近況10.人生55年生の今、学ぶこと、父のこと
「 学力とは、学んで得た力ではない。学ぼうとする力である。」
大学時代に出会った言葉です。今でもそう思っています。
この歳で学ぶ意味
現在私は55歳です。今年1年、何を学ぶとよいのでしょうか。
前回の記事の計算に従えば、今年1年が私の人生に占めるのはわずか1.8%。これまでの98.2%に比べると何とも短いです。
今更、何を学んでも大した意味はないようにも思います。しかも、学んでも忘れることは多い一方で、何かに役立てられることもそう多くなさそうーー。
でも、きっとこうした考えは落とし穴。本末転倒だと自分に言い聞かせています。
「意味があるから学ぶ、役立てられるから学ぶ」ではない。
「学ぶことに意味があり、学ぶことで役立てられる」のだと思うのです。
意味があるかどうかはやってみないとわからない。今の文明を支えている研究には、かつて「絶対に無理だ」「できるはずがない」「やっても意味がない」と信じられていた分野を開拓したものが少なくありません。
幸いにして、これまでで学んで損をしたという経験はありません。わからないということがわかるのは学んで得た成果であって、他のことを学ぶ方が私には役に立つという生き方の指針にもなっています。微分・積分はまさにそんな感じでした。
この記事にも書きましたが
…「わかる」には四つの段階があるのだとか。
1.わからない(わかっていない)ことがわからない。
2.わからない(わかっていない)ことがわかる。
3.わかる(わかっている)ということがわからない。
4.わかる(わかっている)ということがわかる。
1から2へ進むだけでも価値や意味はあると思います。
先に「今年1年が私の人生に占めるのはわずか1.8%。」と書きましたが、これまでの人生の98.2%が胸張れるものであったかと言われるとそうでもありません。微分・積分のようにわからないことがわかったならまだしも、わからないことがわからないままになっていることの方が多いかも知れません。
人生の55年生
それでもこう言い換えることができると思います。
「これまでの98.2%の学びがあるから、その先の1.8%の学びに進むことができる。」
小学3年生までの学習をしてきたから、小学4年生になれるように、人生54年まで学んできたから、人生55年生になれる。そんな感じ。
大したことを言っているわけではありません。当たり前のことをあえて大袈裟に言っているだけです。小学校なら6年間、中学では3年間学んだように、仮に100年の人生なら100年間学ぶ。今55歳なら55年学ぶという次第。
これは、「人間の本質は考えることである」の持論ともつながっています。
「生きているなら考えよ、考えるなら学び続けよ」
今年も学ばなくてはと思います。
何を学ぶか
ブログで宣言した5項目中の4項目
これからも私らしく過ごしたいと思っていますが、そのための明確な学びの筋道はありません。でも、幾つかの学んでみたいことはあります。
まずは、ここで触れた話題です。
- AIの話
- 編み物の話。
- ウーロン茶や水など無糖飲料の話
- 自転車に乗りながら飲んだ空き缶の置き場所のこと
- 禁煙と喫煙のこと
5つとも高校時代に関心を持っていた話題です。高校時代から始まったという訳ではありません。また、どれも今につながっている話です。
この内、5はひとまず「私と煙草」シリーズとして書き終えたので、今年中に残り4項目を書きあげたいと思っています。もっとも、学ぶというほどの詳しい話にならないかも知れません。また、他の人にとってはあまり興味が持てない話になるかも知れません。いつになるかは不明ですが、下書きは今も少しずつ膨らんでいます。
急浮上したもう1項目
実は3月、実父が無呼吸症候群の重症だと診断されました。
診断に至る最初のきっかけは、母の通夜の日(2019年12月)、亡くなった母の傍で、父と私が並んで寝ていた時でした。父がいびきをかくのはずっと以前からのことで、最初はあまり気にしていなかったのですが、この夜のいびきはそれまでと違って聞こえました。とても大きかった上、苦しそうに聞こえたので気になったのです。
2020年8月、母の初盆はコロナの影響もあって帰省を断念しました。一方で、ツレ(連れ合い)のお父さん(以下、ツレ父)の自宅に介護に入るようになります。ツレ父はがんが進行し、立ち上がることも難しくなって、日中もベッドで眠ることが増えていきました。そんなとき、ツレ父のいびきが、実父のいびきに似ているように聞こえて、ドキリとしたのを憶えています。
ツレ父を看取った後、彼岸に合わせて私の実家に帰省しました。その際、実父のいびきが気になって、隣の部屋で朝方まで起きていました。気にして聞いてみると、隣の部屋でも父のいびきは十分に聞こえました。そして、不意にいびきが止まるのです。1度や2度ではありません。しかもかなり長い間止まるときもありました。
その時に父の無呼吸症候群を確信したのです。
すぐ病院に相談して、9月末に2度の簡易検査を家で行った結果、精密検査のために入院が必要と言われました。年末の検査入院は父の体調不良でキャンセルになりましたが、この春に検査入院ができ無呼吸症候群の重症とわかったのです。
母に教えられ、ツレ父に念押しされた気がしています。以前、仕事の上司から聞いた話やテレビで見た知識等もつながり、今は何だか、すべてのことが父の無呼吸症候群に備えるためだったような気もします。
父は6月に81歳です。付き添って行った病院やネット検索で無呼吸症候群の治療等の情報を集めています。それでも、わかっていないことがわかったという感じで、まだまだわからないことばかり。情報を集めることが学びと言えるのか微妙な気もしますが、少しでも父の症状について知りたい、改善したい、そんな思いです。
新しく「父のこと」と「無呼吸症候群」のカテゴリーも作りました。
今後、時折に私と父の近況も兼ねながら、記事にしていくつもりでいます。
無呼吸症候群の続きの記事はこちら