tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

高校時代、うどん屋さんと言えばここでした。

手打ちうどんと言えば、麺の太さが一定しておらず、ところどころ押しつぶされているというイメージがあったのは、このお店の影響。いえ、それ以上に、私のうどん好きは、きっとこのお店のおかげです。

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高校時代によく行ったうどん屋さん

讃岐うどん系統。出汁は、いりこだしの薄めであっさり。食べ過ぎたかなと思うくらいお腹が膨らんでいても、ついつい、最後までお出汁を飲んでしまうほど、優しくて後も引かれる味です。

麺は柔らかいですが、コシもあって、ゆるくはありません。口の中で麺が馴染んでくれるのが楽しくて、つい、にこにこしてしまいます。

 

あげの味付けが絶妙なきつねうどんも魅力なのですが、高校生であれば量もしっかり食べたくて、お気に入りは「ジャンボうどん」でした。細く刻んだあげが、多めでお得感を増してくれます。ねぎも存在感があり、サービスの天かすを入れて、七味をふりかければ、香りも彩りもよくなって、食べる準備完了。ただし、あわてて一気にすすると口の中が火傷をしてしまうこともあるので要注意。

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ジャンボうどんのイメージ

一緒に、おにぎり、いなりずし、ちらしずしなどを一皿付け加えることも多かったです。

 

40年近く前、何回通ったでしょうか。映画手帳にも、「今日はジャンボうどんを食べた」や「ジャンボうどんを食べ損ねた」等のメモが残っています。

実は、このうどん屋さんは、母が亡くなるまで入院していた病院の近くにありました。面会に行った際、昼食に父と一緒に立ち寄ることになりました。

 

トタン板を張り付けた店構えは、以前と同じ。一部が変色していて年月の経過を教えてくれます。のれんもかなり色褪せていましたが、さすがに何回か取り替えているでしょう。店内入り口付近のショーケースに、おにぎり、いなりずし、ちらしずしが並ぶのは当時のまま。いすや机も、同じ年月を経ている気がします。

 

正直に話せば、今の私は冷たく締めたしょうゆうどん派です。大学の友人に誘われて讃岐うどんを食べに行って以来、冷たいしょうゆうどんが一番のお気に入り。出汁に浸かったうどんは、食べてる間に伸びてしまうのと、熱くて一気に食べられないというイメージができてしまいました。

それで、久しぶりに訪れた時、まず、ざるうどんを試しました。しかし、麺が固く感じられ、以前のうどんとは別物の感じ。この店のうどんの魅力は、やはり出汁に浸かったうどんでないと味わえないと確信しました。

 

そこで、日を改めて訪れた時、ショーケースから、おにぎり(2個入り)の皿を一つ取り、ジャンボうどんを注文。高校時代の真似をしてみました。高校時代のジャンボうどんの値段は憶えていませんが、去年年末に行ったとき値段も500円以下でした。嬉しいコスパです。

 

食べ終えた時には、おなかがいっぱいになりました。この量を、間食として食べていたのですから、当時の食欲に少し驚きつつ、美味しい物をたくさん食べられた頃を羨ましくも思いました。

 

日を変えて、きつねうどんややまかけうどんも食べました。どれも納得の美味しさでしたが、ジャンボうどんの時の満足感にはかないません。結局、ジャンボうどんと、1皿のおにぎりを父と分けるのが定番の食べ方になりました。

 

母は去年年末に亡くなりました。でも、それ以降も、帰省した折、たまに父と昼食に出かけることがあります。長らく離れていた味ですが、母のおかげで再び身近な味となりました。

 

  

 

今週のお題「好きなお店」

「愛の反対は憎しみではなく無関心 」とマザー・テレサのバトン

「愛の反対は憎しみではなく、無関心」という言葉は、マザー・テレサの言葉と思っていましたが、違うようです。1981年に彼女が来日して以降、広く知られるようになったことで誤解されたのだとか。

 ↓ 参考URL

ameblo.jp

 

その辺の真偽はともかく、この言葉とマザー・テレサは思春期の少年の心に深く突き刺さりました。

一つは、無関心、つまり知らないままでいることの恐さとして。

もう一つは、対義語の考え方の新たな切り口として。

愛の反対は憎しみだと思い込んでいた当時の私にとって、言葉の次元が変わったように思ったのです。

 

 

愛と憎しみ

図にするとこんな感じでしょうか。

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愛の反対は憎しみ?

