2022年に書いた記事は105本。月別に記事を取り上げ、2022年を振り返ってみます。
- 月別に記事を振り返る
- 1月『一般ユーザーでもプルダウンメニューがつけられました』
- 2月『78億人が息をするくらい当たり前に』
- 3月『雪国への受験旅行(3) 受験を終えれば春』
- 4月『近況29.つかの間の散らぬ桜と散る桜』
- 5月『映画25.『ブリキの太鼓』(2)東ヨーロッパの民族と歴史観』
- 6月『母の家計簿から(2)勉強勉強という考へ方』
- 7月『tn63.どんな理由があろうと、暴力に訴えてはいけない。』
- 8月『tn65.国を守るということ 平和と沈黙(2022)』
- 9月『遊び46.今度は正方形を同形同大に分割する』
- 10月『近況35.穀象虫(コクゾウムシ)、玄米に現る』
- 11月『tn71.W杯でドイツ相手に逆転勝利じゃがー!』
- 12月『AI考(6) マッチ箱AIと「三目並べ」(2)マッチ箱AIは思考したのか』
- 2022年をブログで振り返って
月別に記事を振り返る
1月『一般ユーザーでもプルダウンメニューがつけられました』
1月は13本の記事。その中から、この記事を挙げておきます。一般ユーザーにはできないと思っていたグローバルナビ(プルダウンメニュー)が設定できたのは嬉しかったです。文字を少し大きく、背景をすっきりできたのもよかったです。
また、今年も『tn58.ネタ帳20220129 今年も5つの話題宣言』しました。
2月『78億人が息をするくらい当たり前に』
2月は8本の記事。目を背けず、この記事を一番に挙げておきます。
戦争反対。
この一言を言うだけでは戦争は無くならないとの声があるのは承知。
でもね、これを言えば拘束されると知りながらも言う人がいるのです。言わずにいられない思いがそこにあるのです。私も、この一言を言えなくなった時に後悔するより、今、言っておくことにします。だから、
戦争反対。
「戦争反対」が言えなくなるまでは、時折にでも言おうと思います。
4月には、日本で通常、「キエフ」と呼んでいたウクライナの首都名が「キーウ」に変わりました。
『「三角塔現象」再び。twitter での拡散がありました。』も挙げておきます。
1月31日に不意にtwitterで、『「ロボットでない場合は、[許可]をクリックします」に激怒!』記事が拡散、2月1日のアクセスは2226まで伸びました。この日以降、ブログの注目記事(一説では直近の1000アクセスで順位を決めるとか)は、ほぼ『「ロボットでない場合は…』が占拠しています。
3月『雪国への受験旅行(3) 受験を終えれば春』
3月の記事は5本。その中からこの記事。
大学受験には失敗しましたが、このときの旅行は私の人生を変えた感があります。
この話には後日談もあって、機会があればそのことも書いてみたいです。
4月『近況29.つかの間の散らぬ桜と散る桜』
4月は8本の記事。
桜が散り初める頃の花見ドライブ。
そこに散るまいと懸命に耐える花びらを見ました。
よく見ると、くもの巣にひっかかって風に抗っていたのです。
動画を再掲しておきます。
それでも何だか、今の父と私のようにも思われて、
けれども、くもの巣と花びらのどちらが私なのかもわからずに
散り初めし桜を一緒に眺めているつかの間の出来事。
今なお、この光景は鮮明に憶えています。
5月『映画25.『ブリキの太鼓』(2)東ヨーロッパの民族と歴史観』
5月は8本の記事。ここでは『ブリキの太鼓』の記事(1)、(2)。
『ブリキの太鼓』は、ブログを書き始めた頃からいつかは記事にと思っていましたが、数年間、下書きのままでした。運よくネット配信で観ることができ、記事を完成することができました。
40年ぶりに観て、汚い世界で好き勝手をする子どもの罪深さにも気づきました。かつてなら、痛快に思えたオスカルの行動が、無慈悲で残酷に思えたのです。
時を置いて同じ映画を観て、感じる内容が違うことは珍しくありません。成人する前に本作品を観ておいてよかったと思いました。
また、ウクライナ情勢も相まって、東ヨーロッパの民族の複雑さを考えることにもなりました。
6月『母の家計簿から(2)勉強勉強という考へ方』
6月の記事はわずかに3本。その中から
恐らく、このブログを書くまで高校時代を暗いイメージだったのは、ここに起因しているように思われました。高1の時点で成績が悪く、三者面談では進学は難しいと笑われ、私も母も追い詰められた感がありました。ただ、家計簿を見て母もいろいろ悩んでいたとわかりました。進学への思いは強かったものの、それだけが大事なわけではないと考え至った母に感謝しています。
でも母が、そんな勉強観に囚われなかったのは良かったです。とにかく大学進学しなければとの思いが強く塞ぎ込みがちだった私に時折、「そんなに勉強しなくていい」と言ってくれました。
7月『tn63.どんな理由があろうと、暴力に訴えてはいけない。』
7月は6本。ここでも、目を背けずに挙げておきます。
参院選の投票2日前のことでした。事件は様々な方面に波紋を広げ、今なお静まっていないと感じます。犯人はその場ですぐに捕まりましたが、事件の背景には、多くの人の思惑が複雑に絡み合っていたように思われます。その後の政治にも強く影響を与えていると思います。
今回の件が、誹謗中傷に繋がることも、言論弾圧へと繋がることもなく、国民が分断されることも無く、「どんな理由があろうと、暴力に訴える排除やテロは許されない」点で一致すべきだと思います。次の排除やテロを止めるためにも。
何とも嫌な事件でした。
8月『tn65.国を守るということ 平和と沈黙(2022)』
8月は6記事。平和と沈黙シリーズは2020年から始まり3回目。
原爆による被爆者が高齢化し、体験を伝えることが難しくなっている今、思っていることです。
時の流れは、史実や記憶を風化させる作用があると思います。
人の営みには、忘れてはならない史実や記憶を引き継ぐ力があると思います。
時の流れに抗うことは簡単ではありませんが、
人が人らしく生きるためには、人の営みを続ける不断の努力が必要です。
普段の生活に不断の努力を位置付けるには、勇気と知恵が欠かせません。
では、先の大戦で、国(軍事政権)は国の何を守ろうとしたのかを考えました。
空襲を恐れて避難した市民に、逃げる者は配給停止と脅して街に戻らせ、空爆の被害を拡大させました。原爆も初期防火が有効とし、「防護さえしっかりやれば決して恐るべきものではない」と豪語していました。一体、何を守りたかったのでしょう?
