tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

近況27.父がCPAP使用を始めて1年が経ちました

今年も近辺の桜が満開になりました。

去年、桜が満開になる頃から使い始めた父のCPAPシーパップ睡眠時無呼吸症候群の治療器具、詳しい説明はこちら )も、1年が経ちました。

 

CPAP1年を迎えて

今も、CPAPを着けて寝ています。

床についてCPAPを作動し、空気漏れの調整をするのを見届けてから、私は父の部屋を去るようにしています。すぐに寝付けていないこともたまにあるようですが、最近は5分もしない内に寝入っていることが多いです。多少の空気漏れの音があっても、大丈夫。

 

鼻にかぶせるマスクは、マジックテープで固定するタイプですが、使い始めて10か月になろうとする頃に、マジックテープがゆるくなってきました。時折ですが、寝ている最中に外れてしまうこともありました。診察の際、お医者さんに相談するとすぐ交換することに。

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CPAPの鼻マスク

大抵1年は持つそうで、鼻マスクが1年持たないというのは予想外でした。でも、夜中にトイレに起きる回数が、一晩に5回の時もあるので、その分、着脱機会が増えているのでしょう。

 

お医者さんの「1日4時間はつけるように」との指示が守られるよう、私は今も、午前2時ごろまで、時折に父の様子を見に行っています。かなり減ったとはいえ、トイレに起きるつもりでCPAPを外して、うっかり2度寝するケースはあります。また、悪い夢を見たとかで、不意に叫んでしまうこともあります。私の気にし過ぎとも思うのですが、父がCPAPを外して寝て重大なアクシデントになった時のことを考えると、悔いても悔い切れない思いをしそうで、様子見を続けています。

 

CPAPの効果

父は、CPAPをやめたいとは言わなくなったものの、CPAPの効果には無頓着に見えます。私からすれば、一時期頻繁に訴えていたふらつきも、眩暈もかなり減少したと感じているのですが、少しでもふらつきがあれば、全然良くなっていないと言います。この言葉が、じわりと応えるのです。何だか、私のしていることが無意味に思えてくることがあるのです。父の場合、まだ介護と言えるほどのものでもないですが、介護の現場では日常の話にも思えます。あまり父の言葉に気持ちを揺らされないようにと気をつけてはいますが、簡単ではないですね。

 

でも、父の散歩の様子や庭の手入れ等を見ると、効果はあると思います。特に、一緒に散歩しているときに、近所の人から「前より元気そうに見える」との話を聞くと、父は「そんなことはない」と言いますが、わかる人にはわかるんだなと励まされます。

 

一歩一歩

さて、昨日はいつもの散歩コースとは違う場所を歩きました。少し離れた場所までドライブをして、花見がてらの散歩。それも午前と午後で2カ所です。良く晴れた青空を背景に満開の桜。

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青空の下、満開の桜の道を散歩

父の歩きたいままに付き添って歩きます。何だか人気の少ない場所も敢えて選んで歩いている風です。

 

「調子良さそうだね」と声をかけると「そんなことはない」と返ってきますが、以前と比べても足取りは軽そうです。

不安を言い出すとキリがないですが、その一歩一歩を見て、一つ一つ安堵を得ています。父がCPAPを始めて一日一日を重ねている内に1年。同様に、この後一年一年を重ねていけたらと思っています。

 

このところ、ブログ更新が停滞しがちで、購読中のブログ訪問もできていません。以前の平均週2回ペースに戻すのにもう少しかかりそうです。こちらもまた、一歩一歩です。

tn61.うどんの本数をマッチ棒で数えたこと

久しぶりの更新になりました。更新が10日以上開いたのは半年ぶりでしょうか。

何となく書きそびれていた上に、実家と自宅の往復などバタバタしてました。

 

 

一杯のうどんの本数

当初は別の記事にする予定でしたが、3回連続10cm(id:sankairenzoku10cm)さんのブログにこんな記事がUPされてて、急遽予定変更。

www.sankairenzoku10cm.blue

3回:作って欲しいうどん系の施設シリーズ。うどんジャンプ--バンジージャンプの命綱がうどん10本の束。いや、なんなら30本でもいい。このスリル感はうどんでしか味わえない!と思う。

