tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

ホッテントリしてました

何かと気忙しい師走ですが、ちょっといいですか?

実は、もう2カ月近く前になりますが、こんなツイートをしてました。

 

 

その後、人気エントリー入りしたようで、その際のスクリーンショットです。

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暮らしの人気エントリー(2021年10月12日)

この記事です。

はてなブックマーク人気エントリー、俗に言われるホッテントリ。「総合」ではなく「暮らし」です。どういう経過で載ることになったのかは不明ですが、今までとは段違いでアクセスが増えました。

 

時間ごとのアクセス数を見ると、12日午前7時の77が最高で、1日では10月12日で555になりました。どちらもゾロ目。これまで最高で1日100超えが精一杯だったブログなので、異常事態なのがグラフでもわかります。

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アクセス数とアクセス元

アクセス元サイト1位が「はてなブックマーク」で48%まで伸びたのも特徴的。いつもなら1~3%くらいなので、ホッテントリのなせる業でしょう。

 

他のブロガーさんから、エントリーされるかもと思った記事はそうならず、思いがけない記事がエントリーされるという話は聞いていましたから、掲載の経緯は深く考えずに、素直に嬉しいとだけ思うことにしました。宝くじの5等くらいが当たったという感じでしょうか。

 

エントリーが話題宣言のシリーズ記事だったので、ひょっとして今後も続くかもとほんの少し期待もしましたが、あっさりスルーされました。その後は何もなかったかのように、100を超えたら珍しい日常に戻りました。田舎の街に一つだけ高層ビルが建った風。『未来少年コナン』の都市インダストリアの三角塔みたいに(わかります?)。こういうの、「三角塔現象」ってネーミングにしようかな。

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10月12日だけ突出したグラフ

ちなみに記事のブックマーク数24も新記録。

スターの数はいつもからすると多い目ながら、新記録ではなかったです。今現在でのスター数の最高はこの記事。ありがとうございます。

それにしても、1日のアクセスが1000を超えるとか、1万超えとか、どんな人たちなのでしょう?改めてちょっと想像できない別世界に思えます。

 

今後も私らしく、こつこつ、のほほ~んとしなやかに、したたかに記事を書き続けるのみです。ただ、今週のお題にはちょうどいい内容かなと。

2ヵ月前を「最近」と言えるかどうかちょっと微妙ですが、ツイート後が放置状態で気になっていたので、報告を兼ねての記事でした。

 

 

 

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

近況24.父と紅葉ドライブに行ってきました

このところ、コロナが落ち着いてきているので、実家と自宅の行き来がしやすくなっています。ただ、オミクロン株を含めて安心はできませんが。

 

紅葉ドライブ

昨日、紅葉を見に行くのが好きな父のリクエストに応えてドライブに出かけました。ただ、山や渓谷等の有名どころはもう見頃を過ぎている頃。ネットで11月下旬から12月初旬で見頃な場所を探しました。

 

最初の目的地はJ寺。四国八十八カ所ではないですが、平地にあって紅葉も遅め。当初、父は行ったことがあると乗り気ではなかったものの、ややマイナーながらも紅葉の見どころになっているのならと了解をえました。

 

 

父の案内(1)

ナビ設定をしかけると、父が「案内する」と言い出します。そういう場合は要注意です。J寺は平地なのに山を通るずいぶん遠回りなルートを案内されます。気になりながら進んでいると、途中の山を指さし、この場所の紅葉も見たかったとのこと。それならそれで、最初に言ってくれれば不要な心配をしなくてすんだのにと思いましたが、その場所の地名を思い出せず上手く説明できなかったようです。ただ、やはり見頃は過ぎている感じでした。

 

父は少し前からよく来ていたと言います。昔はこの辺りはみかん畑だった、前はここにカラオケ喫茶があった等、いろいろ話してくれました。

「カラオケ喫茶はコロナが広がったから経営も大変になっただろうね。」

「コロナ?それは関係ない。退職して間もない頃の話で、今は店の人は亡くなり建物もない。」

そうでした。父の言う「少し前」「ずいぶん前」「昔」は退職しての21年分があてはまるのでした。よくよく聞けば、退職後、毎年のように母とこの辺まで紅葉を見にドライブしていたとのことでした。

 

父の案内(2)

以前、ドライブした時に

「あ、さっきのところ右に曲がってくれ。」

「え?!」

交差点を超えてからそんな風に言われることがありました。

そればかりか、曲がる交差点の手前で

「そこを曲がってくれ。」

「うん。右?左?」

「ここだ。」

「だから、右?左?」

「だから、ここを曲がれって…、ここ!ああ、行き過ぎた・・・」

後続の車もあるので不用意な減速、停止もできず交差点を過ぎて、しばらく走ってからUターンしました。

 

また、中央線の無い道で

「ここを真っすぐ行ってくれ。」

「うん。」と直進すると、

「なんで、真っすぐ行かないんだ?!」

と怒ります。

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真っすぐってどっち?

