tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

変わりゆく時代、変わる偲び方:母のコンロからのメッセージ

母がまだ認知症と診断される前だった。母の様子は、盆と正月に帰省した折にしかわからなかったけれど、それでも年々、気になることが増えていった。料理の手順が違ったり、味付けが変になったり、調味料を片付け忘れたり、そんな感じのうっかりが、珍しくなくなってきた。帰省するたび、母が小さくなっていく感じがして、何かしてあげたいと、あれこれ思い巡らせていた。

 

指先や頭を使う機会を増やしたらいいのでは考えて、ある年末に PlayStation を買い、ゲームを教えた。しばらくの間は母もゲームをするようになり、帰省した時に一緒に遊ぶのが習慣になった。実際、認知機能の低下にどれだけ効果があったのかはよくわからない。ただ、母と一緒に何かをする時間が持てたことは良かったと思っている。

 

そんな頃、調理時にガスの消し忘れが心配だという話になり、当時、まだあまり普及していなかったIHコンロを購入することになった。その際、父は思い切ってオール電化住宅にした。風呂の火も電気になって、ガスの消し忘れの心配もなくなった。英断だったと思う。

IHコンロ イメージ

しかし、母は当初、IHコンロに戸惑っていたようだ。IHコンロに使える鍋やフライパンが限定的だったこともあり、母は調理の手際が悪くなったように思う。いつしか、帰省すると食事は、主に私が作るようになり、母には手伝ってもらうようにした。

 

キャベツをざく切りにしてと頼んだら、包丁でとても細い千切りにしてくれたことがある。それに比べると、私の切り方は百切りとでも呼び方を変えた方がいいと思ったほど。炒め物には使えなかったが、母の生野菜サラダを久しぶりに食べた。

 

IHコンロはボタンで操作する。ボタンを押し間違え、加熱し過ぎる等が増えてきた頃から、母は、調理を避けるようになっていく。やがて、認知症と診断され、ゆっくりではあったが確実にそれは進行し、母は施設暮らしになった。

 

帰省しても、父と2人。施設にいる母に面会に行くと、初めの頃はニコニコしていて、幾らかの会話もできたけれど、だんだんと会話ができなくなり、私が誰かわからないことや、笑顔がないままの面会も増えていった。やがて、病気がちになり面会できない日が増え、晩年には入院生活が続き、コロナ感染が広がる前に亡くなった。もう4年が経つ。

 

母が亡くなってしばらく後、実家のIHコンロの調子が少しずつ変になってきた。火力を弱めるボタンを押したのに火力が強くなったり、ボタンを軽く触っただけでは反応しなかったり。「もう、買い替えるか?」と言う父に、「まだ、使えないことも無いから」と答えて、そのまま使っていた。母の生前を思い出すこともある。母がIHコンロの操作を間違えたと思っていたが、もしかしたら、IHコンロが反応を間違ったのかも知れない、なんてことも思う。だから、できればこのまま使いたいという気持ちがあった。

 

しかし、2023年の秋頃から、IHコンロは一層、使い勝手が悪くなった。電源ボタンがなかなか反応しないことが増えた。人差し指でポンと押しても反応無し。ぐりぐり押し付けてもダメ、親指に体重をかけるようにぐいぐいと押しつけてようやく電源が入る。電源を切る時もそんな風にしないといけないことが出てきた。火力の調整は、7,8回ボタンを押して、ようやく思い通りの火力にできるとか、そんな感じ。

 

もう、IHコンロは母を懐かしむアイテムというより、こき使い続けてるイメージになってきた。かつて一緒にゲームをしたことも、母に無理をさせていただけでは無かったか、そんなことまで考えてしまう。

 

既に、IHコンロは20年程、使い続けていた。かなり長い使用年月に思えるが、母が料理をしなくなって以降の約十数年、父が一人の時に、コンロを使うことはかなり少なかったはずで、私が帰省した時の使用等を含めても、一般家庭の1,2年分程度の利用ではなかろうか。修理も検討したが、電気屋の話では、古いIHコンロでもあり、必要な部品も生産していないらしく、新しく買った方が却って安くなるようだった。

 

諦めるというより、潮時だと思った。このままコンロをこき使うより、コンロの役割を解く方が良いということなのだろう。年の瀬が迫る頃になって、父に「もう買い替えよう」と提案した。以前から買い替えたがっていた父は、すぐに知人の電気屋さんに向かい、注文した。

 

IHコンロが届いて感じたのは、この20年の間の進化だ。素人の目でもわかるのが、魚などを焼くグリル。グリルのトレイに水を入れる必要がなくなった。以前の物は水深1cmに満たない量の水ではあったが、グリルを開け閉めするたびに、水がこぼれないようにと気を使う必要があった。一方、新しいIHコンロは、トレイにギザギザの溝がついていて、その上に焼きたいものを載せる仕組み。水は不要。

グリルのトレイ イラスト

以前の物は網とトレイの二つを洗う必要があったが、新しい物は網とトレイが一体化していて、手間が少なくて済む。加えて、自動で焼き加減を調整してくれる機能もついていた。

 

「グリルで魚を焼く時は後片付けが面倒」とは、母も私も感じていた。ガラケーからスマホになったとき程の驚きではなくても、携帯電話で小さい写真が送れるようになった時くらいの便利さは感じられる。多分、まだまだIHコンロは進化していくのだろう。

 

グリル以外にも、使った電気代が表示されたり、火の強さ加減がとろ火~強火の強まで10段階になっていたり、電源を切り忘れても一定の時間が経つと自動で切れたり、使いやすさや安全性は向上していた。

 

新しいコンロに母の面影を感じられなくなった寂しさはあるが、いつまでも母の面影をコンロに求め続けるのも、何か違うと思う。時代が変われば家電も変わることと、時代が変われば一緒に生きる人も変わることを同じ感覚では語れない。でも、時代に応じて故人を偲ぶ方法が変わっていくのは、自然なことのようにも思う。

 

母が亡くなって4年。新しいコンロは、新しい偲び方を教えてくれた。以前は不自由なボタンに多少の苛立ちを伴って母を思い出していたが、これからは、グリルで魚を焼くたび、便利になったねと母が語り掛けてくれそうな気がする。

 

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