tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

授業25.8枚の金貨と天秤ばかり(論理パズル)

<8枚の金貨>問題

金貨が8枚あります。その内1枚がニセ物で本物よりわずかに軽いです。

天秤ばかりを2回だけ使ってニセ物を見つけてください。

天秤ばかりをどう使えばいいでしょう。

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8枚の金貨パズル

教育実習中の先生の授業で、時間が余った時に出してくれたパズルです。

パズルの種類としては理詰めで解く論理パズルになります。

今回が第3弾、ラストです。後に結構有名なパズルだと知りました。知っている人もいそうです。これも答えは教えてもらえず、自分で解きました。

 

 

「ニセ物は本物より軽い」を頼りに解く

ぱっと考えて、答えが見つけにくい時には、簡単な問題に置き換えてみるとわかることがあります。問題は8枚の金貨ですが、これを少ない枚数から考えてみるのです。と言っても1枚だと比べようがありません。考えるのはニセ物が1枚、本物が1枚の計2枚からです。

 

もし2枚なら

2枚だと、天秤に1枚ずつ置くしかありません。どちらがニセ物でしょう?

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2枚の金貨

ニセ物は軽いと分かっていますから、上がった方がニセ物となります。

天秤を使うのは1回だけですみます。

 

もし3枚なら

3枚だと、やはり左右に1枚ずつ置くことになります。

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3枚の金貨

この時、天秤は2通りの動きがあります。釣り合わない場合と釣り合う場合とです。

a.天秤が釣り合わない

これは2枚の時と同様、上にあがった方がニセ物。

b.天秤が釣り合う

この場合、左右が同じ重さなので、残った1枚がニセ物とわかります。

 

もし4枚なら

4枚になると、2通りの測り方が考えられます。

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4枚の金貨
a.左右に2枚ずつ乗せる

この方法だと、どちらかが上になり、上がった方にニセ物があるとわかります。でも、上がった2枚のどちらがニセ物かはわかりません。結局、その2枚を左右に分けてもう1回測り、上がった方がニセ物となります。

b.左右に1枚ずつ乗せて量る

この場合、左右が釣り合う場合と、釣り合わない場合があります。1回目で釣り合わなければ上がった方がニセ物とわかりますが、釣り合った場合は2回目を量る必要があります。

 

ここまでの段階で、3枚までなら1回量ればニセ物の特定ができますが、4枚になると2回量る必要が出てくるとわかります。

 

もし5枚なら

5枚も2通りの調べ方があります。

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5枚の金貨
a.左右に2枚ずつ乗せ1枚あまる

この方法だと、1回目で釣り合った場合は、4枚とも本物の金貨。残りの1枚がニセ物になります。

釣り合わなかった場合、どちらかが上になり、上がった方にニセ物があるとわかります。残りの1枚も本物です。

でも、上がった2枚のどちらがニセ物かはわかりません。結局、その2枚を左右に分けてもう1回測り、上がった方がニセ物となります。

b.左右に1枚ずつ乗せ3枚あまる

1枚ずつ乗せても左右が釣り合う場合と、釣り合わない場合があります。1回目で釣り合わなければ上がった方がニセ物とわかりますが、釣り合った場合はあまった3枚の金貨で2回目を量る必要があります。1枚を残して左右に1枚ずつ乗せ、釣り合わなければ、上がった方がニセ物。釣り合えば残りの1枚がニセ物。

 

もし6枚なら

6枚の場合、1回目の量り方は3通りあります。

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6枚の金貨

A.左右に1枚ずつ乗せて4枚残す。

B.左右に2枚ずつ乗せて2枚残す。

C.左右に3枚ずつ乗せて1枚も残さない。

この内、2回目を量ってニセ物を特定できない方法は1つ、ニセ物を特定できる方法が2つです。どう量ればいいでしょう。

 