「え?直進したよ。」

「直進とは言ってない。真っすぐだ。」

???

「真っすぐってどういう意味?」

「真っすぐは真っすぐ。」

「別の言い方で言うと?」

少し考えてから出た返事は、

「……、いつも通る道。」

「こっちは初めての道なのにわかるはずがない。」

そんな感じ。もっとも、「真っすぐ右に曲がってくれ」みたいなことも言います。最近になってからの話ではないです。

 

父の案内(3)

全然別の日のドライブで、

「この辺りに神社があるはずだから、そこに行ってくれ。」

「どこにあるの?」

「近く。」

「どんなところ?」

「道端。」

埒が明かないので、神社があるはずという通りまで出てきて、

「この道を右?左?」

「それがわかったら苦労しない。」

結局、そこからまず左に折れて進んでいきます。

「見えたらすぐわかる。どんどん進んでくれ。」

でも、もう3kmほど進んだと言うと、

「逆だったかも知れん。戻ってくれ。」

Uターンして進んでいく内、先ほどこちらに曲がった交差点が見えてきました。

すると、そのすぐ手前で

「あ。そこを右。」

と見つけました。

「見えたらすぐわかるって言ってたのに。」

「さっきは見えてなかっただけだ。見えてないのに見つかるわけがない。」

と開き直ることもあります。

 

私が子どもの頃から、とぼけているのか、本当にそうなのか、わからないことは珍しくなかったです。

 

高校時代の話

父に頼まれた屋根のペンキ塗り手伝いの記事があります。

下の図で言えば、屋根をペンキで塗るとき、Aの部分を先に塗り、後からBの部分を塗るなどの工夫をしないと、身体の置き場所が無くなる、塗りたての瓦に囲まれてしまう等の事態になります。それを黙ったまま、私の好きな順に塗っていいと言っていたのです。

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屋根瓦のペンキ塗り計画

作業の途中でこれに気づいて

父に話すと、

「ほう、それに気がついたか。」

とニヤニヤ。ペンキの塗りたてを踏まないようにしてくれればそれでいいと言ってましたが、きっと私が気づくかどうか、試していたのだと思います。うっかり、下に降りられなくなるところでした。 

こんな調子です。

 

以前なら、笑い話だと思えていたことも、最近は、認知症の心配が絡んで、ジョークかどうかわからないことが増えました。厄介です。

 

お寺の紅葉

目的地のJ寺へも、右往左往しました。そこで、この辺りのはずだというところまできて、ナビで検索。寺はすぐ表示されたものの、細い道が多くどの道から寺に入れるのかよくわからず苦労しました。結局、新しい道になっていたとわかり到着できました。父に言いたいことはいろいろありましたが、せっかく楽しみに来たのだからと、ぐっとこらえます。

 

何より、紅葉の程度がよく、父もこのお寺でこれだけ紅葉が見られるとは知らなかったと満足気なのでよかったです。平日の隠れスポットらしく、じっくり、ゆっくり見て回れました。

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お寺の紅葉(1)

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お寺の紅葉(2)

紅葉を狙ったわけではなく、門などを撮った写真に写り込んでいたのを切り出しています。撮影も編集も未熟でペコンです。

 

一方、歴史的にゆかりのあるお寺だと分かったのも収穫でした。お寺の隣の墓地も見て、慶安の頃(1648年 – 1652年)の大きなお墓に驚きました。もっとじっくり見たいと思いましたが、お寺には石段も多くて父にはきつそうなので長居はやめました。トイレが見当たらないと言い始めてたので、戻ることにしました。

 

山へ紅葉を見に行きたい

トイレ後、父はまだ山にも紅葉があるかも知れないと言い出します。予想はしてましたが、坂や階段が気になって私からは提案せずにいました。でも、大丈夫だろうと言うので、少し離れた山の神社に行くことにしました。

 

すると、どうでしょう!前日の強い雨風のせいか、大量の落ち葉が一面に。

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大量の黄色い落ち葉

吸い込まれるように、黄色い落ち葉に立ち、落ち葉を踏みしめる音や感触を楽しみます。父の「待ってくれ」の声が遠くなっていくのは、私一人ずんずんと歩いているから。

 

