tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn31.「へ」の字掃討作戦

(一号作戦)

「ひたすらに我慢する」作戦は、はなっから失敗だった。食事中に起きたくしゃみの衝動はそう簡単に我慢できるものではない。口中でご飯とおじゃこと歯が格闘している最中、どんな作戦を立てるべきだったろうか。

 

口の中の物を噴き出すわけにはいかない。そう思って強引に口を閉じたものの、くしゃみで出される空気の勢いは風速100m程もある。台風なら家も吹き飛ぶ勢いだが、鼻腔の空気量で家を吹き飛ばすことは無い。それでも、ご飯粒とおじゃこくらいは吹き飛ぶわけで、それらは口を閉ざされたゆえに一斉に鼻から外に出ようとした。

被害を最小限にするべく顎を引いていたのが良かったのか、鼻からは何も飛び出しはしなかった。しかし、不幸にして鼻腔に引っかかった奴がいた。しかも絶妙な位置取りだ。

 

ちくちくする痛みとこしょこしょされるこそばゆさが違和感となって鼻の左側の奥にある。一体全体どうやったら、それを取り除けるだろう。新たな作戦が必要になった。

 

(二号作戦)

まずは冷静に状況分析から始める。

今、私は食堂に居て一人食事中だ。他の席に何人かが座っている。幸い、私の鼻腔に何者かが潜んでいることには気づいてる様子はない。できるなら、このまま誰にも知られることなくやり過ごしたい。変な行動は慎んだ方が良い。

次に、鼻腔に潜んでいる奴の正体を推理する。鼻を手の平で隠し、もぞもぞと動かしてみて気づいたことがある。タイミングによって、ちくちくの痛みとこしょこしょのこそばゆさが交互に来る。

この違いが気になって実験を試みた。ちょっと強めに鼻から息を吸うと、ちくちく。逆に鼻から息を出すと、こしょこしょ。どうやら同じ物体が、息を吸う時と出す時で違う場所を刺激するらしい。

確信した。曲者の正体はおじゃこだ。それもきっと「へ」の字型をしたやつ。それが揺れる際、両端が鼻腔の微妙に違う場所を刺激して「ちくちく」と「こしょこしょ」になっているのだろう。 

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「へ」の字のイメージ

問題は、出すべきか吸い込むべきかーー。

答えは決まっていた。吸い込めば痛いし、その後身体のどこに入り込むのかわからないのだ。多少汚くても食道に行ってくれるならまだいい。もし、気管に入れば咳き込んでしまうに違いない。そうしたら、皆から注目を浴びてしまうだろう。それだけは何としても避けたい。

くしゃみの風速100mには及ばなくても、そこそこの勢いで鼻から息を出せるはずだ。中途半端にやって鼻に留めてしまうのはいけない。思いっきりやって外に出す。

作戦は決まった。あとは実行あるのみ。

 

ちくちくが嫌で、ゆっくり大きく息を吸いこむ。両手で鼻を隠して、一気に空気を押し出した。

「ふーーーーーーん!!」

と、こしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょこしょーーーーー!!

思いっきり鼻腔をこそばされて、

「ぎゃははははははは!」

声を出して笑ってしまった。

ほぼ同時に皆の注目を浴びているのがわかる。

 

しまった!咄嗟に手にスマホを持ち、さも動画を見ていてつい笑ってしまった風を装ったが、誰が見ても変だったはず。それでも、心配して声をかける人がいなくてよかった。返答に困る。いや、むしろ恐くて遠ざかりたかったろう。一人食事をしている口ひげの男が突然大声で笑い出したのだから。

問題はそれだけではなかった。おじゃこは、そのまま同じ場所にとどまっているらしい。何ゆえその場所が気に入っているのか知らないが、傍迷惑この上ない。いや、鼻迷惑か。「鼻でふん!」作戦も大失敗に終わった。

 

スマホをテーブルに置き、まだ動画を見てる風を装いながら、また、ちくちくとこしょこしょを我慢しながら残りの食事を終え、食堂から出る。恥ずかしさと、忌々しさとで、顔はさぞ赤かったろう。それでも毅然と職場のトイレに向かった。やられたらやり返す、「へ」の字め、許さん!執念にも似た思いで、個室に入りドアを閉めた。

 

(三号作戦)

誰の視線も気にならない状態で、次の作戦を開始する。

まずは準備運動だ。鼻を刺激しないよう口で深呼吸。首を左右にひねり、続いてぐるりと肩の上で回す。肩を上下してリラックス。軽くジャンプを繰り返して、ぽろっとおじゃこが出てくることを期待したが、あっさり裏切られた。

