tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

音楽4.甲子園(2)『甲子園』(さだまさし)

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※ 「 tn5.甲子園(1)大会の魅力 」の続きです。

 

私の高校時代に発表されたさだまさしの歌『甲子園』は、一部の人たちの間で、1983年夏の準決勝「池田高校対PL学園」を予言していたとも言われています。さだまさし自身によれば、大会前に作った歌で”全くの偶然”とのこと。これについては、詳しく延べませんが、検索するとそれに関する動画等も見られるようです。

 

歌は「喫茶店のテレビでは 真夏の甲子園 準決勝の熱気が店のクーラーと戦っている」という歌詞から始まります。日常生活の中で、不意にテレビに映っていた高校野球の試合が軸となっています。やはり、日常生活の中にあるテレビを通じて観戦できることは、甲子園の魅力に大きな影響を与えているように思います。

 

ところで、甲子園での応援の熱の入れようも別格です。これも甲子園の魅力の一つと言えるでしょう。地元高校の試合がある時間、商店街に人気が無くなるというのは、よく聞いた話。地元の新聞も甲子園出場校についての連載記事や特集記事を掲載するのは定番になっているようです。応援のツアー手配、応援の練習、グッズの登場も定番。80年代ならPL学園の人文字応援、2019年なら習志野高校の美爆音応援等、応援の仕方も話題になりました。他にも、大根を両手に持っての応援、しゃもじを叩く、地元の踊り等があったのを覚えています。

母校の応援は、今回最優秀に選ばれ、表彰を受けたと聞きました。高校だけでなく、地域も巻き込んで?巻き込まれて?のことだと思います。なんとも嬉しいニュースでした。

 

そうした応援や期待等の盛り上がりの変化を一番に感じているのは、選手、それ以上に監督ではないでしょうか。大抵の場合、監督は選手よりも長い経験があるので、無名に近い高校であるほどに、その変化に驚いてしまいそうです。


母校の現監督が、母校の高校選手だった1978年、3年生の夏にエース投手として県大会でベスト4まで勝ち上がっています。その後、中学時代からの憧れであった高校野球指導者への夢を追い、母校の臨時教員ながら野球部監督に就任。1年目に県の秋季大会で準優勝。地方大会へ進みました。その後も、県の春の大会で優勝、地方大会での勝利、選抜の21世紀枠候補になるなど、あと一歩、もう半歩まで甲子園に近づきながら届かなかったということもありました。一時母校を離れた時もあったそうですが、監督や副部長として指導を続け、三十余年にして甲子園出場を果たしたことは、驚嘆に値することだと思います。その間ずっと甲子園への熱意を失うことなく、次に向かって挑戦し続けていた訳ですから。

 

周囲の反応も、いろいろあったと思います。それでも、少しずつ、期待や願いを受け止め、応え、或いは応えられなかった時でも、あきらめること無く、次に繋げ、進み続けてきたからこそ叶えられたと思うのです。運の良さとか偶然とは違う、地道な努力、不撓不屈、そうしたことの賜物だったように思います。そんな長年の思いがあったことは、応援で最優秀に選ばれたこととも無縁ではないように思えてなりません。

 

選手もやはり、経験の受け継ぎと積み重ねがあったと思います。去年夏の県大会準決勝で、甲子園出場校をリードして迎えた最終回にサヨナラ負けを喫しました。3年生はチームを卒業になりましたが、残った2年生を中心にその悔しさをバネに、新たな課題に取り組んだからこその成果だったでしょう。

 

さて、さだまさしの歌『甲子園』では、喫茶店に入った男女のこんなやり取りがあります。

(女性)「負けた人は今これ(試合の中継)を観ているのかしら それともまた来年を夢みているかしらとソーダ水」(を飲む。)

(男性)「多分 君は知らない 『この次』なんて言葉に期待しない男は案外多い」(と思う。)

私も長い間、何となく(そういうものかも…)と受け入れていたのですが、母校の甲子園出場で別の考えに至りました。

 

当事者にとって「この次」とは、期待するものではなく、目指すもので、目指さなければ、その次、その向こうは無いという感じです。母校の甲子園出場はそれをやり抜いたからこその、出場であったろうと思うのです。もちろん、歌詞の「『この次』なんて言葉に期待しない男は案外多い」に反論するわけではありません。逆に、そうであるがゆえに「この次」を追う者が、より輝いて見える気がするのです。

 

もう一歩踏み込んでいうなら、「『この次』なんて言葉に期待しない」は、その挑戦から降りた人の言葉や傍観者の言葉でしょう。でも、そうした人でも、いつかまた、期待したくなる次に出会えるのも甲子園の魅力のように思います。

 