父を残して歩いた報いでしょうか。突然、足がずぶずぶと沈んでこけそうになりました。そこの落ち葉の下はぬかるみになっていたのです。横を見ると大量の雨のせいと思われる小さな滝ができていました。ところどころに石礫も転がっています。

「こっちにきたらいか~ん!」

と父の歩みを止め、私はこんもりしている場所に飛び移りました。ところが、そこも単に葉っぱが積もっていただけで、下はぬかるみ。すんでのところで倒れずにすみましたが、そそくさと引き戻したのでした。

 

他のところも少し散策しました。石段や坂も難なくのぼれました。ただ予想外に、まだもみじは緑色が多く、赤く染まっていたのは先の方だけ。また、黄色い落ち葉もよく見ると緑がかったものが少なくありません。前日の風はかなり強かったのでしょう。

 

車に戻り、もっと上に行ってみようとなりましたが、しばらく行くと民家が途切れ、道には石というより岩に近い塊がごろごろ。パンクする心配も出てきて、ドライブというより冒険や探検という感じです。仕方なくUターンして帰ってきたのでした。

 

最近の父の様子

以前の記事にも書いたように、

CPAPを着けて普通に寝られることが続いています。うっかり外したまま寝てしまうことはまだあるものの、回数は減ってきています。

 

ふらつきが多かった頃は、階段や坂道を避けることも多かったのですが、今は多少であれば気にすることなく上り下りしています。

 

ただ、以前より寒くなってきたせいか、立ち上がろうとしたときに、腰や膝が痛むことが増えた気はします。とにかく、急に動き出さずにゆっくりで、と声をかけていますが、それでも、何かの拍子で痛みが起きることはあるようです。また、乾燥のせいか、大きなくしゃみをすることが増え、思わず大きく動いてしまうこともあります。転倒防止のために壁や家具に手をつける、座るなどしてくれるといいのですが、そうできないこともあるでしょう。

 

不安は尽きませんが、そんな中でも行って良かったと思えた紅葉ドライブでした。

 

 

今週のお題「赤いもの」

遊び42.マフラーを編んだら、世界が変わった話

編み物をしたことはありますか?

高校2年の晩秋、編み物の世界を知りたくて、マフラーを編んでみたことがあります。初めての挑戦でしたが、少しは冬を暖かくすごせるかもと夢は大きかったです。

 

実は、きっかけは某科学雑誌の記事でした。

「編み物は2進法の世界である」

とのこと。2進法はコンピュータの世界にも通じているという内容でした。これは是非とも編み物に挑戦しなくては!と思い立ったのでした。変な動機です。

 

※この記事は『tn40.ネタ帳20210115 5つの話題宣言

の「2.編み物の話」にあたる記事です。

 

 

入り口は2進法

2進法は結構身近な存在でした。テストで選択肢に悩んだ時に鉛筆転がしで決めたこともありますが、その鉛筆がこちら。

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鉛筆転がしの2進法

普通に数字にしたら鉛筆で答えを決めているのがバレバレなので、姑息にも2進法のデザインを考えたのです。1=□□■、2=□■□、3=□■■、といった具合。2進法なので白を1と考えれば1=■■□、2=■□■、3=■□□、としても使えます。2択なら黒が多ければ〇、3択なら黒が2つ並んだ場合、白が2つ並んだ場合、白黒がバラバラな場合等々。ま、2択なら1~3と4~6、3択なら1、2と3,4と、5,6でも良いですけけど。5択や4択の問題も、これは違うというのを外して2択か3択でやってました。

 

2進法に関心を持つ人は少ないと思っていましたが、この記事に手をつけたタイミングで、LSSさんが過去記事をツイートされていました。

意外と身近なのかも。記事を仕上げるようエールをもらった気がしました。(って、もうずいぶんと前の話ですが)

 

編み物と2進法

雑誌では「編み物のデザインは表編みと裏編みで作られている2進法の世界」とのことでした。それまで2進法は2次元の世界というイメージだったので、それを覆された感じがして、まだ知らない2進法の世界を覗いてみたくなったのです。

 

母は以前、編み物をしていました。私が小さい頃、青と緑の毛糸でセーターを編んでくれたことがあります。お気に入りの一着でした。緑や青が好きなのはこの影響かもと思うほど。

 

道具があると知っていたので、突然母に編み物がしたいと告げ、針と毛糸玉、本も貸してもらっての挑戦でした。

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初めての編み物 くさり編み

最初のくさり編みは雑誌の写真のようにできている気がしたですが、そこから先の編み目がやたらと複雑になってしまうのです。どうやっても写真のようにはなりません。表編みと裏編みだけしかないはずなのに、何で?としばらく格闘しましたが、何ともならず、母に質問しました。