続いて、指を突っ込んでほじろうとしたが、おじゃこに全然届きそうもない。

ならばと、鼻の上からマッサージしてみるが、これまた微妙に「ちくちく」と「こしょこしょ」が繰り返されるばかりで効果はなかった。いや、別の効果があらわれた。刺激され続けた鼻から、とろ~っと鼻水が流れ出てきたのだ。よし、このまま流れ出てくれたらという期待も叶わなかった。

きっと「へ」の字のおじゃこは鼻の奥で「へへ~ん」と笑っている。

 

 

仕方がない。こうなったら失敗した「鼻ふん!」作戦の改良版、リズムをつけて「鼻ふんふんふーん!」作戦だ。

口で息を吸いこみ、ふんふんふーん!ふんふんふーん!それを何度も繰り返す。

しかし、鼻水がびーんと出るばかりで、「へ」の字はへっちゃららしい。

一方で、私がもうヘロヘロだ。

痛みもこそばゆさもあまりわからなくなってきた・・・。

それどころか、頭までくらくらしてくる・・・。

加えて、手足の指先が痺れてる感じもある・・・。

気持ちは凹み、戦意喪失に陥った。

 

無理もない。人間の体は適度に二酸化炭素が回ってる状態が普通なのだが、大きな呼吸を短い間隔で何度も繰り返したため、過呼吸状態になったのだろう。

 

トイレの個室で鼻水を垂らし、頭がくらくらした状態で誰かに見つかったら、間違いなく危ない奴だと思われるだろう。このままトイレに倒れ込んでしまう訳にもいかなかった。

  

(四号作戦)

午後からの仕事に支障を出すわけにはいかない。ことごとく失敗して「へ」の字掃討作戦はあきらめた。違和感はあるが、「へ」の字を鼻腔に残したまま、仕事をするしかない。 「with への字」作戦がスタートした。

 

ところが、そう決めてかかると、それほど気にならなくなった。こちらがちょっかいを出すとやり返されたが、何もしなければ比較的おとなしくいるようだ。強くなければ鼻で息をしても平気な感じになってきた。

何かの拍子で不意に「へ」の字が存在感を示すこともあったが、「あ、まだ残ってるんだ」という感じでいれば、軽い筋肉痛のように存在を忘れて仕事をしていられた。

 

そう言えば、こういうことって意外と身近にあるなとも思う。ネットで見かける見知らぬ人の不快な発言などは、その最たるものかも知れない。放置が一番いいとまでは言わないが、見て見ぬふりを貫くのも有効な手段である。

 

そして、夕食時に「へ」の字の存在感がなくなっていたことに気づく、というより、思い出した。知らぬ間に出てしまったのかも知れないし、感覚がマヒして感じなくなっただけかも知れない。

しかし、もしかすれば、感じなくなっただけでそこに在るのだとしたら、そして、忘れてるだけで他にもこうしたことが幾度もあったのだとしたら、鼻腔には一体どれだけの物が溜まってるのだろうなんて思ってしまう。

それはそれで嫌だなと私の口も「へ」の字になった。

これを「with への字」作戦成功の合図だとしておこう。

 

 

※ この記事は下の企画に参加しています。

s-f.hatenablog.com

 

近況4.自宅の緩和ケア「でも」できたこと

前回の記事で「近況3. 自宅での緩和ケア「だから」できたこと 」を書きました。今回は自宅での緩和ケア「でも」できたことを書いておきます。

本音を言えば、自宅で最期を迎えたいとするツレ父とツレの願いはかなり難しいと思っていました。介護が可能な住居、日常に介護ができる人、自宅でも必要な医療が受けられる体制等々、それらが整わなければ無理に思えました。

それが難しいからこそ、日本で半数ほどの人が自宅での最期を望む一方で、8割以上の人が病院で最期を迎えているのだと思います。

 

検討のきっかけ

希望が見えたのは、ツレ父に軽い脳梗塞が起きた時に訪れた病院でした。案内に「訪問看護」との字を見つけました。もしかしたら、この病院の繋がりで何とかなるかも知れないと思いました。

ツレが詳しく聞いたところ、自宅での治療を希望するのであれば、訪問医師を紹介できるし、訪問看護も可能で、どうしても家では無理となった場合には入院もできること、詳しくは病院にいるソーシャルワーカーさんと相談して決められること等を知りました。こちらの不安を丸ごと受け止めてもらえた感じがして、とても心強かったです。