と記事にあります。前後の文脈からして、3回連続さんの行きつけのうどん屋「山もり」さんでは、1食のうどんが10本のようです。「命綱がうどん10本の束」だなんて、10本のうどんに命をかけてる3回連続さんの熱い気持ちが伝わってきます。

え?ちょっと違いますか?それはそれとして。

 

実は、私もうどんの本数を調べたことがあったのです。高校時代の話ではないのですが、それを記事にしたくなりました。

 

指折りで数える

働くようになってから、よく通ったうどん屋さんでのこと。ふと、うどん一杯の麺の量っていつも同じ本数なのかと気になりました。ラーメンに比べ、うどんの麺は太いです。本数が1本違うと量の違いも結構大きくなるわけですから、うどんの本数は常に同じかどうかと気になったのです。

 

丁寧に1本ずつすすります。指折り数えていましたが、10本を超えた頃、出汁を飲むのに丼を持ち上げた際、指をうっかりリセットしてしまい、正しくカウントできた自信が持てなくなりました。そこで、次回のリベンジを決めます。

 

マッチ棒を使って数える

別の日、目の前にうどんが出されてから、数えることを思い出しました。メモにペンで正の字で数えようかと思ったものの、あいにく手元に筆記用具がありません。思いついたのが、マッチを並べて数えるアイデアです。まだ店内でも自由にタバコが吸えていた時代で、目の前に徳用マッチ箱があったのです。

 

前回の経験からうどんは15本前後と予想してました。でも、テーブルの上に15本のマッチを並べると変な人に見られそうです。そこで、2進法を活用することにしました。

1本すすれば、マッチの頭を上にして置く。「1」の意味で「1」、

2本すすれば、1の右隣に頭を下にしておく「10」の意味で「2」、

3本すすれば、マッチの頭を上したのが2本並び「11」の意味で「3」

という具合です。ここでは、18までを図にしました。

※( )内は2進法での表記。

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2進法のマッチの数え方

2進法は位が上がるほど1,2,4,8,16と増えますから、マッチが5本あれば31まで表せます。5本なら喫茶店でマッチパズルにして遊んだこともあるからセーフじゃないかな?って感じでした。(多分、私の思い過ごしです。)何にせよ、高校時代に鉛筆転がしで2進法を活用した経験が活きた訳です。

人生、どこでどんな経験が役に立つかわからないものですね。

 

何度か数えてみた結果、私の利用していたうどん屋さんでは、マッチ棒4本で事足りたことと、5本が必要になったことがあったのを記憶しています。ですから15本以下のときと16本以上の時があったことになります。15本前後という予想は的中。切れ端の麺が入っていたこともあるので、長さや本数に差ができたのでしょう。

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うどんの本数をマッチで数える

なお、うどんの本数を数えたのはこの店だけです。

数えていて気づいたのです。

本数を数えながら食べていると、うどんの美味しさが弱まる気がするのです。

やはり、うどんは本数を数えるものじゃなく、美味しく食べるものです。

本数を数えるのは、美味しさを満喫した上で、その秘密を探りたくなった時くらいにしておく方が良いんじゃないかとーー。

 

うどんの本数への興味

でも、この経験があったので、3回連続10cmさんの記事の「10本」に関心を持つことになりました。10本は経営上の理由かもしれません。一杯に丁度いい量がたまたま10本だっただけかも知れません。でも、丁度いい量を維持するには、麺は常に同じ長さ、同じ太さである必要がありそうです。そこには、何かこだわりがあるのかも知れません。そうなると、うどんの本数にも美味しさの秘密があるのではと思えてきます。当然、そのこだわり方は店によって違うでしょう。また、麺の切れ端はどうしているのかも気になるところ。などなど。

 

