tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

音楽32.八代亜紀さんの歌の記憶

今日、八代亜紀さんの訃報を知りました。亡くなられたのは12月30日、享年73歳とのこと。2023年の秋から闘病中により活動休止とは聞いていましたが、活動再開にならなかったのは本当に残念です。

お悔やみ申し上げます。

初めて買ったレコード

私が初めて自分のお金でレコードを買ったのが、1977年2月。小学5年の時です。母への誕生日プレゼントを買ったのも初めてでした。八代亜紀さんの『おんな港町』を選びました。母が何かの歌番組を見ていた時に、「この歌、いいな」と言ったので、これに決めたと思います。この頃は、歌詞の意味などあまり考えなかったです。

 

プレゼントした時に母が驚いたのは憶えていますが、母がこのレコードを聴いていたのか、それ以前に、母が自分でレコードをかけたことあったかを含めて憶えていないです。

 

歌で印象に残っているのは、イントロ部分の、口笛のような、汽笛のような、鳥か猫かの鳴き声のような音です。

ヒョン。ヒュイヒュイ。。。 ヒョン。ヒュイヒュイ。。。 

今日、改めて歌詞を見ると、「海猫みたいに男がつぶやいた」「男がデッキで手をふった」等があって、この音は、うみねこの声か、汽笛かでしょうかね。

 

『雨の慕情』の控えめな振りつけ

『雨の慕情』(1980年4月リリース)は第22回日本レコード大賞を始めとして、数々の賞を取った歌でした。この歌で印象に残っているのは、

雨々ふれふれ もっとふれ 私のいい人つれて来い

の歌詞の部分で、雨を受けるように手の平を上にして振る控えめな振りつけです。

 

私の勝手な解釈でしょうが、「もっとふれ」の歌詞に、控えめな振りなのが不思議でした。何だか、口では「もっとふれ」と言いつつ、実際には控えめな行動しかできない心を演じているような感じがしたのです。

 

『舟唄』と映画『駅 STASION』

私の場合、八代亜紀さんで一番印象深いのが『舟唄』です。1979年5月リリースですが、高校時代に観た映画『駅 STASION』(1981年)の挿入歌としての記憶が鮮明です。

高倉健倍賞千恵子のやりとりは、強く印象に残っています。船の欠航で仕方なく入った居酒屋で、客と女将として出会った二人。初めて同士なのに、お互いにどこか慣れ親しんだ夫婦のような話しぶりや寄り添い方。八代亜紀の名曲「舟歌」をしんみりと聞ける間合い。これが大人の男と女なんだなあ、なんて思ったものです。

お酒はぬるめの燗がいい

舟唄が流れる場面で、倍賞千恵子が「この唄好きなの、わたし」と言ってから、二人の距離がぐんと近づいた印象があります。それまで歌一つで、人の心が揺れたり、親密さが増したりなんて、嘘っぽく感じていましたが、ああ、そういうこともあるんだなと納得のシーンでした。

 

演歌というジャンル

80年代の音楽番組は、演歌もフォークも、ニューミュージック、ロック、J-POPもどれもが良い具合にミックスされていた感じがあります。そのため、演歌をとりわけて聴いていたわけでもありません。フォークシンガーが作詞作曲した楽曲を演歌として提供することもありました。そんな感じで、どれもありでした。

 

八代亜紀さんも、「演歌の代表歌手」なのは間違いないと思いますが、後に演歌の枠を飛び越え、アニメソングやジャズでも活動していたイメージです。いろんな場面でにこやかに歌っていた姿が思い出されます。

 

八代亜紀さん、素敵な歌をたくさんありがとうございました。

安らかにお眠りください。