ヒントは先述の、「もし2枚なら」、「もし3枚なら」、「もし4枚なら」です。

特に、「4枚になると、2回量る必要が出てくる」がミソ。

(ボカシ部分にカーソルをあてるで文字が鮮明になります:以下同様)

 

答え

ニセ物を特定できない方法 

ニセ物を特定できる方法 B、C

 

もし7枚なら

7枚の場合も1回目の量り方は3通りあります。

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7枚の金貨

A.左右に1枚ずつ乗せて5枚残す。

B.左右に2枚ずつ乗せて3枚残す。

C.左右に3枚ずつ乗せて1枚残す。

この内、2回目を量ってニセ物を特定できない方法は1つ、ニセ物を特定できる方法が2つです。どう量ればいいでしょう。

 

6枚の場合の答えがわかった人は、解けると思います。

ここでも「4枚になると、2回量る必要が出てくる」がミソ。

 

答え

ニセ物を特定できない方法 

ニセ物を特定できる方法 B、C

 

「8枚の金貨」問題を解く

と、ここで重大なミス発見。これまで使ってきた説明用イラストでは考えづらいので、修正を加えました。

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8枚の金貨

これで大丈夫かな?

 

では、出題の「金貨が8枚あり、1枚が本物よりわずかに軽いニセ物。天秤ばかりを2回だけ使ってニセ物を見つける」方法を考えてみましょう。

 

まずは、ノーヒントで考えてみてください。

 

<ヒントを見たい方はここをクリック>

 

わかりましたか?わかった人も、わからなかった人も

答えはこちら

 

オマケの問題

(※ この文章は答えのページにも載っています。)

8枚の金貨問題を考えていた当時、考えついたことがあります。こんな問題。

「金貨が9枚あり、1枚が本物よりわずかに軽いニセ物。天秤ばかりを2回だけ使ってニセ物を見つけることは可能でしょうか?」

これは、すんなり解を見つけることができました。

 

答えはこちら

 

以上、高校2年の時に、教育実習生から授業のあまり時間で教えてもらったパズルでした。授業内容も実習生の名前もは憶えていませんが、3問のパズルは強く記憶できています。ありがとうございました。

 

「8枚の金貨」の類似問題も多いです。

機会があれば記事にすることがあるかも知れません。

 

教育実習の先生が出してくれた他の問題

ちなみに、第1弾、第2弾はこんなパズルでした。

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<余談 「計る」「測る」「量る」>

記事を書いていて、天秤で「はかる」の漢字を当初「測る」だと思っていました。そのため、金貨4~6枚のイラストでは「測る」となっています。ネタにした方がお得感ありそうに思ったので直していません。正しくは「量る」となるようで、途中から使用漢字が変わっています。この他にも「計る」という漢字もあります。

 

どうやら、「はかる」対象によって漢字が変わるようです。

「計る」時間をはかる。

「測る」長さをはかる。

「量る」重さや体積をはかる。

 

でも、かなりあいまいな部分も多いです。

例えば速さを「はかる」。

一般にスピード測定というように「測る」を使う所でしょうが、100mを走る速さを測定する場合、実際に使うのはストップウォッチですから「計る」になるそうです。

 

体温計で「はかる」。

体温計だから「計る」と思いきや、温度は「測る」そうです。

 

重さや体積なら「量る」だそうだけれど、ダウンロードの速さは、「測る」のような気もします。けれど、一定時間にどれだけの容量をダウンロードするかと考えると「量る」のようにも思えますし、一定容量をどれだけの時間でダウンロードできるかと考えれば「計る」のようにも思えてしまいます。

 

図らずも、金貨問題より難しい「はかる」問題に出会ってしまいました。

近況28.父と花見ドライブ(今年2回目)

この春2回目の花見

4月2日土曜日に、再び花見に出かけました。

(前回の花見の様子はこちら )

少し離れた場所までドライブをして、花見がてらの散歩。それも午前と午後で2カ所です。良く晴れた青空を背景に満開の桜。

ただ、今回は薄曇り。雨の翌日でしたが、この日は雨の心配はなく、日差しも強くないので、むしろ歩きやすそうです。

 

詳しい場所を憶えてないので、ちょっと心配もある父のナビに従って運転します。

父の案内について以前こんな記事を書きました。

中央線の無い道で「ここを真っすぐ行ってくれ。」

「うん。」と直進すると、

「なんで、真っすぐ行かないんだ?!」と怒ります。

「え?直進したよ。」「直進とは言ってない。真っすぐだ。」

???