 

それで、しばらく治療とリハビリで入院した後、自宅に戻ることに賛成できました。それは、ソーシャルワーカーさんとケアマネージャーさんの細かく行き届いた配慮があったからこそ。大きな不安に悩まずにいられたのは幸いでした。

 

 

日中に看る人の確保

一番の問題は、日常的にずっと傍で介護できる人の確保でした。思うように身体が動かないツレ父が家の中を移動中に転倒でもしたら大変です。不意に立ち上がろうとすることもあったので、誰かがずっと傍にいないと心配が尽きません。

ツレには仕事があり、介護休暇を取得できるまで日中に看ることができません。運よく?早期退職している私とツレの伯母さんとが交代しながら看ることで、最難関はクリアできました。

でも、例えば短時間の買い物に行くにも、ツレ父を一人にするのに不安があり、1日のある時間にはヘルパーさんにも入ってもらえるよう手配しました。

 

自宅でも受けられる医療サポート

熱や痛みが出た場合の対応は素人には無理です。でも、1日何回か訪問してくれる看護師さんと、必要な場合には訪問医師さんの診察も受けられることを知りました。急変した場合には、24時間いつでも電話で連絡すれば誰かが来てくれるそうです。(もっとも、担当者が他の人を診ていてすぐに来れないこともあるとのこと)ツレ父の自宅が、訪問看護師さんの事務所に近いことも心強かったです。薬局ともつながりがあって、必要な薬は届けてもらえました。買いに出かけなくても良いというのは、助かりました。

 

尿が出なくなった時、バルーン(尿を貯める袋)とカテーテルをつければ、自宅にいることも、出かけることも可能です。便が出せなくなった時も看護師さんが部屋で対応してくれました。食事や水分の摂取が難しくなれば点滴を打つことも可能で、打つ際、終える際には訪問看護師さんが来てくれました。血中酸素が不足してきた時には、部屋に置くタイプと外出用のポータブル、二つの酸素吸入器を借りることができました。ツレ父の寝て過ごす時間が多くなってきた時、リハビリとしてマッサージをしてもらえました。痰と咳が続いて辛さが増した時には、吸引器を部屋に置き、訪問看護の際に使えるようにもなりました。

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酸素吸入器とスタンド手すり



そうした医療行為の他にも、ケアマネさんが様子をうかがいに来てくれたのも嬉しかったです。それは、介護する者、介護される者にとって、孤立していないという応援メッセージになると同時に、自宅にこもりがちな中、人と会う刺激、会話の機会確保にもなりました。

 

 

家の中の環境

ツレ父の自宅は古いマンションの1階で、バリアフリーには程遠い造りです。大雨の際に冠水する可能性がある地域で、水に浸からないよう1階でも数段の階段がありました。エレベーターはありません。

玄関の段差が10cm程と低かったのと、トイレが洋式だったのは助かりました。

玄関には、靴の着脱がしやすいよう椅子を置くことに。また、天井と床の間に入れる柱をレンタルして、手すりとして使えるようにしました。部屋にはベッド横や食卓付近にスタンド式の手すりを2台置きました。

洋式トイレには、レンタルの手すりや肘掛を設置。最初は、格好悪いと言っていたツレ父ですが、座ったり立ったりにとても便利だったとのことです。

身体の衰弱に合わせて家の中にレンタルの車椅子も用意しました。歩くのが困難になった時、トイレや歯磨き、お出かけの際、役立ちました。

ベッドで半身を起こしにくくなってからは、介護用のベッドを借りました。病院のベッドのように、上半身を起こすことも、ベッドの高さの上下を変えることも可能。寝返りが難しくなった時、ツレ父の身体の向きを変えるのに、ベッドの高さを変えられることがとても便利だったのに驚きました。介護用ベッドにする前、軽いぎっくり腰になって大変だったので、もっと早くから借りていればよかったと思いました。

 

訪問入浴

ツレ父の家の浴槽は、介護しながら入ってもらうには狭い上に深くて、とても無理でした。自宅での入浴はあきらめ、清拭(せいしき:体を温かく濡れたタオルで拭く)するのが精一杯だと思っていました。でも、寝返りが難しくなってから背中の部分に熱がこもり、汗も多くなって拭くだけでは追いつきません。

