相部屋最後の夜
試験期間中、天気はコロコロ変わったと思う。窓から陽が差して青空と周辺の雪景色が眩しく見えたかと思ったら、景色が吹雪に隠されたり、どんよりと灰色の雲が空を覆ったり。これもまた、別世界に来たような錯覚に役立っていたのかも知れない。
明日で試験が終われば、皆が散り散りなってしまう。名残惜しさに駆られたのは私だけでは無かったようで、ここに皆が集った証に寄せ書きを残そうという話になった。私ともう一人が色マジックのセットと人数分の画用紙とを買いに商店街に出かけた。他にジュースやお菓子を買い出しに行く者もいた。
※ この記事は、下の記事の続きです。
相部屋仲間の一人に、同じ高校から受験に来ている女子がこの旅館にいるとわかった。勢い二人はつき合っているのか?という話が湧いたが、実際のところ、どうだったのか不明。その彼女の相部屋つながりで女子4人が合流し、総勢13人の宴会となる。高校生なので、もちろんアルコールは無い。頼り無い記憶ながら、仲居さんがにこやかにガラスコップを揃えたくれたように思う。部屋に冷蔵庫があったのか、ジュースのビンが入り切らなかったのか、窓を開けて二階の屋根にたっぷり積もった雪にビンを何本も差し込んでいたのは憶えている。片付けはどうしたのだろう?
酔うはずはないが、皆、気分が高揚して話が弾んだ。方言の話や県の名物の話もあった。ラーメン論争も起きた。これも九州各県で味が違い、一緒にされたくないと言っていたが、基本は豚骨で同じらしい。相手の話し方が上手いのか、私が今までに食べたラーメンより美味しそうに思えた。当時、豚骨ラーメンは食べたことが無く、とにかく汁が白いという豚骨ラーメンを食べると心に決めた。観光名所の話もした。四国に住んでいたため知らなかったのか、九州では、青い国四国としてPRされているらしい。また、将来の夢や、合格は期待薄なんて話もあった。
もし、翌日が試験でなければ夜通しワイワイやっていたかも知れない。宴は早めに終わり、その後は、寄せ書きの時間になった。手帳には「夜遅くまで寄せ書きを書く」と記してあるが、試験最終日前日に何時まで書いていたのやら。のどかな時代で、本名に住所、電話番号のやりとりもした。2年ほど前、実家の倉庫の整理をしているときに、その寄せ書きが出てきて驚いた。今回、もう一度倉庫を探したが、また行方不明になってしまったようだ。残念。
入試を終えて
一度は解散したものの
翌日、入試の全日程を終え、皆で宿に戻ってきた。結果はともかく、解放された感があった。手帳には「バンザイ三唱を拒否された」と書いてある。「それじゃあ、解散。」のリーダーの言葉に反応し、国会解散のバンザイ三唱に倣ってはどうかと考えたのだ。察するに、この試験で一番浮かれていたのは私だったと思われる。
旅館を後にして、一度は散り散りになったが、皆、四国、九州から来ているのだ。もう一泊して翌日帰るという者もいたが、そうでなければ、帰る手段の重なる人がいるのは当たり前。私は夜行列車の普通車を使う予定だったが、同じ列車を利用する者は他にもいた。出発時刻までかなりの時間がある。小さな商店街をぶらつく内に何人もと再会した。結局、相談して荷物は駅のコインロッカーに入れて、ボーリングをしようとなった。
コインロッカー
変なことを憶えている。同行した仲間の一人が、コインロッカーに荷物を入れ、硬貨を投入して、鍵をかけた。その後、鍵がきちんと開くかどうか気になったみたいで、すぐロッカーを開けた。「あ、開いた。」と安心したようだが、その瞬間、硬貨が戻らないことに気づき、扉を開けたまま「あ、しまった。」と言っていた。それがやたらと可笑しくて、でも、目撃したのは私だけのようで、もし、ここで私が笑うと他の人にも気づかれるはずで、それは彼も嫌だろうと思い、笑うのを必死に堪えた。
