tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

鷹にさらわれた夢

縁起の良い初夢

一富士二鷹三茄子(いちふじ・にたか・さんなすび)」を知ったのは、いつだったろう。小5の時、年賀状に富士山と鷹と茄子の絵を描いた記憶がうっすらある。描きながら、富士と鷹は理解できるが、何故、三番目に茄子(なすび)なのか?がよくわからなかった。後に「何かを為す」という意味で吉兆であると知る。

 

初夢に過剰な期待をしていた頃、枕元に富士山の絵葉書を置いて寝た記憶もある。しかし、初夢で富士山が登場した記憶はない。ただ、高校の頃、鷹にさらわれた夢の記憶はある。起きた後で、鷹の夢を見たと母に話した。はずである。でも、後にその話をしても憶えていなかったようだ。自分が見た夢でも多くは記憶から消えてしまうのだから無理もない。また、夢を見た夢という気もしないではない。まぁ、あまりいい夢でもなかったし、それが初夢だったかも定かではないと先に書いておく。

 

鷹にさらわれた夢

大きな鷹の爪で体をつかまれていた。でも、爪は体のどこにも刺さっていない。鷹の足ってニワトリと足とそっくりだなんて思った。鷹の足の裏は温かくて心地よく、空高く飛んでいたのに怖さは無く、いつの間にか寝入ってしまった。

鷹にさらわれた夢

目が覚めると、そこは鷹の巣の中。食事の用意がされていた。座布団程の大きいハムらしきものが一枚あって、食べようとしたが、嚙んでも噛んでも伸びるばかりで嚙み切れない。そうこうする内、巣の中の他の雛が目覚めて、皆がそれをついばむ。私だけ全然食べられなかった。食事が終わると他の雛が私を巣から押し出そうとし始めた。いよいよ巣から落とされるという所で目が覚めた。

 

何故そんな夢を見たのか。思い当たる節は幾つかある。

ニワトリの足

小学校高学年から高校の頃、家でニワトリを二羽飼っていた。スーパーでもらったヒヨコを当初はペットとして部屋の中で飼っていたが、すぐ大きくなって、家の外に鶏小屋を作って飼っていた。詳しくはこちらの記事を参照。

ニワトリを腕に止まらせ、そこから飛び降ろさせて遊ぶ等もやっていたので、ニワトリの足には馴染みがあったのだ。

 

巣から押し出される

これは、高校時代に読んだ科学雑誌にあったカッコウの托卵の記事のせいだと思う。

参考に、托卵の説明をしているNHKのリンクを貼っておく。

托卵とは、カッコウなどの鳥が、他の種類の鳥の巣に卵を産み、抱卵、孵化、子育てをまかせる習性を言う。抱卵中の親鳥が巣を離れたすきを狙って、カッコウがこっそり卵を産み落とす。その際、巣にあった卵を一個下に落として、気づきにくくする巧妙な手口。帰ってきた親鳥は、卵が入れ替わっていることに気づかずに大切に温める。その後、カッコウは元々巣にあった卵より早く孵化し、まだ孵っていない卵を全部巣から落としてしまう。その後、親鳥からもらうエサを独り占めする。すぐに親鳥より大きくなるカッコウは、そうしないと十分な食事ができないらしい。

 

雑誌ではモズの巣に托卵していたと思う。孵ったばかりのカッコウの雛が、懸命に背中と手羽を使って他の卵を巣から落としていく写真は、とても残酷に思われた。夢の中で、他から突然やってきた私が、鷹の雛を落とさなかったことは救いである。目が覚めて、よかったと安堵した。この思いが、夢を記憶にとどめているのだろう。

 

夢を見たのは文化祭の劇用に『ハンプティ・ダンプティの物語』を書いていた頃という気もする。

ただし、あまり夢を深追いし過ぎるのは良くないと思っている。ある程度の所で思考を止めないと、自分を見失う気がするからだ。

 

夢の記憶

私は似た夢を繰り返し見ることがある。鷹にさらわれた夢も、全部を一晩に見たのか、似た夢を見る中で一つの記憶になったのかはわからない。

 

多くの夢は目が覚めた時点で記憶から消えているという。何か怖い夢を見て、はっと目が覚めることは幾度か経験があるが、何が怖かったのか思い出せないことは多い。その時は憶えていたとしても、もう一度寝るとすっかり忘れていることも多い。ずっと記憶に残ることの方が珍しい。

 

中学生の時に、寝ているときに見る夢に興味を持ち、夏休みの自由研究にしようとしたことがある。そのことは過去に少しだけ記事にしている。

の中の<余談 レム睡眠と兄>だ。そこでは、

40年以上前に兄が見た夢の話を、今でも兄弟二人が憶えていることがなんだか嬉しくて、記しておくことにしました。

と書いた。また、飲酒運転の夢について書いたこともある。ただ、

前向きであろうと後ろ向きであろうと、ともかく進んでいることは評価したいです。

と無難にまとめた。

 

断言しておく。夢の深淵を覗き過ぎるのは良くない。結局、中学の自由研究は途中で怖くなって中断した。適当なところで予防線を張り、さらりと流すのが良いと思う。

 

カッコウの托卵について

カッコウの托卵の下調べをしていて新しく知ったことがあるので、記しておく。

 

高校時代から長らく、托卵をするカッコウは残酷な鳥だと思っていた。カッコウは産んだ卵を温めることも、エサを与えて育てることもしない。托卵されるのは小さい鳥で、しばらくすると親代わりの鳥より大きく育つ。しかし、子どもが1羽しか残っていないからか、親代わりの鳥は懸命に育て続ける。(途中で育てるのを放棄することもあるらしい。)そうして大きく育ったカッコウは、育ての鳥が親だと思い込む。そのため、成長したカッコウが次に托卵するのも、同じ種類の鳥になるのだそうだ。何とも悲しい因果、連鎖である。

 

しかし、そうする中でも変化があると知った。托卵される鳥だったホオジロが、カッコウの卵を見分ける例が増え、最近は托卵されなくなっているとの研究がある。

 

また通常なら、別の親に托卵するより、自分で温めた方が生存率が高いが、カッコウは体温をたもつ能力が弱く、低温になって抱卵中に卵が死んでしまうことが多いため托卵するらしい。育てるのを嫌がって托卵するわけではなかった。自分で抱卵するより托卵する方が生存率が高いとわかった上での行動に思われる。自然の過酷さと種を守り生き抜く知恵。托卵は、そのせめぎ合い、或いは思考錯誤の繰り返しの中で得た習性と言えるかも知れない。これもまた、自然知能なのだろうか。

 

今年の初夢

ずいぶんと話が逸れてしまった。もともとのお題は「初夢」である。ただ、今年も確かに初夢を見たと思うが、全く記憶していない。そこで、過去の初夢かもしれない「鷹にさらわれた夢」を記事にしたものの、鷹にさらわれたのか、追い出されたのかよくわからない。

 

ただ、確信していることはある。

大事なことなのでもう一度、記しておく。

夢の深淵を覗き過ぎるのは良くない。

 

 

今週のお題「初夢」