tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

映画13.『南極物語』(1983年)の映像・音楽と動物愛護

私と南極

南極についての記憶の原点は小学校2年の時に読んだ『長い長いペンギンの話』(いぬいとみこ)です。南極に住むペンギン、こわいもの知らずの兄ルルと、臆病だけど心の優しい弟キキの話です。遊んでいる内に氷の塊に乗ったまま流されてしまい、冒険が始まったように憶えています。ところどころにある挿絵と、つたない知識を使って、南極をイメージしていました。

 

その後、昭和基地での南極探検の話、世界初の南極点踏破を目指したアムンセンとスコットの話等、南極の厳しさに触れる話に興味関心は高まるばかりでした。 でも、知れば知るほど、その過酷さに驚かされていました。

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人を隔絶していた南極大陸

 

もくじ

 

映画『南極物語』の映像・音楽

そんな中での蔵原惟繕監督作品です。彼の『キタキツネ物語』も観ていたので、極寒の映像や動物の撮影に対する期待は大きかったです。またキャストは高倉健渡瀬恒彦夏目雅子に加えて、当時注目していた荻野目慶子。テレビの若者向けバラエティ番組 『YOU』(NHK教育)での女性の司会(男性の司会は糸井重里)をする姿に好感度も高かったです。また、映画『炎のランナー』のシンセサイザー音楽で名を挙げたヴァンゲリス。そんな訳で『南極物語』は、何が何でも映画館で観ると決めていた作品でした。

 

公開日が近づくにつれ、宣伝が派手になり、角川映画の宣伝手法を真似たような部分もありましたが、お気に入りの荻野目慶子が、薬師丸ひろ子や、原田知世のように注目されるのではという期待もありました。映画のキャッチコピーの「どうして見捨てたのですか なぜ犬たちを連れて帰ってくれなかったのですか」も、肯定的に受け止めていました。映画のイメージソング『愛のオーロラ』も歌っていましたが、これについては記憶がかなりぼんやりしています。

 

映画を観て一番印象に残ったのは、南極の風景と音楽でした。透き通るような映像とシンセサイザー音楽がピタリと重なって、上映されたのが夏だったのもあり、暑い時に涼しさを感じたくなると、定番のように何度も脳内で再生していました。

南極物語のテーマ( Theme from Anterctica )も雪原を走る犬を彷彿させるので良いのですが、南極の澄んだ空気や氷の透明感が感じられる Antarctic echoes の方がより私の好み。

 

困るのは、時折、不意に湧き出る焼肉のイメージ。

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まるでサブリミナル効果でも仕掛けられてる感じ。そんなに頻繁ではないのですが、脳内で南極の映像と音楽を再生している途中に、透き通った牛の脂身がてらてら光る映像が混じります。暑いと焼肉が食べたくなるのはこの影響かもしれません。

 

期待していた荻野目慶子の演技は残念ながらあまり印象に残っていません。それよりも『YOU』(NHK教育)の中で映画の感想を語った時に、自分の演技をまだまだと言い、高倉健さんを絶賛していたのが印象的でした。もっとも、作品自体が、出演者の演技より、犬や南極の風景に軸を置いていた感があるので、その辺は納得もしています。

 

映画『南極物語』での動物の描き方

犬の描き方は少し気になりました。1970年代に母方の実家で猟犬を飼っていたことがあります。ペットと言うよりは家畜として番犬を兼ねている感じでした。ですから、映画の時代背景が1950年代だったなら、さらに犬と人間の関係は主従関係が強かったのではないかと思ったのです。その辺りはドラマとしての脚色や演出があったように感じました。

 

世界初の南極点到着を目指したアムンセンは犬ぞり、スコットは馬を使うことを考えました。1911年の話ですが、両者とも動物の力を借りないと達成できないと考えていたのです。もし、この時、現代の人間とペットのような関係だったなら、南極点到達は成し遂げられなかったはずです。ましてやアムンセンは、犬ぞりを使った理由の一つに、犬を食料や他の犬の餌にできることも含まれていたそうです。それを前提にした犬ぞりを使って南極大陸を進むこと自体が、今はもう理解されないように思います。

 

映画『キタキツネ物語』(1978年)では、ドキュメンタリーと言われているだけに、動物を虐めている、そうでないならヤラセだ等の声もありました。一方で、野生動物の生態の映像で、草食動物が肉食動物に食べられるシーンが敬遠され、逃げ延びるシーンが増えたように感じます。ディズニー映画『ライオンキング』では、主人公は動物を襲わず、悪役ライオンは襲って食べます。オオカミとヤギの友情を描いた『あらしのよるに』も友情は持続します。日本の鯨食文化やスペインの闘牛文化等の批判がある一方で、ジビエ料理が注目されるなど、なんともアンバランスな気がします。

 

タロ、ジロの生還を美談としていいのか、残酷な話とすべきなのか、その辺りは今でも良くわからないです。文化や時代によって評価が変わる部分もあるでしょう。動物愛護や家畜、食肉の考え方等、ずいぶん変化しています。

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時代の変遷と人間と動物の関係

世界初の南極点踏破が達成できたのが1911年。アムンセン隊が犬ぞりを使ってのこと。スコット隊も1カ月遅れで到着したものの、全員生還できず。

話の元になる日本の南極観測が行われたのが1956年。当時の南極越冬は人の命の危険も伴うものであり、15頭の犬を基地に置き去りにして、強い批判を浴びる。

タロとジロの生存が確認できたのが1959年。帰国したのが1961年。

南極物語』映画公開が1983年。当時歴代最高の配給記録を樹立。一方で日本の南極観測隊が犬に虐待していたと日本内外から非難を浴びる。

南極大陸』としてキムタく主演でドラマ化、放送が2011年。平均視聴率 18.0%。

 

南極越冬が計画された当時、日本は世界の技術に到底及ばない状態であり、南極越冬は世界に追いつくための一つの指標だったそうです。隊員の命以上に、国としての名声を得ることを優先しようという、現在のどこかの国のような思惑が透けて見えます。そんな状況下で、世界に追いつく期待を背負い、命の危険を顧みずに挑戦した隊員達。結果的には犬を置き去りにして隊員が生還した形となり、強い非難を浴びることになりました。しかし、その事実の裏で、長期にわたる悪天候の中、命を犠牲にしてでも犬の世話をしたいと提案した3名の隊員がいたことは忘れずにいたいです。

 

確かに、犬の置き去りは虐待になるでしょう。でも、過酷な試練に立ち向かうことになった隊員にその全責任を押し付けるのにも疑問があります。計画自体が無謀だった結論付けるのは簡単かも知れませんが、その計画の成功に期待をした人がたくさんいたことも影響していた気がします。動物愛護を訴えつつ、人の命の危険を考えずに期待をするのは、何かがおかしいと思えたのです。

 

今、ペットが安易な販売と購買と飼育と放棄の結果、殺処分が増えているようです。それに対する批判も強まり、法律の改正もされていますが、youtubeやテレビ放送では、可愛さへの憧れを煽り続けているように感じます。動物愛護を訴えつつ、動物の可愛さに過剰な期待をするのも、何かがおかしいと思うのです。

 

人間と動物の関係は時代とともに変遷しています。この時代にあるべき関係を、安易だったり過剰だったりの批判や期待から一度離れて、冷静に考えてみる必要があるのではないでしょうか。