tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

母の家計簿から(8)我が家のクリスマス

我が家のクリスマスについて、母の家計簿で調べました。家計簿は1971年から残っていてで、私が成人になる1985年までをまとめました。

12月24日前後辺りで購入した、クリスマスっぽい物を拾いました。

クリスマスっぽい物の購入歴

クリスマスにケーキを購入したのは、1972年~1980年までの9年と1983年。クリスマス関連としては、他にゲーム、鳥の足、ファンタ、シャンペンがありました。

ケーキ

表の中で一番高いケーキが1000円(1975、1976年)。その後、値段が下がっています。その理由で思い当たったのは、多分、1975年と1976年は、ホールケーキだったのでしょう。まだ、ホールケーキはバタークリームが主流だったはずです。1日で食べ切れず、翌日も食べた記憶があります。予想していたほどに美味しく感じられなかったイメージです。バタークリームは、クリームの角がしっかり保持されて形が崩れにくかったものの、バターが胃にもたれてしまうのです。その後、生クリームを使ったショートケーキに変えたと思います。

 

1981年、1982年はケーキの無いクリスマス。兄が働き出して社員寮に入ったことも影響しているのでしょう。1983年にはケーキを食べていますが、クリスマスに母とケーキを食べたのはこれが最後だと思います。大学入学後も、就職後もクリスマスに帰省することは無かったはず。仕事を辞めたときには母は施設や病院にいましたから。

 

飲み物

ファンタ

飲み物として、ファンタやシャンペン等、炭酸飲料を購入していたこと、すっかり忘れてました。1974年のファンタが1150円と異様に高値なのは、ケースで購入したからです。父のビールはケースで購入していたので、ファンタもケースで買って欲しいとねだった気がします。

シャンペン

1980年のシャンペンは最初に買ったのがアルコール入りだったので、子ども用にも欲しいと言った記憶があります。

 

いざ、コルク抜きを使って栓を開けようとしても、なかなか開きません。ぐりぐり回している内に、コルクがボロボロになってきました。コルク抜きの刺し方もまずかったのでしょう。何がどうなったのかよくわかりませんが、大きく「ポン!」と音を立て、コルクは天井にぶつかりました。コルク抜きにもコルクの破片が残ったまま。家族みんな口を開けて驚いていた記憶があります。電灯に当たっていたら大変になるところでした。

 

アルコール入りを先に開けたか不明ですが、2本目を開ける時には、コルクが飛んでも大丈夫なように、二人掛かりで座布団を掲げその下で開けました。

 

鳥の足

クリスマスで鳥の足を食べたのは一度だけではなかったと思いますが、母の家計簿によれば1976年だけの記録です。足の細い部分にアルミホイルと赤いリボンが巻かれてあったのがクリスマス気分を高めてくれました。

クリスマスチキン

どうやって食べたらいいのか少し戸惑いましたが、豪快にかぶりつきました。頬っぺたまでタレが着いたと思います。

 

クリスマスプレゼント

ラスベガスゲーム

クリスマスプレゼント的なものには、あまり縁がなかったのですが、1974年のラスベガスゲーム(任天堂)は記憶が蘇りました。こちらのサイトが詳しいです。

[葛楽堂] ラスベガスゲーム | KaraGen~湘南 から元気倶楽部 Cafe

基本はすごろくで、そのルートに、ルーレット、スロットダイス(フルーツのサイコロ)、ダイスカップの3コーナーがあり、それぞれチップを賭けて遊び、全員がゴールした時にたくさんのチップを稼いだ者が勝ち、ってことらしいです。

ラスベガスゲーム

画像引用元:[葛楽堂] ラスベガスゲーム | KaraGen~湘南 から元気倶楽部 Cafe

 

でも、すごろくで遊んだことより、それぞれで遊んだことが多いです。それも一人で。

 

ダイスカップは、二つのサイコロの目を当てるゲーム。カップは革製で縫い目もデザイン的、内側は赤い布。本格的な感じでした。1-1から6-6まで、36通りの目ができますが、合計の数字を当てるパターンもあり、後に場合の数や確率の学習に役立ちました。また、サイコロを中に入れたままで、カップを上手く振るとサイコロが中で浮き上げる遊びや、別のサイコロも一緒にいれてカップを振り、カップを持ち上げた時にサイコロが積み上がっている練習などもしてました。ルーレットも、確率と賭博の仕組みを知る遊びになりました。いやぁ、懐かしい。

 

話が逸れました。

ミニカー

これ以外のクリスマスプレゼントでは、多分、5歳だった時のミニカーを憶えています。朝起きると枕元に置いてあって、びっくり。母に報告すると、サンタクロースからのプレゼントとのこと。でもまだ、サンタクロースをよく知らなくて、きっと取りに帰ってくるから、勝手に遊んではいけないと思い、すぐには箱から出せませんでした。といっても、母に促されて、その日の内に遊んだはずです。

 

他にももらったはずですが、大抵、文房具だったような…。いや、それは地域の子ども会だったかも。ちょっと記憶が曖昧。

 

家族が揃っていた期間

クリスマスには毎年のようにケーキを買って、家族4人で食べていた印象でしたが、4人揃ったのは10回も無かったことに驚きました。1970年以前も食べていたかも知れませんが、それはまた、父や兄と話してみるつもりです。

 

子どもだった頃は、何の疑問も持たず、ずっと4人の生活が続くように思っていましたが、振り返ると15年。それも40年前。離れ離れで暮らす方が圧倒的に長いのですね。

 

明日はクリスマスイブです。

 

 

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