 

「それ、針が違う。」

「え?針が違っても、編み目は表か裏しかないのに?」

「編み方が変われば、編み目が違うのは当たり前。」

 

かぎ針編みと棒針編みで編み目が違うことも知らずに、かぎ針編みでメリヤス編みに挑戦していたのです。この時になって「編み物の世界は表編みと裏編みしかない」を誤解していたと気づきました。

 

2進法の世界といっても、1と0、〇と×、■と▲等、どんな要素で構成されているかで見た目が違うのは当然です。どんなに1と0と駆使しても、■▲■▲にはなりません。かぎ棒編みで、メリヤス編みができない訳です。

 

ちなみに、かぎ針編みにも、表編みと裏編みがあります。ただ、その目の見分けは今もよくわかりません。

 

表編みと裏編み

ともかく。二本の棒針を借り直して、編み物再開です。

 

科学雑誌には、メリヤス編みと裏メリヤス編みの写真があったと記憶しています。違いが分かるよう二つをイラストにしてみました。イメージ的にメリヤス編みはVネック、裏メリヤス編みはUネックと憶えています。

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メリヤス編みと裏メリヤス編み

雑誌には「メリヤス編みは表編みだけでできる一番基本の編み方」とありました。

表編み、表編み、表編み・・・。

表編み、表編み、表編み・・・。

表編み、表編み、表編み・・・。

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表編み イメージ

ひたすらに表編みを繰り返しました。

交差する棒針は左手の棒針が上、右手の棒針が下になるように刺して編みます。

なのに、メリヤス編みの編み目にはならず、表裏とも裏メリヤス編みに見えるのです。後に、これがガーター編みと知りますが、その時はまだ裏メリヤス編みとの区別ができません。

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ガーター編み

表編みのつもりで編んでいたけれど、逆だったのかもと思い直して

裏編み、裏編み、裏編み…。

裏編み、裏編み、裏編み…。

裏編み、裏編み、裏編み…。

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裏編み イメージ

裏編みは、左手の棒針が下、右手の棒針が上に交差するように刺して編みます。

ひたすらに裏編みを繰り返しました。

結果、またしても表裏とも裏メリヤス編みに見えます。

 

何だ?これは??

表編みで編んでも、裏編みで編んでも、同じってどうゆうこと???

表編みと裏編みの2進法の世界のつもりが、表も裏も区別がつかないメビウスの輪状態になってしまったのです。

 

またもや挫折。表編みと裏編みしかない世界で、こんなに悩まされるとは思っていませんでした。棒編み経験のある人は私のミスに気づかれたかと思います。初心者あるある話です。編み方に表編みと裏編みしかなくても、編み物には表目と裏目があるのでした。

 

表目は表編みで裏目では裏編み

いろいろ確かめました。編み物のきっかけは科学雑誌でしたが、この段階になると母の持っていた編み物の本の方が頼りになります。本を発行していたヴォーグ社という名前もこの時に覚えました。結果、表目は表編みで裏目は裏編み、そうすることによって、はじめて表目が全部表編みのメリヤス編みになると理解できました。試したことは無いですが、表目を裏編み、裏目を表編みでもメリヤス編みになるはずです。(糸がねじれて変になる可能性はあります)

 

どうしてそうなるのか、理屈はよくわからないままでしたが、表目と裏目の見分けが大事だと肝に銘じ、棒針を持ち換えるたび、中島みゆきの歌を歌っていました。

「うら、みま~~~す♪」また「おもてみま~~~す♪」とも。その部分だけです。おかげで表目と裏目を確認する癖はつきました。とにかく表目では表編み、裏目では裏編みを心掛けたのです。

 

こうしてようやく、メリヤス編みに成功できました。

 

適度に編む難しさ

ただ、メリヤス編みはできたものの、かなりいびつでした。編んでいる途中、編み目がきつくなって棒針を刺すのに苦労したり、編み目に刺したつもりが糸の撚(よ)りの間を通してしまったり、逆にゆるゆるで編み目の隙間が目立ったり。或いは、編み目を飛ばしたり、糸が変にねじれてしまったり。失敗の連続でした。

 

これも、これまでイメージした2進法とは別世界でした。メリヤス編みができても、どんな風に編んだかで仕上がりの感じは全然違ってくるのです。適度に編み続ける難しさを知り、セーターを編んでくれた母が偉大に思えました。

 

そうなる理屈

私の場合、理屈がわかっても頭でイメージができないと分かった気がしないという癖があります。表目では表編み、裏目では裏編みの理屈をきちんとイメージできるまであれこれ考え、こんな思考に到達しました。考えついたのは大学院時代です。