応援しているチームが敗退しても、甲子園の魅力に気づいたなら、次を見る人は必ずいます。それは、残る選手、監督、マネージャーであり、新しく入る選手であり、母校の監督のように元選手だった人、そして応援を続けている人にもいると思います。その人たちが新しい軸になって、ドラマを紡いでいく。それは終わりのないドラマとなって、甲子園の魅力の本質になっているのかも知れません。

 

「『この次』なんて言葉に期待しない男は案外多い」からこそ、それでも『この次』に向かう者を応援したくなるのではないでしょうか。母校の甲子園出場は、『この次』なんて言葉に期待しない側にいた私を、「この次」の活躍に期待する側に動かしてくれた気がするのです。

 

<余談>

それにしても、さだまさしの『甲子園』発表の年に、監督が母校に就任していたことは、何だかとても不思議です。”全くの偶然”のような、そう思いたくないような…。高校時代の「池田対PL学園」を彷彿させる歌として、いつかブログに載せようと思っていたのですが、全く意図しなかった内容で書くことになりました。嬉しい誤算です。

tn5.甲子園(1)大会の魅力

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甲子園(高校野球)中継の記憶は、1974年の選抜大会からです。池田高校の「さわやかイレブン」が旋風を巻き起こし、準優勝した時。両親が熱を入れて応援していたのを覚えています。まだ、バックネット越しにマウンドを映した動きの分かりにくい中継画面がメインだったように思います。

  

私の高校時代は、その池田高校とPL学園が競い合っていた頃。そして、83年の春に優勝した池田高校のエースからヒットを打ったことがあるという同級生がいて、驚いたのを覚えています。もっとも小学校時代の話だったらしいですが、それでも、私にとっては、縁遠かった甲子園がちょっと身近に思えた話でした。

 

それが、母校の甲子園出場となると、より一層身近になった感じがしました。テレビ中継でも、校歌が流れ、何度も母校の名を呼ばれ、学校名が表示されます。正直なところ、甲子園で優勝したこともあるチーム相手に勝つのは難しいかなと思っていましたが、失点を少なく抑え、一時は同点に追いつく等、接戦に持ち込むことができ、理想に近い試合運びだったのではないでしょうか。敗れはしましたが、胸を張っていい内容だったと思います。誇らしく、次も期待したくなりました。母校のチームを始め、相手校、応援、中継等、この日の試合に関わってくれた人に、ありがとう。そんな思いです。

 

それにしても、甲子園大会の魅力とは、本当に独特ではないでしょうか。その魅力や、これ程の盛り上がりは、どこから来ているのでしょうね。

 

野球というスポーツの中で比べても、プロ野球大学野球アメリカのメジャーリーグとも随分と違います。同じ高校野球でも、神宮大会とは全くの別物という感じです。 甲子園の魅力は、単にそこで行われるのが野球だから、ということではないでしょう。

 

また甲子園の魅力は、他の高校スポーツとも違っています。概ね都道府県単位で出場校が決まり、全国大会に出場という流れはいろんなスポーツにあります。青春を一つのスポーツに託して夢を見て、それを追う姿が感動を呼ぶのは確かだと思いますが、注目度は甲子園大会に及ばない感じがします。

 

では、歴史でしょうか?しかし、開催回数で言えば、2018年度で98回を数えたラグビーや、97回のサッカーの選手権大会が、選抜甲子園の開催数より多いです。でも、選抜甲子園の盛り上がりには敵わないでしょう。

 

テレビやラジオの中継の多さはどうでしょうか。甲子園の大会は一つの球場で全試合が行われます。それによって、他の試合と重ならないこと、大会の期間中に全試合が生中継されること、延長になっても試合終了まで通常の番組より優先して放送されること、これらの要因は甲子園の魅力に大きな影響を与えているように思います。そういう大会は、他になかなかありません。強いて挙げるなら大相撲くらいでしょうか。

 

ちょっと大げさな言い方になりますが、甲子園の中継は、全ての試合が分け隔てなく全国の注目を集めることができる放送になっているのです。試合開始時点では、あまり注目されていなかった試合でも、試合展開によっては、(例えばノーヒットノーランの可能性が出てきた、延長戦に突入して長く戦っている等)一気に全国の注目を浴びることになります。特に最近であれば、ネットのSNSを通じて、口コミで大きな話題になることもあります。試合経過もネットのニュースで確認できます。それらが試合中継を見るきっかけになることも少なくないでしょう。全ての試合で、気になった時にテレビをつければ生中継が見えるシステムは、多分、多くの人が考えている以上に大きな魅力を甲子園に与えているように思います。

 

私自身、母校の試合を観戦しながら、もしかしたら、まだ無名の母校が、全国に名を馳せるかもという期待が、少なからず心の隅にあった気がします。去年の夏の金足農フィーバーもありましたから。そんな密かなワクワクも、甲子園の魅力にあるかも知れないと思います。

 

