実家に帰省してから、ほぼ毎日、食事を作っています。
調理のミス
親子丼を作っていて、砂糖と塩を間違えてしまったことがあります。実家では、普段の調理でもグラニュー糖を使うことがあり、その感覚で塩を入れてしまったのです。
高校時代、母がお弁当を作るときの間違いと同じパターンでした。
ちょっと苦笑しつつ、加熱した鶏肉や玉ねぎを捨てるのも気が引けて、具をザルに移して水洗い。幾らかの塩気は残ることは覚悟の上で、改めて出汁を作り煮立てます。仕上げに溶き卵を投入し幾らか加熱した後、1分ほど蒸らして完成です。
父にはこの経緯を話し、食べられないなら別のものを作ると言いました。実際、具に塩気はあるものの、出汁と卵の甘みもあるので何とか食べられるかなという感じでした。
余計な一言
父は一口食べて、ちょっと塩辛いが食べられるとのこと。よかったと安堵したところに、「腹に入ったら味はどうでもいい。」と付け足しました。
父としては、私のミスをかばうつもりで言ったのかも知れませんが、これは作り手の気持ちを無視した余計な一言です。かつて度々、母を怒らせた言葉でもありました。
この一言で、高校時代の記憶が蘇りました。
納得の一言
「どうでもいいなら、もう作らない!」
母がそう反論したことがあります。少しでも美味しく食べられるよう、食材選びや切り方、加熱の程度、味付けなどに気を配っているのです。母は昆布やカツオ節を使って出汁をとっていました。私は出汁にほんだしを使う手抜きですが、母の反論には納得できるものがありました。
甘過ぎる、辛いなどであれば対応の仕方もあります。でも、どうでもいいと言われたら調理自体を否定された感が満載になるのです。そう言われて、どうして調理する気持ちが湧くでしょう。
食べてくれただけで良し
それでも、母は調理を放り出すことなく作り続けていたのですから偉いです。一方で、父は反論されたことを忘れてしまうのか、不意に余計な一言が出してしまう癖が治りません。母が亡くなった後でもそれが続いていることにやるせなさを感じてしまいました。
それでも、この時は砂糖と塩を間違えた私には、負い目もあって、食べてくれただけで良しとして水に流しました。
好みの味の見つけ方
作った調理にあれこれ言われたくない人がいることは知っています。一方で、少しでも相手の好みに合う調理をしたい人もいます。また、出された調理を黙々と食べる人もいれば、調理についての感想を言いたい人もいます。この辺りのバランスは難しく、それがうまく合わないと不満を感じたり、口論になったりします。
また、調理について話して欲しい、欲しくないは、そのタイミングや気分で変わることも多いです。忙しさや、疲労度、予定の有無、嫌なことがあった、喧嘩中かどうか等、変化の要因は様々です。
そんな中、「口に合うかどうか食べてみて。」と味見を頼まれると、どう答えたらいいかと迷うことがあります。
「自分の好みの味かどうか」だけでなく「相手が望む返事かどうか」も含めて二種類の判断を同時に上手くこなさないと、気まずい空気になるからです。
「美味しい」が正しいのは75%
調理した人が絶対的な自信を持っていてドヤ顔で言っている場合はわかりやすいです。でも、内心は味に自信満々なのに、相手の反応を試したいという場合は要注意。また、味には自信が無いのに、美味しいと言ってねと期待している場合も配慮が必要です。
それでも、上記の3つのパターンは「美味しいよ」と返事すれば納得してくれます。うっかり「美味しくない」「不味い」等としなければ、まず大丈夫。
しかし、本当に味に自信が持てなくてアドバイスして欲しい場合、安易に「美味しい」と返事してしまうと、逆に悩ませてしまうことがあります。欲しい返事は「美味しい」でも「美味しくない」でもなく、その理由や改善方法だからです。
ここまでの4つのパターンを整理してみます。
- 味に自信が有り、欲しい返事が明確な人の本音(美味しいと言いなさい)
- 味に自信が有り、欲しい返事が不明な人の本音(美味しいと言うはず)
- 味に自信が無く、欲しい返事が明確な人の本音(美味しいと言って欲しい)
- 味に自信が無く、欲しい返事が不明な人の本音(味の可否より理由が知りたい)
味見を頼んで美味しくないと言われたい人はいません。欲しいのは「美味しい」という返事か、「美味しくする手掛かり」です。確率的に「美味しい」の正答率は75%ですが、パターン4の場合は少ないと思われるので、正答率はもっと上がりそうです。味見を頼まれたら返事は「美味しい」の一択と決めている人がいるのも納得できます。
何にせよ、「どうでもいい」という回答はあり得ません。
作り手の思い
母はパターン4の質問が多かったです。よく悩みながら作っていました。
野菜炒めの加熱具合や味付けを気にしていたことも、味見を頼まれ「これは美味しい」と返事したこともありました。
それを食卓に並べて「好みの味かどうか食べてみて。」と母が言うと、父はいきなり食卓のウスターソースをドボドボとかけたのです。
私と母は唖然としました。母がどうしていきなりソースをかけたのか聞くと、父は
「野菜炒めなら、ソースをかけて食べるのが当たり前だろう。」
質問に憤慨している風に答えました。さらに
「魚だったら醤油だ。」
と、また余計な一言を付け加えます。
その後、数日喧嘩状態でした。母は味付けをしない野菜炒めや、茹でただけのおかずも出したように思いますが、記憶に自信はありません。
ただ後に、時折ですが、父が「これには何をかけたらいいんだ?」と聞くようにはなりました。母、強し。
歴史は繰り返す
先日、麻婆豆腐を作っていた時のこと。
父の好きな辛さ具合が私と違うのはわかっていたので、豆板醤の量を少なめにして作りました。仕上げに水で溶いた片栗粉を回しかけ、全体をゆっくり混ぜます。
父が不思議そうに、何をかけたのかと聞いてきました。
水溶き片栗粉を入れると、とろみがつき、味も良く絡むようになると説明。
父はなるほどと感心した様子ですが、これまでにも何度か説明したことがあるので、また忘れてしまうかもと、内心で思っています。
父の思い込みは片栗粉ようには溶けてくれず馴染んでもくれません。
CPAP使用、もうすぐ2ヵ月
睡眠時無呼吸症候群の重症である父が治療器具CPAP(シーパップ)も使い始めてもうすぐ2ヵ月です。さすがに「CPAPを着けて寝れるはずがない」という思い込みは溶けたようで、着けても眠れる、着けた方がよく眠れるという感じになれたようです。そのせいか、寝付くまでの時間も短くなってきました。
最近は、一人でもCPAP着けて寝れるという思いがあるようで、私に傍らで眠るまで見ている必要はないと言ってきます。でも、鼻のフックが外れていると装着に手こずったり、口止めテープやCPAPのスイッチONを忘れたりするのは相変わらず。それでも一人で大丈夫だと言い張ります。私としては大丈夫と言い張る姿より、何も言わずにスムーズに寝付く姿を見たいのですが、そうなるにはもうしばらくかかりそうです。
さて、麻婆豆腐の辛さ具合について聞くとこんな返事でした。
「辛くても甘くても腹に入れば同じだ。」
また、そんな返事か…とがっくりしつつ、とりあえず食べているなら良しとしました。
調理の意欲を奪われても作り続けた母に思いを馳せ、やる気が出ないときのやる気の出し方、身につけたいものです。
今週のお題「やる気が出ない」