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こんな感じで、状況に応じて脳内翻訳しないといけないので要注意です。

ともかく、いざ出発。

 

 

時間のかかるルートを選ぶ

目的地に行くには、M橋を渡るとのことなので、そこまでの道はわかります。新しい道の方が走りやすいので、そちらから行こうとすると、「その道は遠回りだ。」と父。以前は「新しい道の方が早く行ける。」と言っていたのですが、まぁ、日によって通りたい道が違うことは私もよくあるので、従います。実際、早いと言っても2~3分の違いでしょうか。

 

途中、前回花見をした近くを通ります。そして、窓の外をじっと見て「まだ散っていないな。」と父。それを聞いて、どうやら近い道を選んだのではなく、満開だった桜が雨でどうなったのか見たかったのだろうなと思いました。前見た桜が気になる、と言えばわかりやすいのに、違う理由をつける変な癖が父にはあります。

 

去年通った道

父のナビには、道がわからなくなるオプションがよくついてきます。実際に忘れていることや記憶違いもありますが、初めて見る新しい道に惑わされることが多いです。困ったことに、新しい道は車のナビも対応していない(地図データを更新しないままなので8年前)のです。

 

加えて、私も父も、知らない道を通りたくなる癖があります。

(その辺の高校時代の経験を記した記事がこちら。)

「すべての道はどこかに通じるか行き止まり。何かあったら引き返せばいい。」そんな感じで呑気にいました。

多少、痛い目に遭っても、この呑気さは今も健在です。

 

でも、今回は、去年通った道です。私は言われたに通り走っただけで、今ひとつ記憶に自信が無かったのですが、父は自信満々の様子でした。

 

ところが。

不意に父が「あれ?こんな道、去年もあったか?」と言い出しました。

「去年、通った道だろうけどよく憶えてない。」と私。

左にカーブする道が新しい道と古い道の二手に分かれています。ナビの地図に新しい道は載っていません。かなりアバウトですが、下の図のような感じです。

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新しい道(赤)と古い道(青)どちらに進む?

ここで、父と私の知らない道を通りたくなる癖が同時に発動。

「新しい道(赤)は通りやすくした道だろう。行ってみよう。」となりました。

で、新しい道に入りカーブに沿って曲がっていくと。

「あ!」

新しい道は、水色の柵のある橋を過ぎると田んぼに突き当たり、そこから先は車が通れるかどうかという細い道になっていました。

「ああ、そうだった。」

ここで、思い出しました。去年も同じことをやってました。細い橋はぎりぎり車が通れるかどうかという感じだったので、安全策をとり、バックをして分岐点まで戻ったのでした。細い橋だと通りにくいから、そこまでの道を新しく作ったんじゃないか、なんて話もしました。

 

そして。

「今年は橋を渡ってみよう。」

ここでも、知らない道を通りたくなる癖が同時に発動。

運転教習所のクランクをさらに細くしたような橋。かなりゆっくりと曲がって橋へ。車体を柵に擦ることなく橋に乗り込めたと思った瞬間、きゅるるるる音。どうやらタイヤを縁石に擦ってしまったようです。でも、何とか橋を渡り元の道に戻りました。

 

ちなみに、今回記事にしたのは、来年以降のための備忘録です。

 

