tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

授業3.「粋な旋盤工」

国語(現代国語)の教科書に載っていた話だと思います。教科書類は、ほとんど処分してしまったので、内容を詳しく確かめることが、すぐにはできません。でも「粋な旋盤工」は、印象に残っている数少ない教材の一つです。

 

ジャンルとしては評論にあたるでしょうか。内容的には、日本の高度経済成長を支えたものづくり労働者への哀歌と賛歌。劣悪な労働環境の下でも、自らの誇りを持って旋盤を回し、粋な仕上げにこだわる職人。しかし機械化の波に押され、職人の数も減っている。それでも、なお、まだ機械化できない職人技の完成をめざし、懸命な努力をしていく人たちもいる。そんな話だったと思います。教科書に載っていた文章は、原文の抜粋やまとめがあったのかも知れません。 

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旋盤 (上州太郎さんによる写真ACからの写真)

この話は、私にとって、今でも町工場職人のイメージの原点になっています。当時、建具の製品などを作る工場に勤めていた母の姿と重なったことも、強い印象に残った理由のように思います。 

 

最近、池井戸潤氏原作のドラマが人気です。特に「半沢直樹」で高視聴率を取った時には、「やられたらやりかえす、倍返しだ。」等の台詞が社会現象ともなりました。「倍返し」は銀行員の台詞であって、町職人の言葉ではありません。しかし、彼の実家は町工場で、銀行の融資を受けられず倒産、父が自殺に追い込まれた過去があります。父は、「人と人とのつながりを大切にし、ロボットみたいな仕事だけはしてはいけない」という言葉を直樹に遺していました。

 

当時、毎週の放送を観ていたのですが、国語の「粋な旋盤工」に、かっちり繋がっているように思われました。池井戸氏の他の作品「下町ロケット」や「陸王」、「七つの会議」等、どれも素人にはわかにくい下町の高度な技術が、日本の経済成長を支える要となっていることがあることを取り上げています。氏はそうした町職人にしかできないこだわりの仕事に熱い視線を送っています。それは、まるで「粋な旋盤工」の現代版のようにも思われるのです。

 

ところで、授業では、話のまとまりごとにタイトルを考えるという課題がありました。最後の場面のタイトルを「粋な旋盤工の粋な挑戦」と発言したところ、先生がしばらく沈黙して、「いいねぇ、それ。」と言ってくれたのを覚えています。高校の授業でほめられるというのは、私には数少ないことだったので、それも授業を憶えてる理由の一つかも知れません。

 

町工場を取り巻く環境は、授業を受けていた頃よりも、一段と厳しくなっているはず。でも、町職人の粋な姿は、細々であっても、尚、脈々と受け継がれているような気がします。むしろ、池井戸作品によって、今になって、「粋な旋盤工の粋な挑戦」が、その成果を発揮しているような感じもして、少し嬉しくもあります。「映画4.“ I am a human being !”」の繰り返しになりますが、もう35年以上前の話なのに、何がどこにつながっているのか、不思議なものです。

学食

学食の食券は両端が丸くなったプラスチックの板だったように記憶しています。

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値段別に色分けされていて、白に黄色に緑に赤の4色はあったと思います。記憶がかなりあいまいなのですが、うどんが150円で白、たまご丼・カレーうどんが200円で黄色、親子丼・カレーライスが250円で赤、カツ丼・カツカレーが300円で緑だったかな?違うかな?他の色の食券や単品のメニュー、定食もあったかも知れません。カレーは、大きく切られた玉ねぎが丸みを保持していて、その量と固さにはインパクトがありました。たまご丼は、茶碗蒸しを崩したようなたまごがかかっていたように思います。

 

私の場合、小中学校と給食でした。高校になってからは、弁当に代わりました。最初は毎日弁当でしたが、徐々に学食を使うことが増えていきました。特に部活をやめた後から増えたと思います。母には、弁当を作らなければ楽になれるから学食も使うようにした方が良い等の言い訳をして、昼食代をもらいました。でも、昼食を安くすませてお金を浮かせるために、昼食をうどんだけにすることも珍しくなかったです。また、カレーライスをやめて、安価なカレーうどんを選ぶことも多かったように思います。

 

 

昼食代を浮かせていることに、母は気づいてたでしょうね。時折り、昼食で何を食べたか聞かれました。適当に答えることも多かったのですが、何を食べたかより、昼食を抜いていないかを一番気にしていたように思います。ですから、お金を浮かせることはあっても、昼食は抜かないという思いはありました。威張れるほどのことではないですが。

 

お弁当の記事では「お弁当箱には母の心遣いと自分の身勝手がギュッと詰まっていた」と書きましたが、学食でお昼を食べるよう渡してくれた昼食代も同じことが言えそうです。

 

※ この記事は、以前に公開していたものを再編集しています。

映画4.“ I am a human being !” 初めて涙した映画

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“I am not an animal. I am a human being !”

「私は動物ではない。私は人間だ!」

映画「エレファントマン」(1981年)の中のセリフです。私はこの時、初めて映画館で涙が流れました。涙が頬を伝うその暖かさに驚いて、泣いているのに気がついたのです。

 

 映画は、19世紀末、ロンドンで実在した青年メリックの生涯に基づいた作品。病気のため、全身に極度の変形があり、不遇な人生を送ります。見世物小屋で「エレファントマン」として好奇の目を集めていたのですが、一人の医師の目に止まり、研究対象として病院に引き取られます。その後、メリックが、知能と誠実さを持って生きていたことがわかり、医師はメリックを人間として向き合い、人々に紹介していくようになります。しかし、社会と繋がりを持ち始めたメリックに対し、周囲は、同情と好奇心の対象としてしか見ず、メリックは孤立感を一層深めていくことになるのです。

 

街中で見つかったメッリクは、好奇心によって膨れ上がった群衆に追いかけられます。歩くのも大変な中で、メリックは群衆から逃げ隠れるのですが、遂に見つけられてしまいます。

“I am not an animal. I am a human being !”

この台詞は、そこで発せられました。私はそのシーンを「そんなに大勢で、そこまでを追い詰めなくてもいいだろう。」と悲痛な思いで観ていたのですが、押し寄せる群衆に対して、メリックはたった一人でそれを叫んだのです。それを聞いて気がつけば涙が流れていました。メリックを好奇の目で追いかける群衆と、意を決して“I am a human being !”と叫んだメリック。人間らしいのはどちらなのか。そんな怒りにも似た感情でした。

 

この作品も続けざまに2度観ました。でも、2度目に観た時も、同じ場面で涙が出たのを覚えています。映画館を出た後も「人間て何だろう?」という疑問は消えることはなく、今でもそれを考えることがあります。人間らしさを考える時、その原点の一つはこの映画にあるように思うのです。

 

 

ところで、その年の高校の文化祭では、クラスのテーマが「人間」になったと思います。私はこれしかない、という感じで「エレファントマン」の映画パンフをお手本に鉛筆画にしました。しかし、その絵はクラスで用意していた他の展示品とあまりにも趣が違っている気がして、提出に気後れしていました。すると、一人の友人に見つけられ、「これはすごい!」と持って行かれたように思います。正直なところ、場違いな作品に思えて、片づけようかなと思いかけていたので、何だか救われた気がしました。

 

「エレファントマン」の映画のように、遠慮や気後れ、引け目、負い目で、自分を隠そうとしてしまうこって、意外とあるものです。でも、伝わる人には伝わるのだと思えたのは、その時の友人のおかげかも知れません。このブログも、あの時の鉛筆画とどこか共通している気がします。もう35年以上前の話なのに、何がどこにつながっているのか、不思議なものですね。