tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

母の家計簿から(6) 30万円の記録と記憶

「30万円」と「高校時代」。二つのキーワードを掛け合わせると、思い当たることが2つあります。

 

兄のお下がりの学生服を着たり、中学生になっても自転車を買い替えなくていいとか、夜食を作らなくていいとか、自分では家計や家事に協力していると思っていても、トータルで見れば、やはり親にかなり負担をかけていたと認めざるを得ません。なんだかんだといろんな理由で、親に出してもらった30万円でした。

 

1982年のステレオ代と通信教育費用の合計

以下、母の家計簿からの抜き出しです。

1982年3月2日

ステレオ今日持ってきた。全部で24万6000円。

1982年6月8日

通信教育○○○、今年度振り込み5万9400円。

高1から高2にかけての出費でした。

 

ステレオ

ステレオはレコードプレーヤー、ラジオチューナー、ダブルカセットデッキ、そしてアンプを2つのラックに分けて置き、その左右を大きなスピーカーで挟んでいました。全部で畳の縦半分くらいの大きさだったでしょうか。

ステレオ イメージ

まだCDが出回る前の時代。兄もステレオを買ってもらっていて、それは社員寮へ持って行きました。私もステレオが欲しくなり、かなり無理なお願いをしました。母は兄に買ってあげたので、私にも買うことにしてくれたのでしょう。

違いもよくわかっていないのに音質にこだわって、ずいぶん高い値段の物を選んだと思います。録音するカセットテープも、高品質の「メタル」や「クロム」を使っていましたが、カセットテープの違いがわかる人は、どのくらいいたのでしょうね。

でも結局、高品質は高値になるので、なかなか買えません。その内、一度録音した高品質テープに重ね録音したり、重ね録音するなら安いので良いと考えたりで、「ノーマル」テープばかり増えていきました。

 

結局、音の違いはよくわからなかったですが、ステレオを使っていたおかげで身に着いたことがあります。アンプやカセットデッキ、レコードプレーヤーの配線等で、音のインとアウト、端子の違いがある程度わかったことです。後にビデオデッキが普及した頃、赤白黄三色のビデオ端子がきちんと刺さっているかどうかを確かめただけなのに、私をテレビやビデオを直せると感心されたこともありました。機器の接続に強い抵抗が無いのはステレオを使っていたからだと思います。

 

通信教育

通信教育は、解答を郵送して、赤字で添削されて返ってくるというもの。当初こそ、けっこうハイペースで勉強したものの、成績は急に良くなったりしません。そうして「気をつけよう」、「問題をよく読んで」など気持ちが折れるような添削を見る程に意欲も無くなってきて…長続きしなかったように思います。

 

記憶に残っているのは、毎月だったかな?通信教育会社が発行している雑誌に読者投稿のコーナーがあり、そこに私の文章が載ったこと。誰かに自分の文章を読んでもらえる嬉しさをここで知った気がします。

 

親に6万円を出してもらって、得たものがそれだけというのもどうかと思いますが、この経験がブログに繋がっている気もするので、良しとしましょう。このブログは「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」を確かめる場所でもあります。通信教育も無意味でなかったと思えれば十分です。え?

 

ともかく、しっかり勉強するからという約束で、ステレオも通信教育も出費してもらったのですが、結局、高3時点では大学に合格できず、約束を果たせなかった思いは残り続けました。

 

予備校の学費

再び、母の家計簿から。

1984年3月22日

予備校入学金29万円は、定期を30万円分解約した。29万払って残りで1万3000円の地図代、残り通学定期の足しにする。8384円。

ちょっとわかりづらい文章と思うので補足します。当時の定期預金の利率は数パーセントはあったはずです。ネットで「1985年では利息が年5.5%(税引後年4.4%)」との情報もありました。仮に30万円定期で年利4%で5年間だとしたら、約36万5千円になる計算。今では到底考えられない額ですが、羨ましくもありますね。

 

予備校はさすがに自転車で通える距離ではなかったので、当時の国鉄の定期券を購入しました。乗っても乗らなくても値段は同じ。それなら、乗った方がお得だと、よく通ったと思います。でも、予備校近くのゲームセンターでサボることも多かったので、得だったのか損だったのか、微妙なところです。

 

ちなみに1985年の国立大学の入学費が25万2千円、授業料が12万円の計37万2千円でした。これに対し、1984年の予備校費用29万円が高いのか安いのかは不明ですが、そもそも一浪していなければ出さずに済んだお金なのは確かなので、申し訳なく思い続けています。

 

もし、今30万円あったら

こうした負い目もあるので、もし、今30万円あったら、親を旅行に連れて行ってあげたいと思います。残念ながら、母は亡くなっているので父だけになりますが、コロナ禍やCPAP睡眠時無呼吸症候群の治療機器)の利用等もあって、しばらく泊付きの旅行に出かけられていません。

 

20年程前、父と母が不意に県境を越えて、私の家にやってきたことがあります。突然、電話で近くまで来たから寄って行くと言うのです。私には断りづらい翌日の仕事の予定があったので、その時は夕食を一緒に食べるくらいしかできません。一人暮らしで寝具も一人分しかない上、部屋は散らかり放題で、両親を泊めることも難しく、急遽、ホテルを予約し、そこで泊まってもらいました。その時、『東京物語』みたいだと、自分を責めていました。

 

映画『東京物語』では、老夫婦が東京で住む娘を訪ねます。散髪屋を営む娘夫婦は忙しく、両親には熱海に宿をとってゆっくりして過ごしてもらうのがいいと考え、送り出すのでした。

 

30代でこの映画を観た私は、老夫婦は娘夫婦と一緒に過ごす時間が欲しかったはずなのにと、その対応に疑問を感じたものですが、40代になって不本意ながらも映画と同じことをしたのです。

 

仕事を辞めた私は今、実家で父の世話をすることが増えました。「30万円あったら何して欲しい?」と聞けば、父は家の修理などと答えるでしょう。CPAPを使っているから泊付き旅行なんてとてもできないと思い込んでる節があります。CPAPを止めると、脳卒中心筋梗塞のリスクはありますが、旅行先まで持って行って使えば問題無しです。ただ、思い込みが強いことやコロナも関係しているのでしょうか、泊付き旅行に今ひとつ乗り気になれないようです。

 

それでも、30万円の豪華な泊付き旅行となると、心が動くかもしれません。そんな期待もしてしまうのです。

 

 

今週のお題「30万円あったら」