tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

近況2.病院での緩和ケアと自宅での緩和ケア

前回、私がツレ(連れ合い)のお父さん(以下、ツレ父)の自宅に介護に入っている近況を書きました。

 

 

ツレ父が自宅を選んだ理由

ツレ父のがんが見つかった時点で既にステージ4。治療による完治は難しい上、身体や認知機能の衰弱も進んでいたので、無理に治療をすれば、逆にツレ父らしく生きられる時間が削られる可能性が大きいとの話でした。それも大きな理由ですが、ツレ父が自宅でのケアを希望したのには、それ以外にも理由がありました。

 

私がツレと付き合い始める前の話です。

ツレのお母さんもがんを患い、入院して抗がん剤によるがん治療を行っていたのですが、かなり辛かったようです。途中から緩和ケアに切り替えて、一度は自宅に戻ったものの、再入院して病院で亡くなったそうです。本人の希望で入院しての緩和ケアだったのですが、抗がん治療で身体が弱っていて、かわいそうだったとの話を聞いています。

 

そんな経緯もあって、抗がん治療も、病院での緩和ケアも避けて、自宅でのケアを選択したのではと思います。

 

私の母が入院しか選べなかった理由

「最近、味がよくわからなくなってきた。」と母が調理に不安を感じ始めた頃、ガスコンロを電気式のIHコンロにしました。火の管理の失敗を恐れてのことと聞きました。

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先見の明のIHコンロ

認知症アルツハイマー)の診断が出たばかりの頃、父は、温泉やドライブが好きな母のために、母の知り合いも同行して面倒を見てもらいながら温泉巡りや、紅葉狩り、花見などにも出かけていたと話していました。どこに行ったのか理解できなくなった母も、まだ、「きれい」と微笑むことはできていたそうです。

 

その後、母の認知症が進む中で、父はほとんど一人で自宅介護に奮闘していました。私は積極的に介助サービスを受けるよう勧めましたが、父は母をデイケアサービスに預けて束の間の安堵を得ることさえ、どこか後ろめたさを感じていたそうです。

また、それまで料理をほとんどしてこなかった父が、みそ汁など幾つかの料理を作るようになりました。お惣菜を買ってくることが多かったようですが、少しでも作ったものをと考えていたのでしょう。

帰省した折、私がきんぴらごぼうを作っていると、「上手いこと作るなあ。こんなに細く切れるのか」と父にほめられたことがあります。そんなに細く切れていた訳ではないですが、父自身が切った時と比べたのでしょう。それまで、母にも私にも、味について感想を言うことはあっても、調理方法に何か言うことはまずなかったので、驚きました。

この頃はまだ、私の隣で母が手伝うこともありました。焦げて黒い玉子焼きができたこともありましたが、失敗より、まだなんとか料理ができることの方が嬉しかったです。IHコンロでなかったら、恐くてまかせられなかったかも知れません。母の先見の明に感心したのを覚えています。 

 

その後も、少しずつ少しずつ、母の症状は進みます。

トイレの度に廊下やトイレのふたに漏らしていた話、目を離したすきに勝手に外に出て行ってしまった話、夜中に起きて自分の便を壁に塗って遊んでいた話などを聞くようになっていきます。私も、さすがに公的なサービスを受けたり、施設に入ってもらうことも積極的に考えるようアドバイスしました。

父による介護は限界に達していました。当時、私は県外で仕事をしていましたし、兄も忙しくてなかなか対応できませんでした。そんな訳で施設への入居しか選択肢がなかったのです。

程なく母の介護度が上がり、紆余曲折もあったものの、何とか介護施設に入居することができました。それが8年程前のことでした。

 

数年は施設で元気に過ごせていたのですが、長期にわたる発熱などには対応できず入院することが出てきました。やがて病気で施設と病院を行ったり来たりするようになっていきます。そして、去年夏に入院した後、年末に病院で最期を迎えたのでした。

 

どちらが良いかで比べない

緩和ケアを病院で受けた方が良いのか、自宅で受けた方が良いのか、簡単に答えは出せないと思います。患者の状態や思い、家族の状況や願いを始め、様々な要因があるし、その重みも家庭によって違うのですから、個々で判断するしかないと思います。

  

母の認知症がわかって以降、私の介護施設や在宅介護への関心が高まり、テレビ報道や新聞・雑誌、漫画、ネットの情報などよく見るようになりました。

最近は、病院と自宅のどちらが良いかより、どんな緩和ケアを目指したいかが大事だと考えるようになりました。

 

そんな時に、ツレ父の介護の助っ人を頼まれたのです。

引き受けたのは、私が母にできなかった自宅での介護を、ツレ父にしてあげたいという思いもありました。大したことができる訳でもないですが、何かの足しくらいにはなるだろうと考えたのです。

 

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突然ですが、実は昨日の午後、ツレ父が自宅で亡くなりました。

この記事は、その後に少し書き足しての投稿です。

 

前回の記事を投稿した後、ツレ父は食事も水分もほとんど摂れなくなり、ツレと一緒に見守るしかありませんでした。訪問看護師さんを呼んで様子を見てもらい、担当の医師に連絡。でも、手の打ち様も無く、静かに息を引き取りました。

 

今は、ただただツレ父のご冥福をお祈りします。

 

書きかけの他の記事をどうするかについては、また後日お知らせします。

 

(続きの記事)