tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

tn2.自転車(1)通学でのクラクション

高校時代の通学は、自転車でした。この自転車、自画自賛ですが、相当のお気に入りでした。高校へ自転車通学をすることになった時、買ってもらったのです。

 

実は、中学校に入学した時、親と約束をしていました。中学生の間は、小学校時代からのママチャリを使い続ける。そして、高校生になった時には、その分、良い自転車を買ってもらうというものです。

 

中学時代、周りの友達は、変速ギアは多くて6段。ギアレバーがサドルとハンドルの間にあり、ガチャ、ガチャと音の出るタイプが流行。確か左右に曲がる時にウィンカーを出せるタイプのもあったように思います。

 

そのタイプが欲しくなかったと言えば嘘になりますが、それ以上に兄が乗っていたスポーツタイプのサイクリング車が欲しかったのです。自転車で遠出ができるように。ハンドルはドロップ、車体は軽めで、変速は12段(前2段、後ろ6段)のスポーツタイプ。緑色。15歳から乗り始め、23歳で自動車を運転する頃まで、使ってました。

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さて、新しい自転車を手に入れて、最初の課題は、どのルートで通学するのがいいかでした。距離やかかる時間の短さも大事なのですが、安全や快適性も重要な要素。主なルートは3つでした。1つ目は当時の国道をメインにしたルート。2つ目は国道も使うのですが、大きな橋までは農道などを使うルート。3つ目は、車の交通量が国道より少ない橋を利用するルートです。

 

登校するルートから最初に外れたのは3つめのルート。予想以上に、同じ高校の生徒が多かったこと、高校の英語の先生が自転車通勤するルートでもあったこと、交通量は少な目でも意外と狭い部分もあり、それほど安全とも思えなかったこと、そして、自宅からは思ったより距離があったこと等がその理由。

 

さて、国道の橋を渡るルートを選んだものの、国道をメインにするか、農道も使いながら行くかでは、結構悩みました。(大きい橋を渡るところまでの違いでしかないですけどね。)時間帯によって、通り易さが変わるのです。距離で言えば、農道を使った方がわずかに短いものの、車とすれ違いできない細い箇所がありました。その箇所は結構長く、タイミングが悪ければ車が通るのを待つ分、国道を通った方が少し速い。しかし、同様に、国道も信号待ちによって遅くなることがありました。

 

ぎりぎりの時刻に出発する時は、運を天に任せる感じでしたね。でも、結果的には、どちらにしろ、少し早めに出るのが良いと気づいたのでした。

 

 

ところで、農道ルートでは、自転車と車ですれ違いができない箇所は、当然ながら、自転車を車が追い越すことができません。これが大きな悩みの種でした。向かってくる車には、気づくのも早いので、早めに広い場所で少し待ってすれ違うことも可能です。でも、追い越そうとする車には、既に細い箇所に入ってしまってからでないと気づけません。

 

細い道の途中に、用水路の上にかかる、トラクターで田んぼに入れるため?の橋があります。その箇所に自転車を止めれば、車で追い越せます。後方の車に気づくと、そこへ急ぎます。そして自転車を止め、車を追い越させるのですが、その時間も待てないのか、「邪魔だ、どけ!」と言わんばかりに「ビーッ!!」とクラクションを鳴らされました。毎日と言うほどでもないのですが、その車の通勤時間と私の通学時間が近いのでしょう、幾度となく鳴らされる羽目に遭いました。程なく鳴らされると、イラッとするようになってました。

 

それが嫌で、もうこのルートをやめようかなと思い始めた夏の手前頃のことです。その朝も、いつもクラクションを鳴らしていく車が後方から来ました。仕方なく急いで、退避できる場所に急ぎます。(もう、クラクションを鳴らしてくれるなよ。)と思いながら、自転車を停めましたが、やはり、「ビーッ!」と鳴らされ、イラッときかけた時のことです。

 

当時はまだクーラーを効かせない車も珍しくありません。その時の車も全部の窓を開けて走ってました。そして、クラクションを鳴らした後、「いつもありがと!」と声をかけられたのです。

 

その時初めて、それまでのクラクションが「邪魔だ、どけ!」では無く「ありがとう」の意味だったことに気づきました。(そんな場合は、短く小さ目に「ピッ。」だろう?)と、心の中でツッコミを入れながらも、思い込みでイラッとしていたことを反省したのでした。結果的には、いい経験になりました。