「知は力なり。」
この言葉をいつ知ったのか、記憶はあやふやです。
以前の記事『tn10.「人間は考える葦である」(パスカル)を考える』では、
節目の記憶がありましたが、こちらは気づかぬ内に心に堆積したイメージです。
この言葉には、幾つかの意味があると思います。
一つは、「知識があれば、何かの役に立つ」
単なる雑学のようであっても、それを知っているがゆえ分かることがあるというイメージです。何となく知ったことでも、知っているだけで行動が変わることは珍しくありません。
二つ目は「何かの力にならない内は、知ったことにならない」
聞きかじりの知識で知ったかぶりをしているだけなのに、知っていると思い込むことを戒めるイメージです。
例えば、「今日は午後から高確率で雨なので、お出かけの際は傘を用意した方がいいでしょう」と知ったとします。出かける際、傘を準備しますか。大きい傘にしますか?折り畳み傘にしますか?そもそも不要ですか?
午前中に帰宅なら傘不要、自転車通学なら雨合羽、地下駐車場からビルに入り外に出ないなら傘は不要との判断力に繋がります。また、どんな雨なのか詳しく知ろうとなるなら、それは探求力でしょう。しとしと雨か、どしゃ降りか等で行動も変わります。
知は力、力は知から。このちから
「力を得るには知が必須」が今の私の解釈です。
知ることの意味は大きいです。