tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

氷山を見ると焼肉を連想する理由

 大学生になって一人暮らしをするまで焼肉店に行った記憶がありません。焼肉は家で食べる料理でした。カセットコンロを出して、鉄板を置いて焼くのです。

 

脂身が好きで半透明になった塊を良く食べていました。母方の実家が肉牛を飼育していたこともあって、拳大くらいの牛脂が手に入っていたからだと思います。鉄板に雪玉のような脂の塊を乗せて、点火。鉄板全体に脂を広げようと塊を滑らせるのですが、最初はうまく滑りません。じんわり下の方から溶け始めて、ようやく、するすると滑り出します。その心地良さ。でも、上の方は真っ白のままです。

この記憶のせいでしょうか、テレビや映画で海に浮いた氷山を見ると牛脂を連想してしまうことがあります。 

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牛脂の塊のような氷山

 溶けた脂の上に浮いている塊。その横で、肉や野菜が焼かれていきます。でも、私の視線は主に脂の塊に注がれたまま。下の方が透明になってきたら、それを転がして、側面を加熱。そして、それまで下の面だった透明な部分を箸で削ぎとり、食べ頃になった野菜や肉にトッピングして、たれにつけて食べるのです。もやしは、どさっと入れた上に、脂身を崩したのを乗せます。それが溶けて、てらてらしてるのをざっとすくいあげ、たれに投入。

 

その頃には拳大だった脂もかなり溶け、どの面も加熱が終わって全体が透き通り、表面に多少の焦げもでき、光をてらてら反射するようになってきます。脂ぎったそれをたれにつけて、ぱく!

 

「あっひっっh!!あひ、あひひh~~!!」

舌が焦げてしまうのではないかと、慌ててコップの冷水に舌を浸けこんだのは小学生の時のこと。熱さと痛さで涙が出ました。その後何を食べても、ひりひりするだけで味わうどころではありません。焼けたのは舌だけではなく、上あごの粘膜も剥がれてきまふ。最初、たまねぎのうす皮かと指で引っ張ると、粘膜が剥がれる痛みと共にとれたのれふ。

 

人は成長しますね。その後、熱々の脂身はたれにつけた後、ご飯の上にトッピングするようになりました。でもって、溶けた脂とたれにまみれたご飯のおいしかったこと!

中高生の頃はご飯と脂の塊をおかわりしてました。

 

残念ながら、今はもう、あの大きさの脂身を見ることはありません。

でも、時折の氷山の映像や、ホルモンのシマチョウの脂身が焦げたのを見ると思い出すことがあります。もっとも、あれほどの勢いでは食べられないでしょうね。

 

 

今週のお題「いい肉」