 

まず、透明のガラス板をイメージしてください。今は表目から見るとします。

編むとはオセロの駒(表が黒、裏が白)をガラス板に貼り付けることと考えます。

表編みは、黒が見えるよう、ガラスに白い面を押し付ける編み方。

裏編みは、白が見えるよう、ガラスに黒い面を押し付ける編み方。

下のイラストはこれを元にしました。赤矢印の側が表目、青矢印が裏目です。

 

表目も裏目も、表編みをし続けると、イラストの上段図のように黒の列と白の列が並んでしまいます。逆に裏編みをし続けると、最下段の色が変わっても、結局黒白が並んで見えるのは当たり前の話です。

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表目は表編み、裏目では裏編みのイメージ

下段図は、表目では表編み、裏目では裏編みをした場合です。

こうすると表目からは全部が表編み(黒が見える)状態になります。これがメリヤス編みだと考えました。もちろん、これを裏目から見ると全部が裏編み(全部が白)状態=裏メリヤス編みとうわけです。

 

それまで私のイメージの2進法には表裏の概念がなく、机に置いた方眼紙マスを黒でぬるかぬらないかの二者択一でした。でも、編み物には表裏があるので、それに合わせて表編みと裏編みを使い分ける必要があったのです。これで、すっきりできました。

 

本当に「編み物は2進法の世界」か?

この時になって疑問を持ちました。科学雑誌にあった記事は、編み物の経験の無い人が理論的に編み物を語っただけじゃないかと。適度な編み方を続ける苦労を知っていれば、「編み物は2進法の世界」と単純に言い切らないはずだと思ったのです。

 

2進法の世界は、他の条件を考慮せず、ある一点のみのデータに注目する特殊な世界に思えました。「理論と現実は違う」そんな理論が現実味を帯びて感じられました。それまでシンプルだった2進法の世界が、がらりと大きく変わって見えたのです。

 

でも、後に「現実は正しい理論からは逸脱できない」のも確かに思えました。表編みと裏編みの中途半端な知識だけで始めた編み物ですが、表目と裏目、力加減、糸のねじれ等を意識したから、いびつながらも一応メリヤス編みに辿り着いたのです。これらを意識(理論化)できていないままだときっと編めなかったでしょう。

 

「理論は現実から生まれる」のも確かです。後に科学雑誌が説明不足だった気はしましたが、恨みはしていません。むしろ、実際に編んでみて「うらみます」「おもてみます」の区別が必要だと気づけたのは収穫でした。雑誌の理屈の上に現実で得た理屈を重ねて編めたのです。理論(意識)が現実に合わない場合、その理由を見つけて再び意識(理論化)する。それが大切なのでしょう。

 

結論的には、「編み物は2進法の世界」は正しいと思っています。目を飛ばすとか糸を捩じるとかの場合はあれど、編み方に表編みと裏編みしかないのは事実です。問題は2進法ではなく、私のイメージの貧弱さでした。編み物はそれを教えてくれた気がします。

 

あったか~いを感じた日

その後もマフラー編みは遅々として進みませんでした。最初は失敗しても毛糸を解けば大丈夫だと、毛糸を解くのを幾度も繰り返しました。でも、そうする内に毛糸は傷んできます。毛羽立ちが増え、糸の撚りにすき間ができて棒針も刺しにくくなります。

 

結局、年を越しても思ったようなメリヤス編みマフラーは完成しませんでした。長さこそ1.5mくらいになりましたが、どうしても編み目が詰んでしまって、しなやかなではないのです。見た目もかなり歪んでいて、広げるとあぶったイカのようにグニャグニャで、凸凹もありました。しかも力を入れていたせいか、手汗もかなりついたようで、白に近かった糸はうっすら赤茶けてる感じです。結局、糸をくれた母に謝って使うことなく捨てることになりました。

 

ようやく見た目にマフラーらしい作品が完成したのは大学院時代。なかなか編む機会が取れず、7年越しで完成。母はまだ未熟さが見て取れる作品を見て「ようやくできたね。」とだけ言ってくれました。つれない言葉でしたが、そう言いながらも、あったか~い目が、頑張ったねと言ってくれているようでした。

 

その後、滅多にマフラーをしなかった私がマフラーをして出かけるようになったある日、どこに置き忘れたのか行方不明になりました。これもマフラーあるあるですね。その後、編み物はしていません。いろんな模様を作るには至りませんでしたが、私の貴重な体験となっています。

 

 

今週のお題「あったか~い」

 