放置していた興味がむくり。

山もりうどんさんのうどんの本数、数えてみたくなりました。

もちろん、まずは美味しさを満喫した上での話ですから、いつになるかは不明ですけど。

雪国への受験旅行(3) 受験を終えれば春

相部屋最後の夜

試験期間中、天気はコロコロ変わったと思う。窓から陽が差して青空と周辺の雪景色が眩しく見えたかと思ったら、景色が吹雪に隠されたり、どんよりと灰色の雲が空を覆ったり。これもまた、別世界に来たような錯覚に役立っていたのかも知れない。

 

明日で試験が終われば、皆が散り散りなってしまう。名残惜しさに駆られたのは私だけでは無かったようで、ここに皆が集った証に寄せ書きを残そうという話になった。私ともう一人が色マジックのセットと人数分の画用紙とを買いに商店街に出かけた。他にジュースやお菓子を買い出しに行く者もいた。

 

※ この記事は、下の記事の続きです。

 

 

相部屋仲間の一人に、同じ高校から受験に来ている女子がこの旅館にいるとわかった。勢い二人はつき合っているのか?という話が湧いたが、実際のところ、どうだったのか不明。その彼女の相部屋つながりで女子4人が合流し、総勢13人の宴会となる。高校生なので、もちろんアルコールは無い。頼り無い記憶ながら、仲居さんがにこやかにガラスコップを揃えたくれたように思う。部屋に冷蔵庫があったのか、ジュースのビンが入り切らなかったのか、窓を開けて二階の屋根にたっぷり積もった雪にビンを何本も差し込んでいたのは憶えている。片付けはどうしたのだろう?

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雪に差し込んだジュースのビン

酔うはずはないが、皆、気分が高揚して話が弾んだ。方言の話や県の名物の話もあった。ラーメン論争も起きた。これも九州各県で味が違い、一緒にされたくないと言っていたが、基本は豚骨で同じらしい。相手の話し方が上手いのか、私が今までに食べたラーメンより美味しそうに思えた。当時、豚骨ラーメンは食べたことが無く、とにかく汁が白いという豚骨ラーメンを食べると心に決めた。観光名所の話もした。四国に住んでいたため知らなかったのか、九州では、青い国四国としてPRされているらしい。また、将来の夢や、合格は期待薄なんて話もあった。

 

もし、翌日が試験でなければ夜通しワイワイやっていたかも知れない。宴は早めに終わり、その後は、寄せ書きの時間になった。手帳には「夜遅くまで寄せ書きを書く」と記してあるが、試験最終日前日に何時まで書いていたのやら。のどかな時代で、本名に住所、電話番号のやりとりもした。2年ほど前、実家の倉庫の整理をしているときに、その寄せ書きが出てきて驚いた。今回、もう一度倉庫を探したが、また行方不明になってしまったようだ。残念。

 

入試を終えて

一度は解散したものの

翌日、入試の全日程を終え、皆で宿に戻ってきた。結果はともかく、解放された感があった。手帳には「バンザイ三唱を拒否された」と書いてある。「それじゃあ、解散。」のリーダーの言葉に反応し、国会解散のバンザイ三唱に倣ってはどうかと考えたのだ。察するに、この試験で一番浮かれていたのは私だったと思われる。

 

旅館を後にして、一度は散り散りになったが、皆、四国、九州から来ているのだ。もう一泊して翌日帰るという者もいたが、そうでなければ、帰る手段の重なる人がいるのは当たり前。私は夜行列車の普通車を使う予定だったが、同じ列車を利用する者は他にもいた。出発時刻までかなりの時間がある。小さな商店街をぶらつく内に何人もと再会した。結局、相談して荷物は駅のコインロッカーに入れて、ボーリングをしようとなった。

コインロッカー

変なことを憶えている。同行した仲間の一人が、コインロッカーに荷物を入れ、硬貨を投入して、鍵をかけた。その後、鍵がきちんと開くかどうか気になったみたいで、すぐロッカーを開けた。「あ、開いた。」と安心したようだが、その瞬間、硬貨が戻らないことに気づき、扉を開けたまま「あ、しまった。」と言っていた。それがやたらと可笑しくて、でも、目撃したのは私だけのようで、もし、ここで私が笑うと他の人にも気づかれるはずで、それは彼も嫌だろうと思い、笑うのを必死に堪えた。

