなく、母の職場で習った記憶になっています。
母の職場とのつながり
母の職場から、プレゼントをもらったこともあります。
学習机の上に置くガラス製のテーブルカバーは、私が家を出て一人暮らしを始め、机を物置に片づけられるまで置いてありました。5mmの厚みがあり、映画の前売り券や青春18のびのびきっぷ等を挟んでおくこともありました。ガラス自体がけっこう重くて、大丈夫だろう次々挟んだら、すきまができてしまって、不意にずれることもありましたが、重宝していました。
夏休みの工作をどうしようかと悩んでいた時に、木の船の土台をつくってくれました。結構大きくて頑丈。周りに釘を打ち込んで紐を張りロープの柵ににしたり、箱を重ねて船室にしたりしてました。
子どもが仕事や職場を知ること
3年生になってからは鍵っ子の仲間入りをし、母の職場に訪れることはぐんと少なくなりました。そもそも親の職場に何度も足を運ぶというのは、あの時代でも珍しいことだったように思います。子どもが歩いて行ける場所に親の職場があるというのは少数派ではないでしょうか。
職場でも、私が気づいていなかっただけで、危険だったり、邪魔だったりといろんな問題があった気もします。もしかしたら、一部の人は反感を持っていたかもしれません。
ですから、自分の限られた経験だけで、子どもを仕事や職場に触れる機会を増やした方が良いと結論付けるのは無理な話だと思います。
公共の場ではしゃぎすぎる子どもを見て
でも、スーパーマーケットでキャラクターのカートに乗ってはしゃぐ子どもを見かけて、ふと考えました。
スーパーは買い物をする場でありつつも、店の人にとっては真剣な職場です。キャラクターのカートは親も子も楽しく買い物をして欲しいという願いから導入されたのだと思います。ですから、ある程度、子どもがそれを使って遊ぶことも想定内のことでしょうし、店内の安全確保も店の仕事の内だと思います。
ただ、あまりにはしゃぎ過ぎる子どもに対して、さすがにどうかな?と疑問が湧きました。でも、私が注意してトラブルになるのも嫌だなあと。やはり店員さんに、声をかけて対処してもらう方が良いのかなと。そうする内にお母さんが気づいて落ち着いてくれましたが。
今の時代は、見知らぬ大人から子どもに声をかけることがためらわれます。
子どももそれを知っているかのように、困り顔の大人がいても気にしてないように見えることもあります。
安全確保
子どもが行く公共の場所の多くは、誰かが仕事をする職場です。子どもが来る場所なら、当たり前のように職場の責任として「安全確保」が言われます。
でも「安全」とは何でしょう?
怪我や事故が起きない環境整備でしょうか。器具の使い方やマナーを教えることでしょうか。子どもに危険を予見して行動する賢さを持たせることでしょうか。
ちょっと何かあった時に子どもが人に相談できる話しやすい場にすることは別でしょうか。人に迷惑が掛かっているかどうかを自分で見分ける判断力は別でしょうか。いたずらが過ぎないか考え、自分でその場にあう言動に切り替える適応力は別でしょうか。
安全確保のための何もかもの責任を、現場に押し付けていいのでしょうか。
子どもの今いる場所のとりあえずの安全確保は、職場の人の仕事かもしれません。でも本来、人としてとるべき安全確保は、子育ての中で身につけるものとも思うのです。
仕事と子育て
母がシャツを表に返す方法を教えてくれたのは内職の仕事であると同時に子育てでもあったと思います。造花の数を数えたのも、数に間違いがないか確かめたのも、仕事と子育ての両方だったでしょう。
ガラスの切り(割り)口に近づくのをお兄さんが叱ってくれたことは、職場での「安全確保」の仕事でもあったでしょう。でも、特別な許可で危なさと美しさを教えてくれたのは子育てだったように思います。
仕事と子育て(1)の記事で、子連れ出勤について触れました。アグネス論争が30年たっても決着を見ないばかりか、だんだんと職場に子どもが来ることを否定的に見る風潮が強まっている気がします。
「家庭の問題を仕事に持ち込むな」「子どもは邪魔だから職場に入れさせるな」の声や、「子育ても、仕事してお金が入らなければできないだろう?」とパワハラ的な話も聞きます。
無理な仕事で子育てが難しくなり、少子化が進み、人手不足に陥っているという考えは、それが全てではないにしろ、間違っていないと思います。
最近の子どものなりたい職業に、youtuber が入っているそうです。それだけ youtube を見ているのでしょう。でも、一方で、親の仕事や、自分の周囲の人の仕事が見えてないという証にも思えます。
カートで遊び過ぎ、店で働く人や他の買い物客に目が行かないのとよく似た同じ状態と思うのは考え過ぎでしょうか。SNSで、仕事中にふざけている写真や動画が出回るのも根は同じ気もします。
「仕事」と「子育て」の関係性について私なりの答えはこうです。
働いている人を見て仕事の意味や魅力を感じられる子育て。
昔は普通になされていたと思いますが、子どもと社会(働く人)との接点が減っている今、それを意識的にしないといけない時代になっているのかも知れません。子どもにすれば、仕事の意味やイメージが広がることは、将来の労働力や子を育てる力につながると思うのです。
安易な理想論と言われそうですが、今、理想が見えにくくなっているように思えて記事にしました。