「仕事と子育てが縒(よ)り合わさって私がある(1)」の「内職をしながら遊ぶ
」の続きです。
女性はいつの時代でも「仕事も子育ても」だった
内職をしながら遊ぶ
ベルトの穴でできた丸くずで遊ぶ
ベルトの穴開けと金具つけの内職では手伝いになりませんでした。
合皮にパンチを使って穴を開ける方法を母に言われてやってみたのですが、印通りにパンチを合わせることはできても、パンチのハンドルが固くて握り締められず、穴は開けられません。
ベルトの金具つけにも挑戦しましたが、カチッとしめられません。したことといえば、できたベルトを数えて束ねるくらいだったと思います。
そんな調子でしたから、手伝いよりも、穴をあけたときにできる丸いくずで遊んだのを憶えています。
こげ茶色の丸が本当にたくさんできました。それを一つ一つ動かして並べるのですが、自分でもびっくりするぐらいきれいな三角をいくつも作れました。というか、ほぼ円の丸なのですから次々くっつけていくときれいに並ぶのは、当たり前ですね。
それを内職中の母にいうと、かなり驚いた風でした(きっと演技)。それで調子に乗って、三角にどんどんくっつけて大きな三角にしていきました。丸の周りに丸が6個並べられるのも発見しました。
夕食後も遊んでいると、父から「四角はできるか?」と言われ、やってみると、なかなかきれいな四角にできません。すぐゆがんでしまいます。三角のようにピタッとさせたいのですが、そうするとひし形になってしまいます。
それが当たり前なのですが、当時はとても不思議でした。
造花作り
憶えているのは赤いカーネーションのような花です。
これも手伝いと言えるようなことはあまり憶えていません。造花のパーツを1本分ずつ並べていくことと、できあがった造花を数えたくらいです。何本かは私も作ったははのですが、花びらをきれいにすることができず、花びらは触らないルールになってしまいました。
いつだったか、何かの番組で元SMAPの木村拓哉が造花を作る内職をしていました。母が作ったのと似た花でした。検索すると2015年4月12日放送の「SMAPがんばりますっ!特別編」のようです。作業に慣れた頃に1本を何秒で作れるかと挑戦していました。コツをつかむまでに幾らか時間がかかっていいましたが、どんどん仕上げるまでの時間を短くしていたよう思います。結局、2時間(120分)で101本完成させたそうで、1本作るのに1.2分(72秒)かかる計算です。1本5円の収入とのことで505円。時給換算で250円程。キムタクの本来の仕事からすれば微々たるものでしょうが、この内職のことは、ずっと記憶し続けるんじゃないかと思いました。
母が作ったのを、10本ずつまとめていき、それが10束になるとさらにまとめて100本になるということも知りました。ただ、100本の束はなかなかできません。母は何日もかけてやっていたので、私も毎日数えました。何百と何十と何本で、何百何十何本という感じです。
結局、母が何本作ったかは憶えていませんが、100本の束が増えてきて数えるのが心配になってきて担任の先生に質問し、九百九十九の次が千と知って安心したのは憶えています。
学研の月刊誌『科学』と母の手
当時、学研が出版する月刊雑誌『〇年生の科学』、『〇年生の学習』は学校で注文を取って、学校に届いた本を子どもが持ち帰っていました。『〇年生の科学』には付録あり、それが楽しみで、他にも興味深い話や漫画などがたくさんあり、注文を続けていました。
ある記事に、手で触って温めると色が変わるインクで描かれた絵が紹介されていて、「お母さんの手で温めてもらいましょう。」とみたいな感じに書かれていました。母にお願いすると、母の手は冷たいから駄目だと言われてしまいました。でも、本には母の手の方が温かいという感じのことが書かれています。それを話すと、冷たい手なのに、と言いながらやってきて、手をこすって、こすってしてから、手を置いていました。
どんなに色が変わるんだろう?と思いつつしばらく待ってから見てみると、無事に色が変わっていました。でも、どんな色でどんな絵だったのかは憶えがありません。むしろ私の記憶に残ったのは、母の手は冷たいのだということでした。
ところが、いつだったか、母が洗濯を終えた後に母の手を触って冷たいと思った時に謎が解けた気がしました。色が変わる絵を触る前、母は洗い物をしていたような気がします。母は絵を温めたことは覚えておらず、事実は不明です。でも、手がガサガサになっている理由を話してくれたのは憶えています。洗濯や炊事でよく水や洗剤を触ることが原因だと聞きました。
何にせよ、母が内職で家に居たから体験できただろうことの一つです。
母の職場に行くことは度々あった
鍵っ子になるのは回避
小学2年になると、1年の時より下校時刻が遅い日が増えます。また帰宅後に一人で留守番もできるという話になって、母は保育園時代と同じような時間帯に仕事を戻すことになりました。
ただ、問題は家の鍵です。私が帰るのが早い日に、鍵を持たせていいかという話です。少し記憶があやふやな部分があるのですが、水曜日が給食のある4時間授業、土曜日は午前中だけの3時間授業だったと思います。
家の鍵を落としたのを誰かに拾われて、泥棒が入り、テレビやテープレコーダー等を盗まれると困るみたいな話を父からさんざん聞かされて、結局、私が鍵を持つのを嫌がってしまったのです。母も職場で話をして、下校の際に職場に寄ることを承諾してもらいました。