【注意!】「〇〇運輸より…宛先不明です…ご確認ください」の詐欺メール

怪しいショートメール

しばらく前の話です。こんなSMS(ショートメール)がケータイに届きました。

「やまと運輸よりお荷物を発送しましたが、宛先不明です、下記よりご確認ください。」

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スマホスクリーンショット(部分)

「やまと」とひらがなになってるところから怪しかったので、まず、SMSを送ってきた電話番号をネット検索しました。すると、今年9月下旬からこの番号を検索する人がいたこと、そこでの情報に「詐欺です」との注意や「私の場合は日本郵便からでした」等のメッセージがあったことがわかりました。

 

詐欺だと思いつつ、リンク先がどうなっているのかの興味もあって、タップしてみました。

 

 

巧妙な偽サイト

すると、こんな偽サイトが出てきました。

偽サイトでは「ヤマト」運輸になっています。

上下に長いので、二つに分割しています。

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偽サイトのスクリーンショット(上半分)

 

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偽サイトのスクリーンショット(下半分)

疑ってかかっていたので、アプリのダウンロードはタップせずに、お知らせ一覧、ニュースリリース一覧をタップしてみました。でもその先はリンクが切れているらしく表示されなかったです。

 

それにしても、ダウンロードボタンまでの内容が、かなり巧妙に思えました。「次の運び方をつくる」との企業ポリシーやロゴ、カラーイメージも踏襲しています。もし、疑わずにこの偽サイトを訪れたなら、そのままダウンロードボタンをタップしてしまいそうです。

 

ヤマト運輸の呼びかけ

ヤマト運輸では、こうしたメールや偽サイトに対して、どのよう対策をしているのかも見てみました。

www.yamato-hd.co.jp

そこでのメッセージです。

弊社(ヤマト運輸)では、ショートメールによるご不在連絡やお届け予定のお知らせは行っておりません。
また、弊社ではホームページ、ならびにご不在連絡やお届け予定をお知らせする際に掲載するURLにおいて「.com」を使用しておりません。お受取り日時の変更や再配達のご依頼に関して、お客さまに対し弊社よりご請求することも一切ございませんので、ご注意くださいますようお願い申し上げます。

とのこと。また、ここではケータイのショートメールやパソコンのEメールの文例、なりすまし(偽サイト)例も紹介されています。

 

悪用されているのは他にも

悪用されているのはヤマト運輸のみならず、佐川急便、日本郵便でもあるようです。

セキュリティー上の対応も書かれていましたが、ちょっと私にはちんぷんかんぷんなところもありました。

www2.sagawa-exp.co.jp

www.post.japanpost.jp

宅配業者を騙る偽メールやサイトが急増しているようです。

 

詐欺メールの有害性

年末を迎えるので、いろんな品物の注文も増えそうで、被害も広がるかも知れません。そうでなくても、コロナ禍にあってネット注文は増えていると聞きます。直接の被害に繋がらなくても、各業者への問い合わせなどが増えれば、業務の負担にもなりそうで、何だか腹が立ってきます。

 

そうでなくても、届いた詐欺メールを見る時間も、不安にさせられることも、検索で確かめる手間も、煩わしいです。

 

もし、犯人を捕まえたことができたなら、その罰は直接の被害額だけでなく、送信されたメール数に応じて、刑を重くすることも考えて欲しいです。

 

詐欺メールの落とし穴

世に「こんな詐欺に引っかかった奴が悪い」という風潮ができてしまうと、被害者はますます肩身の狭い思いをすることになります。

 

私の勝手な想像ですが、今回の詐欺メールが

「ひらがなで「やまと」運輸だなんて、疑う所だろ。引っかかったのは自己責任だ。」

と被害者や不安になった受信者を馬鹿にしているように思えてなりません。或いは意図的に、そうした風潮を作り出そうとしているようにも思えます。(考え過ぎかも)

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詐欺メール送信者 イメージ

自分が引っかからないことはもちろん大事ですが、引っかからなくてよかったと安堵するだけで終わったり、こんなのに引っかかるもんかと鼻で笑ってすませたりするのも、詐欺メールの横行を許してしまう気がして、今回、記事にしました。

 

以前、不審サイトの記事を書きました。

驚かされたものの事なき?を得ましたが、こういうサイトが出てくるのはやはり不快です。これも、閲覧数があっただけ重い罪にした方がいいと思います。

 

「詐欺メールを送るだけでも許せない」「不審サイトがあること自体が不快」そんな風潮が広がって欲しいです。

 

嫌がらせや誹謗中傷のメールやSNSもきっと同じ。どこで悪意の有無を線引きするかは難しいですが、被害が出た時に発信数や閲覧数で罪が重くなるとわかっていれば、軽はずみな発信やネット炎上を面白がることに一定の自重が働く気がします。

