もう45年ほども前の話です。
確か、私が小2の冬休み中、ずいぶん寒い日のことでした。
滅多に仕事を休まない母が、高熱で仕事を休むことになりました。
自分で電話をかけたら仮病と思われるかもしれないとのことで、私が母の職場に電話をかけた記憶があります。
後から考えれば、きっと、インフルエンザだったろうと思います。
うつりやすい病気だから母の寝ている部屋に入ってきてはいけないときつく言われていました。
母は朝から食事もとってなかったので、私はふすま越しに「何か食べんといかん。」と何度も話しかけていましたが、
「今は食べれん。」との返事がくるばかりでした。
私の心配は募る一方で、半泣きになりながら、兄に「母ちゃんが死んでしまうかも知れん。」と何度も話していました。
その声が母に聞こえたのでしょうか、昼頃になって、ふすま越しに声をかけられ、ふすまを少しだけ開けて話をしました。「焼きそばを買ってきて欲しい。それなら食べれると思うから。」というようなことを言ってくれました。
当時、住んでいた家の近くに、馴染みのお好み焼き屋さんがありました。
そこで作ってもらった焼きそばは、母も好んで食べていたように記憶しています。
お金の入った財布を手にした兄と私は、家を飛び出し近道の空き地を突っ切り、店まで走って行きました。
「早く母ちゃんに食べてもらわんと、母ちゃんが死んでしまう。」
その時は、本気でそう思っていました。
出来上がった熱い焼きそばは透明のパックに入れられ、それをビニル袋に入れて持ちました。帰りも空き地を突っ切って走っていました。
どんどん先を走る兄に「待って~。」と言ったときのことです。
石につまづいたか、凍った地面で滑ったのか、私は大きく転んでしまったのです。
その拍子に、焼きそばは、袋からも、入れ物からも飛び出してしまいました。
どうしていいのかわからないのと、転んで痛いのとが合わさって、大声で泣きました。
「母ちゃんが死んでしまう・・・。」
兄は、大丈夫だと言ってくれました。
「食べないよりは、食べた方がいい。食べなかったら死んでしまう。」
それが咄嗟に考えた私と兄の結論でした。
そして、冬の冷たい地面に落ちた焼きそばを手でかき集め、入れ物に戻してそれを袋に入れ、慎重に走りました。
「ほんとにこれを食べて大丈夫かな?」「でも、早く食べないと母ちゃんが死んでしまう。」「正直に話した方が良いかな。」「でもそれで食べてくれなかったら…。」
いろんな思いが交錯していたのは覚えてますが、その焼きそばをどうやって母に手渡したのかは思い出せません。
続きの記憶は、ふすま越しに冷たく私を呼んだ母の声からです。
入ってはいけないと言われていた母の部屋に入り、正座をしました。
「母ちゃん、まさか病気なのに、こんな石の入った焼きそばをもらうとは思わなかった。」
母は涙をこぼしながらそんな話をしました。
私がどう答えたのかは覚えてませんが、続いた母の言葉が忘れられません。
「母ちゃんは、焼きそばなら食べると約束したから、今からこれを食べる。そこで見ていなさい。」
そんな言葉です。
でも、言葉以上に脳裏に焼き付いているのは、母がその石入りの焼きそばを力強く噛んで食べている音。
ガリッ。ボリッ。ガリッ。
それを飲み込みます。
ごくん。
そしてまた、
ガリッ!ボリッ!ガリッ!
もう、見てはいられません。聞いてはいられません。
たまらず大声で泣いて謝りました。
でも、母は、「約束は守らんといかん。」と言って食べるのを止めません。
ガリッ!ボリッ!ガリッ!・・・
ガリッ!ボリッ!ガリッ!・・・・・・
後はもう、その音が続くばかりの記憶になっています。
その後、そのことで母に叱られた記憶はありません。
ほどなく母の病気も治っていきました。
その時のことでお腹を壊したこともなかったように思います。
成人してから何度かこの話を母にしたことがありますが、
「そんなこともあったなぁ。でも、もう忘れた。」みたいに言われるばかり。
もう母は亡くなっているので確かめようがありません。
兄に聞いても同様で
「あの時は、母ちゃんが死んでしまうと本気で思った。」
とは言うものの、小石を噛む音がどれほど大きかったかははっきりしません。
20歳過ぎの頃までなら、稀に飯粒の中に小石が混ざっていて、ガリッと噛んでしまうこともあり、その度思い出していましたが、今はほんとになくなりました。そのせいか、石入り焼そばを思い出すこともずいぶん減ったように思います。
でも、いい加減な気持ちで約束をしてはいけない。
「約束は、石より硬くするもの。」
口ではなく、態度で教えてくれた母に感謝です。
ただ、守れなかった約束は、今まで何度もあります。いえ、むしろ守った約束より守れなかった約束の方が多い気もします。でも、「石にかじりついてでもやる」との言葉は、今なお、言葉ではなく音で感じられるのです。
今週のお題「感謝したいこと」