それ以降も何度となくコインロッカーを使っているが、よくそのことを思い出してしまう。ニヤニヤしながらコインロッカーの鍵を開け閉めするのは、いかにも不審者ぽくてまずいと思うのだが、厄介なことに、コインロッカーはそんなに頻繁には使わない。使う頻度は絶妙なくらいに、笑ってはいけないのを忘れるタイミングなのだ。おかげで、もう38年それが続いている。あの時、変に気を遣わず笑っていたら、忘れられたかも知れない。
行き交う人々
ボーリングには、もう一泊する人も合流した。誰かが旅館に電話をかけて誘ったようだ。何人になっただろうか。個人戦、チーム戦としたように思う。列車の時刻が来るからと先に抜けた人もいた。ボーリング場の営業は22:00まで。時間いっぱいまで遊んだというより、他に行くところが無かったというのが正しい。夜になると付近には開いている喫茶店もなかった。コンビニが全国に広がるのは数年後の話だ。ポツポツと街灯が見えるものの、雪に覆われた町はひっそりしている。さっきまで温かく迎えてくれていた街が、22:00を境に、急に冷たくなった感じがした。入試という祭り?はもう終わったのだ。もう一泊する人を旅館まで見送ったあとは、駅に向かうしかなかった。
駅に入ると、相部屋仲間とは別に顔見知りなった人も何人かいた。ボーリング場から先に出た人にも再会した。他の便に乗る者達が先にホームに向かう。同じ試験を私達とは違う過ごし方をしたのだろう、一人静かにホームに向かう者もいた。あの相部屋でなかったら、私も一人黙って列車に乗り込むことになったかも知れない。
敢えて、繰り返す。
旅の醍醐味を一言で表すなら、「未知との出会い」だと思う。
旅には溢れんばかりの未知との出会いがある。
夜行列車は春に向かって
列車に乗ったのは深夜。日付が変わる頃だったと思う。そこで女子を含めて7人が再会し、近くの席に座った。どこかのタイミングで列車内の照明がかなり暗くされたように思うが、記憶に自信が無い。誰かが話をしている間に、うとうと眠り、また目が覚めて話に参加したりしていた気がする。
途中で喉が渇き、停車中にホームに降り自販機で飲み物を買った。その際、ホームの屋根からはみ出た、真新しい雪が積もっている場所に足跡を残してはしゃいだ。綿を踏むように足が沈んでいった気がするが、別の場所の記憶が混ざっている気もする。
手帳によると、午前4時ごろまで話をしていたらしい。寄せ書きを出して、まだ書いてもらってない人に書き加えてもらうこともした。私も書いた。揺れる暗い列車で書きにくかった。
気がつけば雪国を抜け出していた。車窓から雪景色は消え、浅い春の朝になっていた。一晩で冬から春になったような錯覚に襲われる。京都で仲間の一人が列車を降りた。私は新大阪で皆に別れを告げた。駅で別の受験場所から帰る同級生に会った。港でも、別の同級生に会った。誰もが受験の結果は気にしていたはずだが、誰もが受験が終わった晴れやかな顔に見えた。私の目にそう見えただけかも知れない。私の顔はどう見えていたのだろう。
春風に当たりながら
帰宅した後、10年後を話した友人(参照「 特別お題 高校入学からの10年間で変わったこと・変わらなかったこと」)にすぐさま電話をかけたが留守だったと手帳にある。夜行列車であまり寝ていないままの行動力に呆れてしまうが、じっと家でいることができなかった。免許取りたての小中学校の同級生だった友人に会い、ドライブに出かけた。彼は就職が無事決まっているらしい。
明日は卒業式である。雪の跡すらないこの地。昨日まで雪の別世界で受験していたことが早くも夢のようだ。受験に追われ、鬱々とした時間は終わったのだ。ひとまず受験を考えなくていい、残り3週間程の高校時代を満喫しよう。大学の合格は望むべくもないが、この解放感漂う今だからこそ、味わえる何かをやってみようーー。
春風に当たりながらそんなことを考えていた。
今週のお題「試験の思い出」