tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn44.齢を重ねるほど1年を短く感じる理由

「1年経つのが早くなった」との台詞は、歳を重ねるほどに使うことが増えるようです。一方で「1年経つのが遅くなった」という話はまず聞きません。何故でしょうか。その理由を3つ考えてみました。

  

  

1.人生で1年が占める割合

1歳の子どもにとって、1年は人生の100%です。

2歳なら50%、5歳で20%、10歳で10%と歳を重ねるほどに減っていきます。100歳となれば1年の占める割合は人生の1%にしかなりません。

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人生で1年が占める割合

1年が365日というのはおそらく誰にとっても同じ長さですが、人間の時間感覚で1年を人生の幾ら分かと認識しているなら、1年が占める割合は歳を重ねるほどに減り続けます。

 

10歳の子どもが感じる1年の長さは人生の10%、50歳では人生の2%です。つまり、10歳の感じる1年が、50歳では5分の1に感じられるという理屈です。日数に換算すれば、10歳の365日は、50歳の73日です。そう考えると、10歳の子どもが「1年なんて長過ぎる」と感じるのも、50歳の人が「1年があっという間」と感じるのも、納得できそうです。

 

2.記憶の残り具合

脳が新しい記憶を留めるため、常に一定程度のことを忘れて空き容量を作っているとも聞きます。つまり、知らぬ間に忘れてもいい記憶を選別して消していることになります。

 

人間の記憶には短い時間で消えていく忘れてもいい「短期記憶」と、長い間記憶し続けたい「長期記憶」があるとのこと。どんな記憶がどういう経過で短期記憶と長期記憶に振り分けられるのでしょう。

 

子どもの頃や若い頃なら新しい歌やアニメ・ドラマの台詞などを苦も無く憶えられたのに、歳を重ねるほどに憶えにくくなったと感じる人は多いと思います。小学校、中学校の校歌なら憶えているのに、高校や大学の歌となると忘れているという話もよく聞きます。身体に染み込んでいるずいぶん前の流行語がすらすら出てくる一方で、新しい流行語を使いこなすのは大変です。また年々、ちょっとの間そこに置いたつもりで忘れてしまう等のうっかりが増えることは、中高年の人なら誰もが経験していると思います。

 

また、それまで全く経験がなかったことは憶えていても、慣れるほどに忘れることは多いです。初めてのキスを憶えている人は多くても、5回目のキスを憶えている人はぐんと減るでしょう。初出勤の服を憶えていても、10日前の出勤の服は忘れている等、記憶に残りやすいのは、初めての経験だと言えるでしょう。

 

つまり、人間の記憶はある程度の年齢を超えると、初めての経験が減る一方、多くの経験は日常の経験となり、大事な記憶かどうか自分の意思で振り分けるのが難しくなってしまうものかも知れません。そうなると、昔の1年は長く感じる一方で、最近の1年が短く感じるのも当たり前と言えそうです。

 

もちろん、これらの記憶は別の何らかの要因で、憶えていたい優先度が変わることもあります。例えば、自分は忘れていたけれど、憶えていた人から直接話をされて思い出して以降忘れられなくなったとか、自分としては当たり前だと思っていたことが周囲の考えと全く違っていたと気づいて肝に銘じだとかもありそうです。それでも、かなり限定的なことだと思います。

 

3.記憶の入り具合

ところで、人間の記憶の質は一生を通じて同じでしょうか。できるだけ多くのことを自分に取り込むため五感を全開にしていた思春期や青年期と、多くのことが当たり前に思えて変化に鈍感になりやすい中高年とでは、取り込む情報の質や精度が違っているように思います。

 

素数に例えるなら、感受性の強い思春期の記憶が8K(7,680×4,320ピクセル)の映像で、ぼんやりしてしまいがちな中高年期の記憶がVGA(640×480ピクセル)の映像のような差があるのかも知れません。そして、時間の経過で薄れる記憶が画像の解像度を低くしていくことに似ているなら、画像がぼやけてわからなくなりやすいのは当然VGAの方でしょう。

 

また、粗い画像より精密な画像を大事にしたい思いが無意識に働いて、粗い画像を優先して削除していくこともありそうです。そうなると、最近の記憶は失われやすい上、記憶は残っても印象の弱い1年が出来上がり、1年を短く感じてしまうのかも知れません。

 

人類にとって必要不可欠なシステム

以上3つの理由を書いてきましたが、考えようによっては、齢を重ねるほど1年を短く感じるシステムは人類にとって必要不可欠にも思います。

若い時には、その一瞬一瞬をひたすら懸命に生きる。

経験を積んだベテランは、一瞬一瞬を懸命に生きた記憶から良し悪しをふるい分けて、正しいと思われることを選び、これから先に光を当てる。

これは人類にとって理想的な世代間の役割分担かも知れません。

 

ただ残念ながら、常にこのシステムが正しく機能するわけではありません。「今の若者は…」という中高年の愚痴はエジプトの古代文明の時代からあったそうですし、中高年が打ち立てた指針に従った結果多くの若者の命が失われた時代もありました。逆に若者が中高年の考えを乗り越えて行動を起こし、新しい時代を呼び込んだ歴史もあります。

 

それでも、次の世代に自らの世代の経験を語ることは、いつの世も大事な営みでしょう。

「1年は長い」とうつむく若者に、「1年なんてあっという間だ、備えを軽んじてはいけない」と語る大人がいなければ、若者はいつまでも懸命に手探りを繰り返すしかなくなります。大人の話を聞いて、若者が賛同するか反発するかはそれぞれでしょうが何らかの手がかりにはなるはずですし、歴史はそれを繰り返しながら進んできのだと思います。

 

むしろ、誰もが1年を同じ長さに感じることの方が怖い気がします。

齢を重ねるほど1年を短く感じる理由は、人類の存続と繁栄のためとも言えそうです。