Aの位置から見ると、愛と憎しみは真逆です。わかりやすいです。

 

愛と憎しみと無関心

しかし、「愛の反対は憎しみではなく、無関心」となると、「憎しみ」と「無関心」が入れ替わるのでしょうか?いいえ。そうではなく、見る場所が違うのだろうと思いました。図にするとこんな感じです。

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愛の反対は無関心と憎しみ?

つまり、Bの場所から見ると、「愛」の反対側に「無関心」があると見えるという訳です。ひとまず、私の中ではこれで納得できました。

でも。「無関心」の軸の逆方向、?の場所には、「関心」があるはずです。では、「愛」と「関心」は類義語の関係があるのでしょうか。確かに愛があって関心がないというのはあり得ない気がします。

でも・・・。強く愛していたからこそ、裏切られた時に強い憎しみに変わるという言い方も聞きます。つまり、愛と憎しみは感情としては真逆の関係でしょうが、その強さで言えば相関関係にあるとも言えそうです。

となれば、強過ぎる関心と異常に強い愛=溺愛は、対立関係に見えることがあるかも知れません。関心が強過ぎる故に相手を束縛することになり、強い憎しみになることもある気がします。そんな風に考えると「無関心」と「憎しみ」の間に立って、「愛」と「関心」の方向を見れば、対義語になることもあるかも知れません。考えようによっては、関心が強過ぎる溺愛と薄すぎる博愛は対立関係にも見えそうです。

図にすればこんな感じ。

 

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B’から見れば、関心と愛は対立して見える?

 高校時代、私の中で「愛」と「憎しみ」、そして「無関心」と「関心」はこんな感じの図になっていました。そして「愛の反対は憎しみではなく無関心 」は正しい、しかし、「愛とは強い関心である」や「強い関心が愛である」とは言えないと考えました。漠然と理想的な愛は難しく、ゆえに素晴らしいなんて結論付けていました。

 

 見る立ち位置を変えるみるということ

 こうした発想は、さらに言葉の考え方を広げてくれました。

上では最初に「憎しみ」と「愛」の軸から見ましたが、逆に「無関心」と「関心」の軸から考えるようにすると、次のような考え方も成り立つように思います。

無関心でいるか、関心を持つかは確かに大事なことである。しかし、そこで得た情報に愛があるかどうかで、その情報は「憎しみ」の増大にも「愛」の増大にもなり得る。

そんな感じ。

この軸は、文明や技術等にも通じそうです。人間の生活に欠かせないはずの文明や技術も、その有無や量、質だけに固執すると、人間の生活を脅かすことになっても追求してしまうことがあります。人間の生活を考える時、暮らしやすさや、安心、安全等、他にも欠かせない軸があることを見失ってはいけません。

 

マザー・テレサ

「愛の反対は憎しみではなく無関心」は、調べ直すまでマザー・テレサの言葉だと思っていました。それが間違いと知って少し驚きましたが、だからと言って彼女の功績が薄れる訳ではありません。

 

  • 平和は微笑みから始まります。
  • この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。
  • 私たちは、成功するためにここにいるのではありません。誠実であるためにここにいるのです。
  • ノーベル平和賞受賞のインタビューで「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサは、「家に帰って家族を愛してあげてください。」と答えた。

 

見る軸を変える、自分の価値観と違う価値観から見てみるーー。

そこから初めて見えてくるものがある。彼女の言葉は、それを教えてくれた気がします。それは彼女の宗教と無縁ではないかも知れませんが、宗教の枠にとらわれない普遍性が根っこに在るように思います。

 

「無関心」への警告は、マザー・テレサから始まったと思っていましたが、そうではなかったようです。でも、高校生だった私に「無関心」の警告バトンを渡してくれたのは、マザー・テレサであることに変わりありません。

 

 

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<余談 「無関心」に言及した言葉>

1979年、マザー・テレサノーベル平和賞を受賞します。そして1981年に訪日。その前後から、マスコミを通じて彼女のことを知ることが増えていきました。上述のブログによると、

1981年 ACジャパン(旧 公共広告機構)が、マザー・テレサを登場させるCMを流す

        →https://www.youtube.com/watch?v=VM9zoIyAEV0

www.youtube.com

「すべての人が幸せになる。これを邪魔している最大の敵は、私達の心の中に住む隣人の苦しみ、痛みへの無関心ではないでしょうか」(ロングバージョン)