 

私を含め、デジタル弱者が委縮せずにいられるデジタル社会になって欲しいです。

 

 

以上、お知らせでした。

特別お題 高校入学からの10年間で変わったこと・変わらなかったこと

2年目(高校2年)その1

「10年後は、どうしているだろうね。」

「そりゃあ働いてるだろう。20代後半だから、結婚していても不思議じゃない。」

17歳の少年二人の十年先の話なんて、そんな程度だった。どんな仕事とか、どんな相手とか希望はあっても、それを軽々しくは言えなかった。目の前の受験結果抜きに、10年後のことを考えても現実性はあまりに乏しかったからだ。

 

友人は、私の夢も知っていたはずだが、その実現の可能性には触れない。当時の私の学業成績では、かなり難しいことを知っていたからだろう。

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高校入学からの10年間で

 

 

1年目(高校入学)

三者面談

高1(15歳)の初めての三者面談。私、母、学級担任で進路相談をした。将来の夢とともに国公立大学進学の希望を話したら笑われた。一字一句までは憶えていないが「あはは。まあ、夢が大きいのは悪くないですが、大き過ぎる夢は苦しいだけですよ」みたいな話だった。そして「(三流でなければ)合格できる大学は無い」ときっぱり言われ「3年生では、三流大学か、就職かの選択になるでしょう。」とも予言された。

 

仕事を休んで来てくれた母には、「お子さんの進学を考えるなら、働くより勉強のサポートをした方がいい」みたいな話もあり、面談はわずか数分で終わった。

 

母によれば私達より順番が早い人達には15分、20分と時間をかけていたらしい。短時間で終わらされたこともかなり悔しかったのだろう、母がこの時のことを憤慨して話すことは幾度かあった。前は前、今は今と割り切ることが多い母にしては珍しいことだった。

 

実は高校入試の日にインフルエンザにかかった。午後の英語のテストでは、しばらく気を失っていた。不合格も覚悟したが、奇跡的に滑り込んだ。進学校だったが、珍しく定員割れだったからだろう。その時の成績も含めての進路相談だったので、母には、事前に大学進学は難しいと言われるかもしれないとは話していたが、さすがに先生から笑われるとは思わなかった。

 

ノイローゼみたい

ずっと後になって、母は当時の私がノイローゼになっているみたいに見えたと話したことがある。母の心配をよそに、私は何度も「大丈夫、何とかする。」と繰り返していたが、クラスに友人と呼べそうな人も作れぬまま、どこか浮いた存在になっていた。成績も振るわず、常に誰かに馬鹿にされるんじゃないかとびくびくしていた気がする。

 

高1のびくびく感は、これまでの記事でも幾らか感じ取れると思う。

今となれば、高校時代を灰色の時代だと感じていたのは、このびくびく感に起因していたと思う。ただ、それでも自分にできることをやっていたことが功を奏した気はしている。

 

授業でも、

文化祭でも。

というか、そうするしかなかった感じ。

 

2年目(高校2年)その2

成績は少し上がってきたものの、希望の大学進学はまだまだ遠い目標でしかなかった。模試での判定はDばかりで、いわゆる滑り止め大学でCといった感じ。(ABCDの4段階判定、Dは不可能に近い意味)そんな中での冒頭の会話だった。

 

「10年後は、どうしているだろうね。」

「そりゃあ働いてるだろう。20代後半だから、結婚していても不思議じゃない。」

 

なんて、追及を逃れるための精一杯の防波堤だ。幸いにして友人は、私が夢(大学進学~希望の職に就く)をあきらめたわけではないが、希望が叶うことはかなり難しい状況だと察してくれたようだった。

 

充実した高校生活とまでは言えないと思うが、自分の居場所、自分らしい立ち居振る舞いができるようになった頃だ。

 

自作の詰将棋を披露したこともある。

クラスの話し合いで、少数側の意見も臆せず述べたこともある。

同じ自分でも、びくびくしていた高1とは違う感覚があった。

 

2年の時の面接で、担任の先生は私の成績の位置だけでなく、伸びにも触れてくれた。「このまま頑張れば、高望みしないなら希望大学の合格圏に入る可能性はあります」とやんわり言ってくれた。もしかしたら、遠回しに夢をあきらめる助言だったのかも知れない。それでも、夢の糸の端の端に触れることができたと感じられ、救われた気がした。高校受験の際にも、中学の先生から似た言葉を言われたが、受験して高熱で意識を失いながらも合格できたのだ。