ケアマネさんとの相談で訪問入浴のサービスを知り、受けることにしました。

 
仰向けに寝た状態で浸かれる浅くて広い浴槽を部屋で組み立てます。水道水を車のボイラーを通して、38℃程度のお湯にして流し込みます。その準備の間に、説明やツレ父の脱衣を終え、お湯が溜まり終わります。お湯に浸かる際は、身体が沈みこまないようシートにのせて、ゆっくり少しずつなのですが、その間に別の人が頭を洗います。頭が洗い終わったころには全身がお湯に浸かり温まっていて、今度はツレ父の左右に分かれた人が連携プレーで、身体を支える役、洗う役が入れ替わり、続いて身体を拭く役、抱きかかえてベッドに戻す役とこなしていきます。

その間、頭を洗っていた人は、浴槽を洗い始めていました。ツレ父の身体をきれいに拭き終わった頃、溜まっていたお湯は全部洗い流され、着替えが済んだ頃には、浴槽の分解が終わっていました。

今後の説明をしてもらっている内に、部屋には浴槽もホースも、部屋が濡れるのを防ぐシートも消え、元通り。

 

一体どれだけの回数をこなせば、このスムーズな流れになるのでしょう?入浴は体も心もリラックスしてくれますが、長くても短くても、身体の負担になります。きっとその辺りも計算し尽くした上で時間を設定し、一日何軒も回ることを可能にしているのだと思いました。まるで、すべてが演劇であるかのようで、全てのスタッフの流れに無駄がありません。

 

何より、入浴する前に微熱があり、喋るのも大変になっていたツレ父が、「気持ちが良い」と伝え、スタッフの手を握ってなかなか放そうとしなかったことが印象に残りました。余程、入浴できたことが嬉しかったのでしょう。

 

まずは知ることから

こうしたサービスの存在の多くは、自宅緩和ケアを始めてから知ったことです。ここに書き切れていないこともあります。日本では、まだ自宅で緩和ケアをする人が圧倒的に少ないため、そうした情報が乏しいのかも知れません。

そんな中、ケアマネさん、ソーシャルワーカーさん、訪問看護師さん、訪問医師さんは情報の宝庫でした。何の情報もないままいろいろ聞くのは難しいですが、シンプルに困っていること、気になっていることを相談している内、そんな方法があるのかと驚くことも多々ありました。

 

自宅緩和ケアを行う際、やはり一番の課題は日中に看る人の確保のように思います。それがないと、一日の緩和ケアのスケジュールも成り立たちません。

でも、自宅でどんな緩和ケアが可能かを知ることで、無理だと思っていたことも検討課題になり得ます。家で看る自信が無い人にとって、サービスについての情報があれば、自宅でのケアに踏み出すのにハードルが低くなると思います。

 

「緩和ケア」のイメージが人によってさまざまなことも、気になりました。残念ながら、死ぬのを黙って待つ期間とか、医療から見捨てられた患者といったイメージの人もいるようです。そんなイメージが、何とか病院に居させたいという考えに繋がっている気もします。

 

自分を振り返って、そんな緩和ケアのイメージのままでは、ツレからの願いに応えられなかったと思います。

自宅での緩和ケアがベストな選択とは言えません。でも、選択肢の一つに考えられることは、今後の終末医療を展望するのにも大事なことだと思います。

 

まずは知ることから。

そんな思いで今回の記事を書きました。

思いの外、長い記事になりましたが、少しでも何かの参考になれば幸いです。

 

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「近況」カテゴリーがそのまま、緩和ケアの話だけになってしまうのもどうかと思い、新たに「緩和ケア」カテゴリーを作っています。

 

これまでの「緩和ケア」カテゴリーの記事

近況1.更新が滞っていることについて

近況2.病院での緩和ケアと自宅での緩和ケア

近況3. 自宅での緩和ケア「だから」できたこと

 

カテゴリーの整理の必要も感じていますが、思案中です。

 

(続きの記事)

近況3. 自宅での緩和ケア「だから」できたこと

ツレ父が亡くなって今日で6日。まだ、喪失感は大きいのですが、ひとまず、病院ではなく自宅で最期を迎えたいというツレ父とツレの思いを果たせて良かったと思うことにしました。

 

最期をどこで迎えるのが良いかについては、個々の状況で変わるので、これがベストだとはなかなか言えません。それでも、自宅を選んで良かったと思ったことを書いてみます。

 

自宅でのケア「だから」できたこと

ツレ父の退院後、自宅で少しでもいい体験をさせてあげたいと、ツレとケアマネ(ケアマネージャー)さんとも相談して、用意した方が良いと思う物もの等揃えることにしました。

 

 