次なる試練

桜の名所の近くに臨時駐車場があります。ほとんど満車でしたが、よく見ると一台分だけ空いています。ラッキーとばかりに車を進めると、そこは大きな水たまりがありました。このせいで空いていたのでしょう。下は土なので、停めると車に泥がついてしまいます。どうしたものかと躊躇していると、父から「早く停めろ」と催促の声。「水たまりがある」と言うと「停められないのか?」と聞かれ、「停められないことはないけど、泥がつきそう。」と返します。「他に停めるところは無いぞ。」と言われて、仕方なく停めることに。

 

バックで車庫入れをしてると、どうやら水たまりは深い所で10cmほどあったようで、車の後方がかくんと揺れました。車体にキズはつかなかったのですが、タイヤが泥まみれになるのは覚悟。それでも、なるだけ助手席のドア下に水たまりが来ないよう、車を寄せて停めました。

 

父は、車から降りるとき「水たまりなんかないぞ」と呑気なものです。私は私で、水たまりに靴をつけない様、ぐんと足を延ばして何とか降りられました。そんなことにはお構いなしの父は、目当ての桜を求めて先を歩いてました。

 

目当ての桜に到着

きつい坂道でしたが、父の足取りは軽やかに思えました。並んで先に進みます。訪れる人は他にも多かったのでマスクを着用していました。

 

ここの桜の特徴は、枝垂れ(しだれ)桜です。苦労して来たせいか、なかなか見応えのある桜でした。ずいぶん上から垂れていて桜のてっぺんから枝の先までを一枚に写せませんでした。枝垂れ桜の前には、人が入れ替わり立ち替わりして写真を撮っていました。誰も写り込まさず写真が撮れたのは、ラッキーでした。

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枝垂れ桜

枝垂れ桜は石垣の上に植えられていますが、枝の先は桜の根本よりもずいぶん下がり、下の道に届きそうなくらいまで垂れ下がっています。さながら、桜の滝です。

 

石垣の上から

石垣の上に上ると、枝垂れ桜とは別の桜があり、高さを出しているのがわかります。

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上から見た桜

下から写真を撮った時の迫力はこの演出効果に思われました。手前の桜の向こう側に枝垂れ桜があるので、木の根元の背景にも桜がびっしりです。

 

去年は、満開のピークとずれていたので桜の花にすき間があり、これほどの迫力はなかったと思います。今年は訪れるタイミングがばっちりでした。

父はもっとゆっくり見たかったのでしょう、上から降りてくると、一つだけ空いていた椅子に腰かけました。枝垂れ桜までの坂道、石垣の上までの坂道で、大変だっと言いつつも、もう一度桜を見上げて「これほど見事なのは初めて」とのこと。

 

なんだかんだとありましたが、来て良かったです。

今日は何の日? 嘘を考える日

春分も過ぎて、だんだんと日が長くなってきたせいでしょうか。

3月が長いですね。

今日でようやく3月32日。明日から4月です。

でも、4月はあっという間に過ぎ、明後日にはもう5月--。

 

エイプリルフール

高校時代、エイプリルフールはこんな感じでよくとぼけてました。

といっても、時は春休み。

それほどとぼける相手もおらず、嘘をつける機会は少なめ。

イデアは浮かんでも、そうそう使えるものでもなかったです。

 

憶えているアイデアは他にも。ありがちなネタです。

題して、待ち伏せ作戦。

友人と雑談しながら、誰かが嘘を言いに来るのを待ちます。

どんな嘘でも騙されたふりをして、相手がエイプリルフールとネタ晴らしをしたタイミングで、「エイプリルフールは昨日だぞ。」みたいな指摘をするのです。

もっとも、実際にやった記憶はありません。

 

 

嘘を考える日

エイプリルフール(April Fools' Day)は、毎年4月1日には嘘をついても良いという風習ですが、私の中では嘘を考える日でもあります。

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April Fools' Day

小学校の頃は、他愛もない嘘で嬉しがっていました。時に、嘘が酷くなって、誰かを嫌な気持ちにさせることもありました。喧嘩になったこともあります。

 