「仕事中だから、中継は観られない、観てはいけない。」という建前はよくある話。でも、その建前は、中継されている事実が前提です。どうしても観たくなったら、観ることができるという思いは、恐らく、関心を持続できる大きな要因になっているはず。最近では、職場のテレビはつけていなくても、ケータイのテレビや、パソコンのネット中継などを覗いているというパターンもありそうです。

 

多くの人が関心を持っているから中継している面はあるでしょうが、常に中継されているからこそ、関心を持てるという面も大いにあると思います。相乗効果はかなりありそうです。

小学校の頃に「さわやかイレブン」が話題となって、ルールもよくわからないままドキドキしながら親とテレビを見たのが、私にとって甲子園の原点でしたが、もし試合が生放送でなかったら、きっとそれ程印象に残らなかったのではないでしょうか。甲子園まで観戦、応援に行けない人は、テレビ、ラジオ中継で、同じ瞬間を「共有」し、「疑似参加」できるというのは、甲子園大会の魅力を下支えしているように思います。その点で言えば、NHKの放送姿勢は、もっと評価されて良いような気はします。

 

あら?なんだか、当初、書くつもりでいた話からずれました。

仕切り直します。 

 

※ 「音楽4.甲子園(2)さだまさし『甲子園』」に続く。

 

自転車(2)遅刻と時刻と信号

遅刻はそれ程多くはなかったと思います。遅刻3回だったか5回だったかで、欠席扱いか何かになるペナルティがあったように思うのですが、そこは良く覚えていません。

 

毎日、自転車で、同じような時間帯に、同じような場所を通るようになっていたので、間に合うかどうかをチェックする関門?が幾つかありました。家から高校までは、7.5km程の道のり。父の車で高校の前を通った時に、メーターを見て知っていました。自転車で時速15kmで行けば、約30分です。でも、信号や車の交通量、雨や風その他で、ぴったりとはいきません。

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最初のチェックポイントは、家を出る時刻。何時何分くらいなら大丈夫という目安があります。とは言え、雨や風の日だったら、幾分か早く出ないと心配というのはありました。

 

次に、以前のブログ(tn2.自転車(1)通学でのクラクション)に詳しく書きましたが、後ろから追い抜いてくる車がある時刻帯なら、まず大丈夫。逆に、あるバス停でバスが発車するより遅くなると、間に合うかどうかがやや危ない。他にも、同級生の〇〇君や□□さんを見かけたら多分、大丈夫などがありました。ただ、こうしたチェックには早い遅いがあるので、大まかな目安でしかありません。

それより、腕時計があるのですから、時刻を確認すればよい話なのです。ただ、どうにも「時計の時刻がずれていたら、どうしよう…。」という思いは常にあって、周囲の様子も見て安心するというのがありました。

 

最後の関門は、校門近くの信号でした。登校時、大きな橋を渡った後、安全の為にも、国道は進行方向の左側を走っていました。しかし、高校の校門は進行方向の右側にあるので、どこかで国道を横断しないといけません。人の習慣というものは、続けている内に、何某かのこだわりができたり、ほんの少しの違いに敏感になったりするようです。登校時刻は、幾らかの余裕を持って出ることが多かったのですが、つい出発が遅くなってしまうこともあります。そんな時はかなり急いで(時に、ゆっくりめの原付バイクを追い抜くこともありました。)行きます。

やがて、このタイミングだとあの赤信号に引っかかると、遅刻になるというのがわかるようになってきます。(決して思い込みではないと思います。)そして校門のすぐ南側に横断歩道があります。高校でも、登校の際、その横断歩道を使うように言われていたのですが、本当にギリギリの時は、そこで信号を待てば遅刻だが、先に少し手前で国道を渡ってしまえば間に合うという状況になることがありました。

 

時差で動く信号は、(大抵の場合)同じ時刻には同じ色になるというのを、その時初めて知りました。というより、初めて時刻と信号の色をつなげて考えたというのが正しいです。

 

いざと言うときになったら、その手を使えばいいと思っていたのですが、時折、校門の一つ手前の信号に先生が立って交通指導をしていることがありました。さすがに先生の目の前で、普段言われていることを無視するわけにもいかず、遅刻になったことがあります。本来なら、いざと言うことにならぬ様、早めに出発しろという話なのですが、当時の私は、そんな話はすっかり棚に上げて、内心「あ~、ついてない!」と運の悪さの責任にしていました。

 

後になって、自分の態度を反省したはずなのですが、未だに反省しきってないのでしょう、自分の抜かりで間に合わせることができなかった信号に、イラッとしてしまうことがあります。反省できてないというより、高校当時のまま成長できてないだけかも知れません。そう言えば、小学校での話だったかな?の交通指導で「赤信号は止まるだけではなくて、急ぐ気持ちも止めてください。」みたいなことを言われましたが、これまた難しいままです。

 

※ ところで、遅刻したのは、出発時刻が遅くなった時だけではありません。でもその話はまた別の機会にします。