ベッドから離れての生活

ツレ父は主に和室での生活だったので、畳の上で座ることが多かったのですが、それだと立つのがとても大変です。ソファはありましたが、身体が横に倒れ込んでしまい恐く感じました。ただ寝たきりになるのはなるだけ避けたいとの思いから、一人分の幅で、手すり付き、背もたれの角度が変えられ、キャスターの無いしっかり安定した椅子を購入することにしました。

 

既にツレ父は普通に歩くのが難しい状態でしたが、店に備え付けのレンタル車椅子を借りられたので、店内を一緒に見て回ることにしました。少し身体が動かしにくくなった頃、杖をつくのを見られるのは恰好悪いと嫌がってたのですが、その時は、気持ちの切り替えもできていたのでしょう、車椅子に乗ってくれました。店内の通り道が広くて助かりました。 

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椅子と車椅子

良さそうな椅子を選び、ツレ父に座ってもらうことに。車椅子から椅子に移るのが思いの外大変でしたが、試しに座ることもできないなら家に置いても使えそうにありません。ツレ父に体を密着した状態で車椅子から抱きかかえ、私の身体全体を軸にして椅子の前に移動させ、何とか座ることができました。それを何回か繰り返す内、汗もかきましたが、気に入った椅子を購入できました。

こうした買い物に出かけられたのは、自宅でのケアだからこそでしょう。

 

食卓を囲んで食べる

そのおかげで、ツレ父がベッドから離れて、ツレと私の3人で同じ食卓で食事をすることもできました。配膳途中でも、食べたい物があれば先に食べてしまうこともありましたが、それだけ食欲があったという証拠でしょう。

また、みんなで同じ食卓を囲むのと、一人だけベッド用の台で食べるのとでは、大きく違いがあるように思いました。既に小食になっていたのですが、それでも、こんなに食べられるんだと驚きました。入院前はヘルパーさんが食事を作ってくれていたのですが、食べる時は一人になるせいか、食べる量も食事に使う時間も少なかったようです。

 

お出かけと訪問

だんだんと身体が弱って、トイレが難しくなり尿バルーンをつけたままになりました。でもケアマネさんを通じてレンタルできた車椅子に乗ってなら家の中も移動できていた頃、訪問医からも無理がいかない程度なら車に乗って出かけても良いという話をいただきました。そこで、思い切ってドライブに出かけることにしました。

ベッドから車椅子に乗り換え、幸い玄関の段差も10cm程度だったので慎重に乗り越えることができました。ただ、玄関から先、4段ほどの階段が難関でした。

買い物の時と同じように、ツレが抱きかかえる感じでひとまず立ってもらいます。その間に車椅子を階段の下に運び、ツレと私二人で支えて、片足ずつ一段一段降りていきました。下まで降りて、車椅子に乗り、駐車場まで移動。乗り降りしやすそうだった助手席にゆったり座ってもらいました。

 

こんな状態なので、行く先で車から降りるのは難しいですが、景色だけでも楽しめたらと、ツレの運転で海辺の道を走りました。長らく海を見ていなかったらしく、喜んでもらえました。

また、なかなか会えずにいた人の家が近くにあるとのことで、突然ながら訪ねてみました。すると、運よく家に居て、車に乗ったままですが話をすることもできました。まだ動ける内に会えたのはよかったと思います。

 

 好物を食べる

ツレ父は刺身が好きでした。普通に炊いたご飯が食べにくくなり、ゼリー状の栄養食やプリン等を食べるしかなかった時、食べられるか疑問に思いつつ、刺身を買ってきました。自分で箸を使えない状態でしたが、ツレが箸で小さく切ったのを、口の前に持って行くと、ぱくんと食べました。噛む力も弱っていましたが、小さくしたのを4切れ、通常の大きさで言えば刺身2枚食べることができたのです。

食事らしい食事はそれが最後でした。でも、病院では、刺身が食べる機会がないので、自宅ならではのことと言えそうです。

 

その他

 他にも、好きな演歌歌手のDVDやネットの映像をテレビに繋いで楽しんでもらうこともできました。夕食後はすぐ寝ていたのに、つい夜遅くまで熱中させてしまったのは反省点ですが予想以上の反応でした。

 また、コロナ禍にあって、病院では面会の人数や時間に制限があるところ、孫やひ孫が次々見舞いに来れたのも自宅だからこそだと思います。

 

メリットばかりではないのも事実

ただ、自宅での緩和ケアにこうしたメリットはあるものの、心配や不安、課題もたくさんあったのも事実です。それについてはまたの機会に書きたいと思います。

 

 

(続きの記事)