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「あ、しまった。」

それ以降も何度となくコインロッカーを使っているが、よくそのことを思い出してしまう。ニヤニヤしながらコインロッカーの鍵を開け閉めするのは、いかにも不審者ぽくてまずいと思うのだが、厄介なことに、コインロッカーはそんなに頻繁には使わない。使う頻度は絶妙なくらいに、笑ってはいけないのを忘れるタイミングなのだ。おかげで、もう38年それが続いている。あの時、変に気を遣わず笑っていたら、忘れられたかも知れない。

行き交う人々

ボーリングには、もう一泊する人も合流した。誰かが旅館に電話をかけて誘ったようだ。何人になっただろうか。個人戦、チーム戦としたように思う。列車の時刻が来るからと先に抜けた人もいた。ボーリング場の営業は22:00まで。時間いっぱいまで遊んだというより、他に行くところが無かったというのが正しい。夜になると付近には開いている喫茶店もなかった。コンビニが全国に広がるのは数年後の話だ。ポツポツと街灯が見えるものの、雪に覆われた町はひっそりしている。さっきまで温かく迎えてくれていた街が、22:00を境に、急に冷たくなった感じがした。入試という祭り?はもう終わったのだ。もう一泊する人を旅館まで見送ったあとは、駅に向かうしかなかった。

 

駅に入ると、相部屋仲間とは別に顔見知りなった人も何人かいた。ボーリング場から先に出た人にも再会した。他の便に乗る者達が先にホームに向かう。同じ試験を私達とは違う過ごし方をしたのだろう、一人静かにホームに向かう者もいた。あの相部屋でなかったら、私も一人黙って列車に乗り込むことになったかも知れない。

 

敢えて、繰り返す。

旅の醍醐味を一言で表すなら、「未知との出会い」だと思う。

旅には溢れんばかりの未知との出会いがある。

 

夜行列車は春に向かって

列車に乗ったのは深夜。日付が変わる頃だったと思う。そこで女子を含めて7人が再会し、近くの席に座った。どこかのタイミングで列車内の照明がかなり暗くされたように思うが、記憶に自信が無い。誰かが話をしている間に、うとうと眠り、また目が覚めて話に参加したりしていた気がする。

 

途中で喉が渇き、停車中にホームに降り自販機で飲み物を買った。その際、ホームの屋根からはみ出た、真新しい雪が積もっている場所に足跡を残してはしゃいだ。綿を踏むように足が沈んでいった気がするが、別の場所の記憶が混ざっている気もする。

 

手帳によると、午前4時ごろまで話をしていたらしい。寄せ書きを出して、まだ書いてもらってない人に書き加えてもらうこともした。私も書いた。揺れる暗い列車で書きにくかった。

 

気がつけば雪国を抜け出していた。車窓から雪景色は消え、浅い春の朝になっていた。一晩で冬から春になったような錯覚に襲われる。京都で仲間の一人が列車を降りた。私は新大阪で皆に別れを告げた。駅で別の受験場所から帰る同級生に会った。港でも、別の同級生に会った。誰もが受験の結果は気にしていたはずだが、誰もが受験が終わった晴れやかな顔に見えた。私の目にそう見えただけかも知れない。私の顔はどう見えていたのだろう。

 

春風に当たりながら

帰宅した後、10年後を話した友人(参照「 特別お題 高校入学からの10年間で変わったこと・変わらなかったこと」)にすぐさま電話をかけたが留守だったと手帳にある。夜行列車であまり寝ていないままの行動力に呆れてしまうが、じっと家でいることができなかった。免許取りたての小中学校の同級生だった友人に会い、ドライブに出かけた。彼は就職が無事決まっているらしい。

 

明日は卒業式である。雪の跡すらないこの地。昨日まで雪の別世界で受験していたことが早くも夢のようだ。受験に追われ、鬱々とした時間は終わったのだ。ひとまず受験を考えなくていい、残り3週間程の高校時代を満喫しよう。大学の合格は望むべくもないが、この解放感漂う今だからこそ、味わえる何かをやってみようーー。

 

春風に当たりながらそんなことを考えていた。

 

 

今週のお題「試験の思い出」