私たちの敵は無関心です(マザー・テレサ)|広告作品アーカイブ|ACジャパン

から、間違われたのではないかということらしいです。

 

「愛の反対は憎しみではなく無関心 」

この言葉を最初に使ったのは、A・S・ニイル(1883年 - 1973年、イギリスの新教育運動の教育家)のようです。

 

また、

「人々の無関心は、常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない」


今日我々は知っている。
愛の反対は憎しみではない。
無関心である。
信頼の反対は傲慢ではない。
無関心である。
文化の反対は無知ではない。
無関心である。
芸術の反対は醜さではない。
無関心である。
平和の反対は戦争ではない。
平和と戦争に対する無関心である。
無関心が悪なのである。
無関心は精神の牢獄であり、我々の魂の辱めなのだ。

 

エリ・ヴィーゼル( 1928年 - 2016年、自らのホロコースト体験を自伝的に記し、1986年にノーベル平和賞を受賞、ボストン大学教授)の詩も見つけました。

 

 

無関心は、多くのことについて反対語となるようです。 

 

この記事を書くにあたっての下調べで、バトンリレーの第一走者を知れて良かったと思いました。

 

 

時計回り迷路 細工は流々、ゴールは遠い?

ゴールデンウィーク前から外出自粛もあってパズル熱が再燃し、昔の作品を探し出したり、ちまちまあれこれ作ったりしています。

 

今回の迷路は高校時代ではなく、大学時代に立ち上げたパズルサークルで作った冊子『さとこ』に載せた作品を紹介します。1985年発行ですから35年前です。

 

時計回り迷路です。

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時計回り迷路

START から GOAL まで時計回りに進んでください。

 

<ルール>

・時計回りに進みます。反時計回りは交通違反です。逆走、危険!

・壁に挟まれてない場所に出てしまうと脱走者扱いになり失格です。

・壁の間であれば、円の中心または外側に移動するのはOKです。

 

答えはこちら

 

ヒント:ゴールは意外と遠いです。

 

高校時代の作品の多くはオリジナルのみで行方不明のままの物が多いですが、大学時代に作ったものは印刷したので、手元に残りやすかったようです。

大学の友人や、帰省した時に渡した友人は、憶えてくれている人もいました。

残念ながら、創刊準備号は50部、創刊号は200部印刷しただけでサークル活動は終わってしまいました。

創刊号を出した時は、思い入れは強く、見通しは甘く、全部売れると思ってましたからね。自分が思っているほどの興味を、人は持っていないことを痛感しました。大学の売店にも50部程置いてもらうつもりでお願いしましたが、20部売れたら追加するみたいな話になり、結局、追加することにはなりませんでした。近くの書店にもお願いしに行きましたが、それはかないませんでした。

直接アピールして販売した方がたくさん売れました。でも結局、紙・印刷代を回収するくらいしか売れませんでした。100円という価格設定で原価率約80%ですから無理もありません。

 

半ば遊びの上での体験ですが、何かを始める時にはある程度の見通しを持つこと、それも悪い方になった時の覚悟と知恵を持てるかどうかは、とても大切なことだと思いました。当時の「売れなければ次を出さない。」という覚悟が正解だったかどうかはわかりません。ただ、「売れなかった時にどうするか」の知恵がなかったのは、確か。これが続かなかった最大の要因でしょう。パズルの問題では別の道、別の方法を見つけることが解決の糸口になる、そんな仕込みをたくさん作っていたのに、サークル活動ではそこに思い至りませんでしたね。

 

時計回り迷路の細工・仕込みについてはこちら(答えのページと同じ)

 

 

お題「#おうち時間

今週のお題「遠くへ行きたい」

高校時代のロッキード判決の記憶

この間の政変を見聞きしながら、ブログに政治ネタを書くかどうか悩んでいました。政治について高校時代の私が感じたことなんて、大した話ではありません。ただ、センシティブな内容ではあるので、このブログの今後に影響するかもという不安がつきまとい記事に踏み出せずにいました。

 

でも、書いておくことに決めました。

私の中でも決して小さくない出来事でしたから。

田中角栄元首相のロッキード事件に関して懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が出ました。1983年10月12日のことです。

 

 判決前のこと

田中角栄が書いた『自伝 わたくしの少年時代』という本を、父から渡されたのが小学2年か3年の時でした。「この本を読んだら偉くなれる」みたいなことを言われました。全部読んだ自信はないですが、その中で角栄が幼かった頃、母を困らせた話を漠然と憶えています。お金を盗んで嘘をついた訳ではないが、お金を勝手に使ったことを素直に話す場面。要するに事の重大さがわからず、お金を使ってしまった話だったと思います。

この本は恐らく、父が選挙講演会等に参加してもらってきた本だったのでしょう。本の発行年をネットで調べると1973年でした。田中内閣は1972年10月に発足しています。1974年12月9日に田中内閣は総辞職し、三木内閣誕生となります。田中首相在職通算日数は886日。「三角大福」なる言葉が使われ、政権の奪い合いが激しかった頃でした。

本の影響もあり、田中角栄の動向はその後も気になり続けていました。ただ、父が期待したような偉い人にはなれなかったです。

 

総辞職の前辺りから、金と政治の話が世を席巻していたように思います。でも、小学生に100万円もするピーナッツのことなどちんぷんかんぷん。やがて、田中角栄が逮捕されます。1976年7月27日でした。日本で一番偉いと言われた人が逮捕されたことで複雑な気持ちになりました。金と政治の話が、本の内容とつながったのは、偶然ではないようにも思えました。それ故に、本の記憶が残り続けたのだろうとも思います。

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ロッキード事件でピーナッツが話題に

 判決以降のこと

そんな経緯もあったので、懲役4年、追徴金5億円の有罪判決も仕方ないという思いと、金権に物言わせるやり方は不味かったが、やろうとしたこと、目指したことはそんなに間違ってはいないという思いとがありました。日中国交正常化だけでなく、オイルショック時に中東との外交を維持しエネルギーの直接確保したこと等、歴代首相の中でもアメリカに物言えた人だと思います。(この辺の知識は高校の先生から)

逮捕されて以降、自民党を離れて無所属としての立候補でしたが、地元新潟の選挙区では判決後も常にトップ当選でした。しかも実際の内閣への影響力は絶大で、「角影内閣」、「田中曽根内閣」、なんて呼称も使われていました。その人気ぶり、影響力の大きさはどこにあったのでしょう。

世評では、権力を手にして地元にお金を流したからという論調が強かったですが、今思えば、それだけではない気もします。

 

判決に合わせて、国会にも動きがありました。

一つは、田中判決解散とも言われる解散総選挙です。元首相とは言え、逮捕後は自民党を離れ無所属だったのですが、田中角栄衆議院議員辞職を拒否。国会は空転、そこで与野党合意の上、重要法案成立後に中曽根内閣が衆議院解散させました。選挙では、角栄は選挙区のトップ当選しますが、自民党過半数割れで敗北し、新自由クラブと連立政権を立てるに至ります。

もう一つは、政治倫理審査会の設置です。金権政治を再発させないために政治倫理の確立が長く議論されました。会の設置は1985年でしたが、国会で話題になった「倫理」なる言葉は、高校時代も話題になりました。先生の言動に納得がいかないと「教員として倫理的におかしい」なんて言ってました。「国会で りんりりんりと 虫(無視)が鳴く」なんて川柳があったように思いますが、卒業後のことかも知れません。

ちなみに、政治倫理審査会が、河井議員夫婦の件で10数年ぶり開かれる可能性もあるかも、という気はしています。

 

現在の政権と比較して

田中角栄時代の政権と現在の政権との大きな違いは、力を注ぐところが、公約・政策の実現にあるか、政権与党で居続けることにあるかではないでしょうか。

何だかんだ言っても、田中角栄は『日本列島改造論』を掲げ、有言実行していたというイメージが残っています。「コンピュータ付きブルドーザー」なる異名もありました。批判にも正面から立ち向かっていた感があります。

現政権には、選挙中にはこそっとしか言わなかったことを、選挙に勝てば国民の信を得たとばかりに、それも水面下で強行するサブマリン(潜水艦)のイメージです。批判を回避する術に長け、水面の上に出ない=表立った議論をしない感があります。

 

民主党政権の時代、野に下った自民党は、公約の実現より政権維持にこそ旨味があると学んだかのようです。公約はお飾り、とりあえず政権を維持しておけば、理由は後付けでも、無理を押し通してでも、何とでもなると判断した気がします。党を挙げて、正しさより利権の旨味、国民の暮らしより政権維持に動いてるように思えます。

 

