tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

今日は何の日? 嘘を考える日

春分も過ぎて、だんだんと日が長くなってきたせいでしょうか。

3月が長いですね。

今日でようやく3月32日。明日から4月です。

でも、4月はあっという間に過ぎ、明後日にはもう5月--。

 

エイプリルフール

高校時代、エイプリルフールはこんな感じでよくとぼけてました。

といっても、時は春休み。

それほどとぼける相手もおらず、嘘をつける機会は少なめ。

イデアは浮かんでも、そうそう使えるものでもなかったです。

 

憶えているアイデアは他にも。ありがちなネタです。

題して、待ち伏せ作戦。

友人と雑談しながら、誰かが嘘を言いに来るのを待ちます。

どんな嘘でも騙されたふりをして、相手がエイプリルフールとネタ晴らしをしたタイミングで、「エイプリルフールは昨日だぞ。」みたいな指摘をするのです。

もっとも、実際にやった記憶はありません。

 

 

嘘を考える日

エイプリルフール(April Fools' Day)は、毎年4月1日には嘘をついても良いという風習ですが、私の中では嘘を考える日でもあります。

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April Fools' Day

小学校の頃は、他愛もない嘘で嬉しがっていました。時に、嘘が酷くなって、誰かを嫌な気持ちにさせることもありました。喧嘩になったこともあります。

 

高校の頃になると、嘘にも幾つか種類があると考えるようになりました。良い嘘と悪い嘘の区別というより、その境界線を考えて遊ぶのです。これまでにも幾つかブログ記事にしたことがあります。

 

嘘とジョーク

嘘は、どこまでが嘘でどこからジョークかを考えた記事。

その場限りの話についてなら、「僕は嘘は言わないよ。」は本当かもと悩んでしまうのに対して、「生まれてこの方、一度も嘘をついたことがない」は全然信用されません。

誰もが内心「人は必ずどこかで嘘をつく」と信じているわけです。

でも、今、目の前の相手が嘘をついていると思うことはそう多くはありません。

つまり、「人は大抵の場合本当のことを言うが、何かの場合に嘘をつく」のであって、人によって「何かの場合」が違ってくることを知っているのでしょう。

 

「何かの場合」とは、大抵、嘘をつく本人にとって都合が良いか、悪いことを隠す場合ですが、それとは別に、意表をついて楽しむ、楽しませる嘘があると思うのです。

 

エイプリルフールルール

エイプリルフールは、意表をつく嘘で楽しむ、楽しませる日。

これが自分ルールです。

命を軽んじたり、誰かを貶めたり、傷つけたり、困らせる嘘はアウト。

目指すは「なるほど!」とか「なんだ、そういうことか」と感心したり笑ったりできる嘘というより、ジョーク、おとぼけ等です。

その辺のバランスを楽しむ日と言えるかも知れません。

 

インターネットを使い始めた1998年頃、Yahoo!、goo、窓の杜など、いろんなサイトで、これでもかというようなエイプリルフール記事を競い合っていました記憶があります。場合によっては、他社の嘘の記事を真に受けて報道してしまうこともありました。

 

ちなみに2003年の窓の杜のエイプリルフールのページがこちら。

リンク切れもありますが、それすら懐かしい。

やがてそれも下火になりましたね。

SNSの登場で個人個人で情報を発信できる場が増えたからでしょう。

どうやら、エイプリルフールにも、流行り廃りがあるようです。

 

嘘と本当の関係

エイプリルフールだからと言って、

人間、「嘘しか言わない」のは絶対に無理。

「嘘しか言わない」のが正しければ、嘘じゃないことになります。また、「嘘しか言わないこと」が嘘ならば本当のことを言ってることになります。

どちらも矛盾してしまうわけですから、嘘ですね。

 

反対に

人間、「本当のことしか言わない」のも絶対に無理。

「本当のことしか言わない」と言っているのに、

既に「しか言わない」まで言っているわけですから、嘘ですね。

 

え?屁理屈ですか?

 

言いたかったのは、嘘と本当のことはすぐ混じり合うという話です。

それも意図していないことが混じり合わされる場合があります。

「嘘ですね」と指摘する本当があり、

本当のことを「嘘ですね」とする嘘もあります。

もともと嘘なのに、いつのまにか本当のことにされてしまうこともあります。

本当のことなのに、いつのまにか嘘にされることも少なくありません。

 

最近、特にそんなことが増えているように思うのは私だけでしょうか。

油断大敵です。

 

疑うことと信じること

正直地蔵とうそつき地蔵の論理パズル記事では、こう書いています。

ここから派生して、信じることと疑うことは、単純に相対立するものでないと考えるようになりました。「疑うことなく信じるなかれ、信じることなく疑うなかれ。」です。

疑うことなく信じるのは、妄信。
疑っても疑っても疑いようのないことを信じるのが確信。
信じるものもないのに疑ってかかることは偏見。
信じよう信じようとしても疑ってしまうのは疑心暗鬼。

自画自賛ながら、下四行は私のお気に入り。

嘘を嘘だと見抜くことで、本当のことが見えてくる。

つまり、エイプリルフールとは、

嘘を考え、嘘を見抜き、本当のことを見つける力をつける日なのです。

 

って、嘘ですよ。