私なりの結論として
守ろうとしたのは国民の戦意。
国民が戦意を失わない限り、特権は維持され、国民を意のままに操れる。権力は単純にそう考えたのではないかと思うのです。戦意を高揚させ続けるために、多くのものを奪い、隠蔽し、欺き、犠牲にさせた気がします。
と書きました。続けて、こうも書いています。
かつての戦意は、今の弔意に置き換えられるようにも思えます。
そして見せかけの弔意が国民の総意とされ、別の方向に持って行かれるのではないかという不安を感じます。
9月『遊び46.今度は正方形を同形同大に分割する』
9月もわずか3記事。どれも図形パズルの記事ですが、これを挙げます。
正方形の4分割問題は、初めて自分で作図して切り取り、友だちに出題した図形パズルでした。詳しくは『遊び14.図形で遊んで頭の回転を上達させよう(1)』にも。
10月『近況35.穀象虫(コクゾウムシ)、玄米に現る』
10月は、100記事達成へのテコ入れに毎日更新して31記事。多いので、3つ記事を紹介します。
1つ目はこれ。
親戚から古米を30kgもらいました。
古米をもらってすぐ、10kgを精米。残り20kgは、紙の米袋に入れたまま家の中に置いていました。そして先日、新たに10kg分を精米しようと米袋を覗き込んだ時、父と一緒にびっくり。
穀象虫が大量にいたのです。玄米が見えないくらいでした。虫を駆除する悪戦苦闘ぶりは記事を読んでもらうとして、結果、米を捨てずに使い切っています。
ゴキブリ駆除剤の効力に驚かされたことを補足しておきます。
2つ目はこれ。
運転は大変でしたが、行って良かった満足感も大きかったです。
3つ目に
を挙げておきます。点線チャレンジは、バカバカしくも私らしさが詰まっているような気がして、また、今と高校時代が繋がった例としても好きな記事です。
11月『tn71.W杯でドイツ相手に逆転勝利じゃがー!』
6記事でした。選んだのはサッカーW杯関連。
サッカーの試合をフルで観るのは4年(前W杯以来)ぶり。
強豪ドイツ相手に、まさかの逆転勝ちに痺れました。サッカーへの関心が一気に戻り、たくさん試合を観ました。12月20日の決勝戦、フランス対アルゼンチンも壮絶な試合となり、メッシが優勝杯を掲げるまでテレビで観ていました。
12月『AI考(6) マッチ箱AIと「三目並べ」(2)マッチ箱AIは思考したのか』
8記事でした。選んだのはこれ。
AI考シリーズを書き始めた頃から記事にしたかったのですが、上手くまとめられず、結局わかりにくいままになったのは反省点。
高校時代、「マッチ箱AIは思考したのか?」が一番の関心事でした。
そしていつからか、こんな風に考えるようになりました。
思考とは選択の連続と言えるようにも思えるのです。単なる二者択一の場合もあれば、多くの選択肢から一つを選ぶこともあるでしょう。場合によっては新たな選択肢を発見することもあるでしょう。それでも最終的に何かを選ぶことで思考が進んでいくのではないでしょうか。
さらに、
人間だけが思考や知能を持つというのは違う気がします。
とし、
「生命を持たないAIを人工知能と呼ぶのなら、自然の現象を自然知能と呼んでもいいのではないか」
との持論にも言及しました。自己満足的な記事ですが、マッチ箱AIについて、頭の中をずいぶんと整理できたのは収穫だと思っています。
2022年をブログで振り返って
将来2022年を振り返る時、ウクライナ侵攻と安倍元首相銃撃事件は、多くの人が思い出すでしょう。二つは、暴力に訴えるという点で共通しています。これを肯定することはできません。その罪は問われるべきです。一方で、それを回避する方法は無かったのかと考える必要もあると思います。
2022年末にタモリさんが来年について「新しい戦前になるんじゃないでしょうかね」と述べたことが、いろいろと話題を呼びました。その真意は明らかではありませんが、今、世界も国内も、理解と親交を深める方向とは真逆の、分断と敵対を深める方向に進んでいると思えてなりません。「新しい戦前」という不安が拭えずにいます。
ただ、そのことだけに囚われて悲観するのも違うと思います。2022年は、他にもコロナや円高不景気、家族や自分の将来への不安等、数えればたくさん。
一方で楽しみや満足感が無かったわけでもありません。ブログにグローバルナビ(プルダウンメニュー)がつけられたこと、穀蔵虫が湧いて駄目かと思った米から虫を除くと十分美味しかったこと、花見や紅葉狩りも父と行って良かったです。サッカーでは日本の活躍に励まされました。それらは不安に比べれば、大したことではないかも知れません。それでも、それらがあったから、救われた部分があるのも確か。
大きな不安に潰されず、楽しんだ日常もあった2022年。
そういうことにしておきます。
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」