黒川検事長の定年延長が閣議決定された時、「やりすぎ」「おかしい」と言う声が自民党内にもあったようですが、議論にもならず、呟きに終わった感があります。国家公務員法等改正案を審議する内閣委員会にいた自民党の泉田議員は、「審議を尽くすことが重要であり強行採決は自殺行為です。」とのツイートをしますが、すぐ委員会から外されました。

党内で対立が起これば野党に突かれて政権を失いかねないという恐怖感が広くはびこっているのではないでしょうか。正しいかどうかより、政権維持が優先されているのではないでしょうか。

 

かつてなら自民党内でも異論、反論が巻き起こり、自制がかけられていたと思います。「三角大福」も「自民党をぶっ壊す」も、党内論戦が華やかでした。そして、良くも悪くも理論武装した上で、国会内で野党と議論できていたように思います。今や、国会ではほとんど議論になっていません。質問の内容に触れず、自分の主張をするだけの答弁のなんと多いことか。与党内でもまともな議論をせず、突如閣議決定し、そのまま発表するなどしているのですから、質問にきちんと答えられないのは当然に思えます。

 

今、河井議員夫婦が公選法違反で、「桜を見る会」前夜祭の件で弁護士や法学者ら662人が安倍首相を刑事告発に踏み切る等、国会も揺れています。どう決着するのかまだ判然とはしませんが、国民の国会不信が少しでも解消されることに期待したいです。

 

 

 

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微力ながらも、このことについて書こうと思いました。

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twitterきゃりーぱみゅぱみゅさんが、《#検察庁法改正案に抗議します 》のタグをつけてのツイート。それに対し《歌手やってて、知らないかも知れないけど…》の返信があり《相当失礼ですよ、、、、》とのリプライ。その後、ツイートは削除されてしまうのですが、その理由は「ファンの人同士での私の意見が割れて、コメント欄で激論が繰り広げられていて悲しくなり消去させて頂きました」とのこと。

一連の騒動をほぼリアルタイムでtwitterで見ていました。

検察庁法改正案は、黒川検事の麻雀賭博もあり、見送りとなりました。政権はtwitterの動きは関係がないように言っていますが、大きく影響していたと思います。少なくとも私自身は大きな影響を受け、きゃりーぱみゅぱみゅさんのツイートをみて、かなり遅れて《#週明けの強行採決に反対します》タグをつけ、こそっと政治的な内容を呟きました。私が初めて、国民主権を意識してツイートできたのは、きゃりーぱみゅぱみゅさんのおかげ。とても感謝しています。

 

ところが法案見送りの後も、この話には続きがありました。

《誹謗中傷を気にするななんて難しいよ。芸能人だって1人の人間だよ忘れないで》ときゃりーぱみゅぱみゅさんがツイートしたのです。これには、法案とは別の背景もあるのですが、それには触れず《貴女が総理にしてる事も誹謗中傷》等の声があがります。

 

何を言ってるんだ?!

権力に対して抗議を示して「国民主権」を主張することと、その発言が「基本的人権の尊重」で守られることは、日本国憲法の大原則です。それが理解できない者に呆れつつ、怒りを覚えたのです。

 

今さらだけれど、日本国憲法第13条を引用します。

十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(※ 太字は筆者による)

 

芸能人が政権批判をしてはいけないなどと言うこと自体が憲法違反、法律違反です。立法も国政さえも、政権批判に対しても最大の尊重を必要とすると憲法に明記されているのですから。

 

上述の《歌手やってて、知らないかも知れないけど…》は法も憲法も飛び越えての誹謗中傷なのに、《相当失礼ですよ、、、、》と柔らかく対応していたきゃりーぱみゅぱみゅさんに私は感銘を受けました。攻撃的な言葉ではなく、諌める、いなす感じの発言にセンス。もしこのセンスが、ネットで当たり前になっていたら、ネットの発言はもっと丸みを帯びたものになるだろうと思えてなりません。

 

当該ツイートの削除までの流れを全て見ていた訳ではないですが、その削除理由にもファンやツイートした人に対しての尊重を感じます。

 

そこに他人の意見にただ流されてツイートしたのではなく、自分の考えを自分の流儀で発信し続ける意志の強さ、姿も見えてきます。

自らの主権を正しく行使しつつ、他の人の基本的人権も尊重する。

それをきゃりーぱみゅぱみゅさんから教えてもらった気がしてなりません。

 

 

#きゃりーぱみゅぱみゅさんに感謝します

#きゃりーぱみゅぱみゅさんを応援します