 

まだ、前を向いていていい。それが嬉しかった。

 

3年目(高校卒業)

高3になる前に、サッカー部はやめた。いろんな事情はあったが、やはり勉強時間の確保が一番の理由だった。

結果、勉強の時間は増えた。遊びの時間も増えた。緩やかではあったが、学習成績も上がっていった。

 

模試では、志望大学にCが、滑り止めにBやAがつくことが増えた。冬を迎える頃には、志望大学の本命ではない学科でBがついたこともあった。「高望みしないなら希望大学の合格圏に入る可能性」が現実になった瞬間である。

 

安心できる圏内ではなかったが、3年時の担任の先生は「不安はあるけれど、志望大学に挑戦するのもあり。」という風に言ってくれた。「三流大学か、就職かの選択」ではなかった。

 

結果、大丈夫だろうと言われた滑り止め大学を含めて、全部不合格で終わった。今となれば、それが良かったのだとも思う。もし、滑り止めに受かって、そこに行っていたならと思うとぞっとする。

 

進路は決まらなかったが、笑顔で高校を卒業したことを思い出せたのは、このブログを書いていたおかげだ。

ブログを始める前、高校時代は灰色のイメージだった。

自画自賛ながら、上の記事から一部引用しておく。

(高校時代は)まるで人生の綿埃のようだ。綿埃は一見、灰色である。しかし、その絡まった繊維を細かく見ていくと、そのほとんどは何某かの色を帯びている。遠目にはどう見たって灰色でも、それを作り上げている一つ一つは単純な色ではない。

 

4年目(予備校時代)

予備校時代も良く学びよく遊んだ。

 

受験の結果だけを書けば、大学の合格通知は一通も手にすることなく終わっている。二浪はしないと決めていたので、かなり落ち込んだ。ただ、本命の第2志望の学科であれば、定員割れが生じた場合に繰り上げ合格の可能性があるとのことだった。

程なくして、繰り上げ合格の電話が鳴った。もちろん、それを受け入れた。というか、受け入れるしかなかった。

ところが、数日後にまた電話が鳴った。淡々と「先日、繰り上げ合格の話をしたのですが…」と切り出され、まさかの合格取り消しかと心臓が止まりそうになったが、結局、第1志望の学科でも定員割れが生じたので切り替えるかという話だった。もちろん受けた。

 

今でも、あの時の担当者は、故意にあんな話の切り出し方をしたのだと思っている。おかげで天国から地獄、地獄から天国を数分の間に行き来した。

 

5~8年目(大学時代)

補欠の補欠で入学したが、大学時代は人生で一番順風満帆な時代だったと思っている。パズル雑誌も出せたし、(1度きり)

大学の行事(原爆パネル展など)であれこれ奔走したし、

肝心の学業は、卒業アルバムで卒論についてのインタビューも受けた。それなりの恋愛もあったし、充実感のある4年となった。

 

ただ、試験に弱いのは相変わらずで、就職試験は不採用。

どうしたものかと思っているところに、大学院受験の話があって、そちらは合格。

 

9~10年目(大学院)

意気揚々と大学院に入ったものの大学時代とは一転、苦難の時代を迎えた。

毎月の仕送りは無しになったので、お金にも苦労した。家賃等を除いて1日500円で生活しなくてはいけないこともあった。1年程、冷蔵庫のない部屋で自炊した。

 

学業ではとても無事とは言えないギリギリの成績しか残せずに何とか修了はしたものの、25歳になってまだ就職すら決まっていなかった。

 

高校入学10年で変わったこと・変わらなかったこと

変わったこと

高校入学から10年で大学院を修了した。住む場所も、友人もずいぶん変わった。でも、失ったわけじゃない。学習や体験、人間関係を積み重ね続けているという点ではずっと変わっていないとも思う。

 

変わらなかったこと

高校入学から10年たっても就職できないままなのは変わらなかった。試験本番にも弱いままだ。でも、それで何も得られなかったわけではない。高校に入学して毎日びくびく過ごしていた自分、受けた試験の中身、ものの見方考え方、ずいぶんと変わったとも思う。

 

あれから10年

そう言えば冒頭で、高2(17歳)の時の友人との会話を書いた。10年後を聞かれて

「そりゃあ働いてるだろう。20代後半だから、結婚していても不思議じゃない。」

と答えていたことにも触れておこう。

 

結果、27歳で結婚はできなかったが、高校時代に望んでいた職に就くことはできた。

25年働いて辞めることになったけれどね。

 

人生谷あり崖あり。

それでも山を目指したいものです。

これから先とこれまでの道を見るために。

 

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと