tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

近況62.2024年節分の恵方巻と豆

今日は節分。

去年と似た流れで恵方巻を手にすることになりました。

 

去年と同じ

昨日、買い物に行った際、

「明日は節分なのに、あんまり恵方巻を置いていないな。」と父。

恵方巻は日持ちがしないし、海鮮巻きがいい人は明日買うと思うよ。」と私。

「そうか。」

「海鮮巻きでないなら、今日買って明日食べても問題無いと思うけど。」

「いや、いらない。昔は恵方巻なんてなかったんだ。」

去年も、恵方巻をブログに書いたせいもあって、(あ~去年と同じ流れだな)と思いました。

昨日、買い物に行った際

「明日は節分と言うのに、恵方巻を全然売ってないな。」と父。

恵方巻はチョコレートと違って、日持ちしないからね」と私。

恵方巻が欲しいなら、明日にならないと良いのは無いと思うよ。最近は、海鮮巻きとかで刺身を使ってるのが増えたし。買うなら明日だね。欲しいの?」と続けました。

「いや、いらん。そもそも、ちょっと前まで恵方巻なんてなかったんだ。」と父。

 

去年と違う

去年と違うのは、「恵方巻はどうする?」と言いだしたタイミング。去年は、節分の日の朝でしたが、今年は節分前日の夕飯後でした。

「節分に豆をまくのは、もう大変だし面倒だからやめる。その代わりに恵方巻を食べよう。節分には恵方巻だ。」

ちょっと意外でした。「その時、食べる気にならんかも知れないのに、用意なんかできん。」と言う父です。前日に、「食べよう」と言い出したのは大きな変化と言えるかも知れません。

 

去年は節分当日の開店直後のタイミングで買いに行きましたが、目当ての海鮮恵方巻は、まだ売り場に出されておらず、準備中でした。売り場前には10人程の客が集まっている状態。しばらくして、10本ほどの海鮮恵方巻が運ばれて来ましたが、父は値段を見て逡巡し、結局買いそびれてシンプルな太巻きにしていました。

 

そこで今年は、開店後30~40分経った頃を見計らって買いに行くことに。恵方巻売り場には数人の客がいる程度で、去年より落ち着いている感じ。太巻きはもちろんたくさん並び、海鮮巻きも数こそ少ないものの、あれこれと選べるくらいには品揃えがあり、我先に奪い合う感じでもありません。

 

「どれにする?」と父は聞いてきましたが、「好きなものを選んで」と任せます。私が選ぶと何かと文句をつけてダメ出しされることが多く、却って時間がかかるからです。やはり、海鮮巻きを買いたいようでしたが、値段を見て悩み、最終的にはシンプルな太巻きが2本入りのパックを選んでいました。そして「海鮮巻きは太くてかぶりつけない。値段も高いし。」と一言添えていました。

恵方巻 2024

いつ、食べるか?

昼食の時間になると、父は「恵方巻は夜、食べるものだ」と言い出しました。これは、予想外。私はてっきり、今年も昼食に食べると思っていたので、昼のおかずの用意をしていません。

 

話を聞くと、初めて食べたのが、節分の夜にカラオケ仲間で集まった時らしく、その際に「恵方巻を食べるのは夜」と言われたそう。私は半信半疑です。夜に集まっているのに「恵方巻を食べるのは昼」との話にはならないはずで、むしろ、本来は昼だけれど、その場の流れで夜にした可能性がありそうに思えました。

 

「豆まきだって夜にやるのが普通だ。恵方巻も夜なんだ。」と父。父の「普通」や「みんなやっている」はあてになりません。

「それは、一般の家庭だと夜に皆が揃うからだろ。成田山の豆まきを夜にやってるニュースを見たことないけど。」と返すと、初めて気がついたように「ああ、そう言えばそうか。」となります。それでも「恵方巻を昼に食べるなんて聞いたことがない。」と言うので、「去年は昼に食べたよ。」と返しますが「そうだったか?憶えてない。」となります。

 

埒が明かないので、スマホで検索して、「やっぱり昼か夜かは決まってないようだよ。」と説明。それでも納得しないので「じゃあ、これから昼のおかずを用意するよ。温めるだけだから、そんなに時間はかからないはず。」と言うと、考えが一変。「じゃあ、恵方巻は昼に食べよう。」となりました。

 

どうやって食べるか?

去年は、太巻きが一本ずつケースに入っていたので、二人とも片手で太巻きを持ち、もう片方で、太巻きが崩れても受け止められるよう下に空きケースをそえる体勢で食べました。ただし、一本だと途中で太巻きが崩れそうに思え、事前に半分に切っていました。一般に恵方巻を切るのは「良い縁が切れる」とされますが、長くて不便なら「悪い縁を切る」という私流の解釈です。崩したり、こぼしたり、喉に詰まらせたりしそうなものを、そのまま無理強いする必要は無いと思います。

 

でも、「まるまる一本を持って食べるのが本来の食べ方だ」と父。「幾らかでも食べてから、包丁で切るようにする」と言います。そこは父にまかせ、私は自分の分だけ太巻きを切り分け、3分の1くらいにしたのを手に持って黙って食べることにしました。

 

今年の恵方は「東北東のやや東」だそう。「やや東」なんて今まであったっけ?と思いつつ、父に言うと、「じゃあ東がこっちで、北がこっちだから、その中間よりやや東」と手で方角を示します。「いや、それだと東北のやや東になるから、東北東はここ」と説明。すると父は「ちょっとぐらいズレたって、かまなわいんだ。」と言いながら、東北東を向き直して、「そのやや東」と言っていたので、笑ってしまいそうになりました。ちょっとぐらいズレても良いのかいけないのかが微妙な上、結局、最初に言っていた東よりやや南に向いています。かなりズレたと思いつつ、もう何も言わず、方角を決定。

 

太巻きを手に持ち、黙って食べ始めます。3分の1の長さにしていたので、私は難なく食べ切れました。父は途中で大変になってきたらしく「ん~?ん?ん?」と唸り声のようなことを言いながら、3分の1くらいで食べるのを断念し、崩れかけた太巻きをなんとかまな板まで運びます。何もこぼさなかったのは不幸中の幸いでしたが、崩れかけの太巻きを切るのは難しかったようで、「この太巻きは、しっかり締めていないからいけないんだ」と言いつつ、切ったのか、バラしたのかわからなくなったものをパックに移し替えました。まあ、何にせよ、無事完食です。

 

豆はどうする?

去年は、豆まきはしなかったものの、歳の数だけ豆を食べました。

でも、今年は恵方巻に気を取られ、それを食べ終わるまで、私も豆を買い忘れたことに気づきませんでした。どうしようかと父に聞くと

「83も数えるのは面倒だ。」

と言っています。私としては、歳の数だけ豆を数えるより、もう一度買い物に行く方が面倒なので、そのままにすることにしました。

 

私が高校生だった40年前、父は豆まきに執着していました。

兄は働きだして社員寮に入っている。両親と私の3人で豆まきをやっても盛り上がりに欠けると夕飯中は話をしていたのに、洗い物をしている途中で考えが変わったようだった。

そうして、いきなり勉強中の私の部屋に来て「おい、豆まきするぞ。窓を開けろ。」、「豆をまかないと、鬼が来るぞ。」と言い出したことがあります。

 

とにかく何かのタイミングで、父がコロッと考えが変えるのは珍しくありません。そんな訳で、夜になると豆を買いに行くと言い出すかも知れません。すっかり忘れたままになるかも知れません。何にせよ、私はピーナッツがあるので、それ歳の数だけつまんで、軽くお酒を飲もうかと思っています。