大きな新高(にいたか)梨
知り合いからもらった新高梨を4個、実家に持って帰りました。
一番大きいのを測ってみると高さ約12cm、直径約15cmでした。重さ1kg超。
高さ15cm程の物もあるので、特大というより、まあ大きいという感じです。
一目見て父は「これが梨か?」と驚いていました。
新高梨は去年も2個もらって帰ったし、15cm級の物を土産として持ち帰ったこともあるので、私としては父の記憶にちょっと不安がよぎります。そのことを話すと「新高梨は憶えているがこんなに大きかったか?」とのこと。あまり記憶していないようです。
食べ物への関心が薄い父
父には、食べ物に関してやや関心が薄いというイメージがあります。
加えて、味や食べ方が適当というか、いい加減な部分もあって、ちょっと厄介。
焼き肉は赤みの残る焼き加減が私の好み。でも父はしっかり焼いたのが好み。
同時に焼き始めると、私の方が先に取り出すことになります。それを見て父も肉を取ろうとします。「まだ、肉が赤いからもう少し焼いた方が良いよ」と言っても、「赤くても大丈夫だ。以前とは違う。」と言って、タレにつけパクリ。で、一口噛んで「だめだ。まだ焼けてない」と、鉄板に戻して焼き直すこともありました。
家で牛丼を作った時は大抵、温玉風に茹でた卵を添えます。ゆで時間をうまく調整できない私にも原因はありますが、卵を割った時「だめだ。白身が固まってない。」とか「だめだ。ゆで卵になっている。」と言われることがあります。温玉を食べたことは何度もあるのに、割っていない卵は、生卵かゆで卵のどちらかだと思ってしまう風です。さらに、卵がかかった丼物は、親子丼、他人丼であって牛丼ではないとの思い違いが発動するよう。そして、食べる際にはビビンバのごとくよく混ぜるスタイルなので、一層わかりにくいのかも。もっとも、かつ丼やうな丼等、混ぜないものもあります。
最近の話に限らず、母が作ってくれた弁当の記憶もいい加減な面があります。高校時代に作ってくれた弁当は、父の弁当と同じ物でした。
豚そぼろと炒り卵の二色弁当、細切れ豚の照り焼き、鶏とこんにゃくの炒り煮など私が好きだったおかずの話をしても「憶えてない」と言うことは多いです。父は仕事で営業で外回りも多かったそう。その影響か、どこで食べたという話はよく聞くのですが、どんな弁当だったかには無頓着な様子。
食べ物の話が噛み合わないとき、「腹に入れば味はどうでもいい。」という父の言葉が思い出され、詳しく話す気も無くなってしまうことは珍しくありません。
残り物の刻みネギとスダチで
父は今、ほとんど料理をしません。母が認知症になり始めた頃、少し料理をした時期もありましたが、母が施設に入った後、総菜を買って食べる食事が普通になっていました。自分で作るより、買った総菜の方が美味しいし楽、とのことです。
私が帰省している間は、私が調理をしますが、そうでないときは総菜を買って食べることが続いています。10月になって帰省すると、冷蔵庫にパック入り刻みネギがほぼ全部残っていました。インスタント味噌汁を作った際に少しだけ使ってそのまま。帰省した日が賞味期限の日だったので、もう捨てるつもりだと言われました。冷蔵庫にはもらったスダチも数個残っていて、かなり黄色くなってきていました。これも捨てようと思っているとのこと。
母は、もう食べようが無いとなれば捨てることもありましたが、なるだけ何かに使うようにしていたのを憶えています。その影響か、私も安易に食材を捨てることには抵抗があるのです。先日のコクゾウムシの記事とも通じるところがあります。
父も根っこには同じ考えがあるので、食べられるようにしてくれるなら食べるとの反応でした。
そこで、柚子味噌を真似たすだち味噌に挑戦。
味噌に、みりん、酒、砂糖を加え混ぜ合わせます。それをフライパンに入れて加熱。照りが出てきたタイミングでネギを投入。更に水分が減ってきたところに、鰹節、すりゴマを入れます。最後に、2個分のすだち果汁と細かく刻んだ1個分のすだちの皮を入れ、味見。砂糖やめんつゆ、一味も足して味を調整して完成。
一晩寝かせて、白ご飯に添えて食べてみました。柚子味噌よりさっぱりした感じで、父にも好評でした。父の記憶に残るかどうかは微妙ですけど。
新高梨の食べ方
帰省した時、既に冷蔵庫には切ってもらった梨が2個分ありました。これは予想外でした。そのため、新高梨はそれを食べ終わってから切ることになりました。
とはいえ、父と私で新高梨4個を切って食べるには厳しい量です。兄の家族に分けてもまだ多いでしょう。父は「そんなに食べられない」と言い「腐ったら捨てたらいい」とも。これにまた私が反発。
いやいや。今回そのままでは食べ切れそうにない量を持って帰ったのは、食べる方法もあれこれ試すつもりだったから。デザートとしてコンポート、千切りにしてサラダに和える、おろしてタレに使う等々。美味しくできるかどうかはともかく、そこそこの物には仕上げたいところ。
そして、父の記憶に残るものができたなら、秋の大収穫としたいです。
果たしてどうなるでしょうか。
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