高校の頃になると、嘘にも幾つか種類があると考えるようになりました。良い嘘と悪い嘘の区別というより、その境界線を考えて遊ぶのです。これまでにも幾つかブログ記事にしたことがあります。

 

嘘とジョーク

嘘は、どこまでが嘘でどこからジョークかを考えた記事。

その場限りの話についてなら、「僕は嘘は言わないよ。」は本当かもと悩んでしまうのに対して、「生まれてこの方、一度も嘘をついたことがない」は全然信用されません。

誰もが内心「人は必ずどこかで嘘をつく」と信じているわけです。

でも、今、目の前の相手が嘘をついていると思うことはそう多くはありません。

つまり、「人は大抵の場合本当のことを言うが、何かの場合に嘘をつく」のであって、人によって「何かの場合」が違ってくることを知っているのでしょう。

 

「何かの場合」とは、大抵、嘘をつく本人にとって都合が良いか、悪いことを隠す場合ですが、それとは別に、意表をついて楽しむ、楽しませる嘘があると思うのです。

 

エイプリルフールルール

エイプリルフールは、意表をつく嘘で楽しむ、楽しませる日。

これが自分ルールです。

命を軽んじたり、誰かを貶めたり、傷つけたり、困らせる嘘はアウト。

目指すは「なるほど!」とか「なんだ、そういうことか」と感心したり笑ったりできる嘘というより、ジョーク、おとぼけ等です。

その辺のバランスを楽しむ日と言えるかも知れません。

 

インターネットを使い始めた1998年頃、Yahoo!、goo、窓の杜など、いろんなサイトで、これでもかというようなエイプリルフール記事を競い合っていました記憶があります。場合によっては、他社の嘘の記事を真に受けて報道してしまうこともありました。

 

ちなみに2003年の窓の杜のエイプリルフールのページがこちら。

リンク切れもありますが、それすら懐かしい。

やがてそれも下火になりましたね。

SNSの登場で個人個人で情報を発信できる場が増えたからでしょう。

どうやら、エイプリルフールにも、流行り廃りがあるようです。

 

嘘と本当の関係

エイプリルフールだからと言って、

人間、「嘘しか言わない」のは絶対に無理。

「嘘しか言わない」のが正しければ、嘘じゃないことになります。また、「嘘しか言わないこと」が嘘ならば本当のことを言ってることになります。

どちらも矛盾してしまうわけですから、嘘ですね。

 

反対に

人間、「本当のことしか言わない」のも絶対に無理。

「本当のことしか言わない」と言っているのに、

既に「しか言わない」まで言っているわけですから、嘘ですね。

 

え?屁理屈ですか?

 

言いたかったのは、嘘と本当のことはすぐ混じり合うという話です。

それも意図していないことが混じり合わされる場合があります。

「嘘ですね」と指摘する本当があり、

本当のことを「嘘ですね」とする嘘もあります。

もともと嘘なのに、いつのまにか本当のことにされてしまうこともあります。

本当のことなのに、いつのまにか嘘にされることも少なくありません。

 

最近、特にそんなことが増えているように思うのは私だけでしょうか。

油断大敵です。

 

疑うことと信じること

正直地蔵とうそつき地蔵の論理パズル記事では、こう書いています。

ここから派生して、信じることと疑うことは、単純に相対立するものでないと考えるようになりました。「疑うことなく信じるなかれ、信じることなく疑うなかれ。」です。

疑うことなく信じるのは、妄信。
疑っても疑っても疑いようのないことを信じるのが確信。
信じるものもないのに疑ってかかることは偏見。
信じよう信じようとしても疑ってしまうのは疑心暗鬼。

自画自賛ながら、下四行は私のお気に入り。

嘘を嘘だと見抜くことで、本当のことが見えてくる。

つまり、エイプリルフールとは、

嘘を考え、嘘を見抜き、本当のことを見つける力をつける日なのです。

 

って、嘘ですよ。