折しも、鍵っ子(帰宅時に親が家におらず、家の鍵を持っている子ども)が全国的に増え、それに伴う近隣トラブルや防犯上の問題が表面化しつつあった頃です。子どもに家の鍵を持たせること自体が問題だという見方が社会にもあったのでしょう。
母の職場
母の職場は、建具の取付け販売をおこなっている会社でした。特に、窓枠アルミサッシがメインで、ガラスを切ったり、アルミ枠に入れたり、窓枠の組み立て、それを固定する木枠を作ったりしていました。
入り口は資材の運搬ができるよう、大きな鉄製の両開きの扉です。取っ手を持ち、ランドセルを背負ったままの全体重を預け、足で踏ん張って扉を動かします。
流行りの特撮番組では、秘密基地の扉がゴゴゴゴ~とカッコよく開いていきますが、小学2年生の子どもにあんな開け方はできません。力いっぱい引いて、ず、ず、ずずっ、ず~~~という感じ。その間、無酸素運動なので、隙間が空くと「はぁ、はぁ」と息をしてました。
でも、そこで開けた世界が好きでした。そしてその中を歩いて行くのも。中は体育館よりも広く高い気がしました。ひんやり感じたこともあれば、暑く感じたこともあります。天井の梁には資材を運ぶ機械がとりつけられ、採光用の窓が眩しかったです。セメントの床、その上に幾つかの作業台、壁に立てかけられた資材や窓枠、棚にきちんと置かれたヘルメットや工具類。私には大きな工場、いえ、何かの組織の秘密基地の様にも思えました。(少し大きくなってから行った時、それほど大きな機械がある訳でもなく、工場と言うより、大きめの作業場という感じでした。)
母の職場に訪れることがなかったら、このブログに
の記事を書くことは無かったでしょう。
母の生家の農業とは全く別の仕事。今思えば、母がこの仕事を選んだのには、何か大きな意図があったよう気がします。ただ、既に母は亡くなっていて聞けないのが残念です。もっとも、聞いたところでいつものように、はぐらかされたでしょうけれど。
工場の中を歩きたい
母は、工場は危険なので中を通らず事務所の方から来て欲しかったようです。でも、事務所の入り口は遠回りになる上、事務仕事中の人にお願いして母を呼び出してもらわないといけません。その人が冷たい人に感じられたこともありますが、何より工場の様子や、そこで働く母の姿を見るのが好きでした。
結局、頭上で資材を運んだり、機械が動く音がしてなければ、通って良いという話になりました。でも経験上、機械をそんなに長く動かし続けることはまずありませんでした。それらの多くは午前中の作業で、午後は細かな作業が多かったようです。機械の音がしていた時もありましたが、大抵5分くらいすれば止まるので、扉の前で待っていたこともありました。
当時は全く気付きませんでしたが、働く人からすると私は邪魔と思われて当然のはずでした。母は人に要らない迷惑をかけるのが嫌いだったので、私が工場の中を通ることを誰よりも嫌がっていたはずです。危険もありましたから。
でも、工場の中を通ることに職場の人が慣れてきた頃、どうやら私が
ほんとに可愛らしくて、それなりに、
なかなかに賢くて、そこそこに、
手先も器用で、下手の横好きというのと、
仕事場の人が子ども好きで、私を気に入ってくれたのでしょう、ちょっとした機会に幾らかの仕事を見せてくれたり、させてくれたりすることもありました。
(次回に続く)
また、長くなりました。次回は、母の職場で学んだこと等を書く予定です。
続きの記事はこちら
「 仕事と子育て(3)買い物カートではしゃぎ過ぎる子を見て」 -------------------------------------------
<余談 『1年のかがく』の『インセクトマン』>
1972年の『1年生のかがく』に『インセクトマン』という漫画がありました。ある月の付録にペラペラのソノシートレコードがあり、「インセクトマンのうた」を兄と一緒に笑い転げながら聞いていました。ダジャレがぎっしりの歌詞、「きぃ~まったぁ!」の台詞は、今でも兄との間で語り草になっていました。
記憶を頼りに検索してみると、youtubeにソノシートの音源がUPされているのを発見!
びっくりです。針を置いたときの雑音から始まります。すっかり忘れていましたが、歌の前に虫の鳴き声も収録されていました。その懐かしいこと。「つくつく法師」の鳴き声は、このシートが原点かも知れません。そんなことを思いながら聞いていると、不意に、音楽が流れ出し、「インセクトマンの歌」が始まります。
「きぃ~まったぁ!」の台詞や「カブトゴンはカブトを脱いだ」等のダジャレを約50年ぶりに聞き、懐かしいのと一部の記憶に間違いがないのとでちょっと感動してしまいました。聞いている内に、当時使ってたレコードプレーヤーは回転速度を切りかえられたので、早回しにしてゲラゲラ笑ってたのも思い出しました。
興味ある方は「インセクトマンの歌」で動画検索してみてください。簡単に見つかります。(ブログに動画URLを貼ってしまうと便利なのですが、それがもとで削除されてしまう場合もあると知ったので、やめます。)
(追記)
作詞:井上ひさしさん、作曲:宇野誠一郎さん。このコンビは「ひょっこりひょうたん島」の歌(こちらでは作詞にもう一人山元護久さんもいます)でも協力しているからでしょうか、歌詞に「う~ う~ う~」があります。また、漫画のキャラクターはどうい見ても石ノ森 章太郎さん風ですね。顔もそうですが、ブーツのラインとかにもふんいきがあります。