tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

映画29.『キャノンボール』とB級映画

キャノンボール』(1981年)

北アメリカ大陸の西海岸から東海岸まで横断するレース名を冠した作品です。交通ルールを無視した非公認のレースでした。

 

作品で一番印象に残っているシーンはオープニング。

いきなり、夜明けを疾走する黒のカウンタックが登場。

オープニングシーン イメージ

陽が昇った後は、パトカーとのカーチェイスカウンタックがパトカーを嘲弄する場面は笑いを誘います。警察を軽々と振り切ってしまうオープニングに、どんなレースになるのだろうとの期待が高まります。

 

カーアクションのみならず、ジャッキー・チェンのカンフー・アクションやロジャー・ムーアの007を連想させるシーンもあります。他にもバート・レイノルズファラ・フォーセット、サミー・デイヴィスJr.、マイケル・ホイ等々のオールスター出演。登場人物それぞれに見所が用意されていています。ストーリーはコメディタッチな展開が続き、全体がドタバタしたまま、ゴールまで走り抜ける感じ。

高校時代の採点では75点。標準作品を65点としていたので、悪くない評価です。興行的にもヒット作となり、日本だけで21億円の収入がありました。これは、同年公開の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』、『ロッキー3』を上回る数字です。

 

結論としては、気軽に楽しめる映画です。セスナ機やオートバイを使った派手なアクションシーン、名車カウンタックの起用などそれなりにお金も使っているはず。ただ、高校時代からずっとB級映画の印象があります。

 

B級映画の定義

B級映画という言葉を知ったのがいつかはわかりませんが、今回、改めてB級映画の定義を調べてみました。そうすると、時代と共に意味合いも変化があるようです。

「 B級映画 - Wikipedia 」にはこう説明されています。

 

かつての定義

映画用語としては1930年代から1950年代初めごろまで多かった二本立て興行において

  • A級映画 - 多額の予算により人気俳優が揃い、有名監督が制作する上映時間が90分の長編映画(フィーチャー)
  • B級映画 - A級映画の添え物として、低予算で無名・新人の俳優を使い、有名とはいえない駆け出し監督などが短期間で撮影した上映時間が90分以下の映画

と区別されており、ある一定の時期にアメリカ映画で使われた言葉である。

とのこと。要約すれば、低予算、無名俳優・監督、短期間撮影、短時間作品等が要件となりそうです。

 

とりわけ、1950年代以降、B級映画の代名詞とされたのが「SF映画」、「ホラー映画」でした。若者をターゲットにした作品が数多く生まれました。その傾向は、今なお残っているようですが、「SF・ホラー映画=B級」という図式は成り立たなくなったと思います。SFでは、『2001年宇宙の旅』、『スターウォーズ』等が、ホラーでは『エクソシスト』、『ジョーズ』等が、その概念を破ったと思えるからです。

 

2001年宇宙の旅』は、SFのジャンルに関わらず傑作との評価も多く、これ以前とこれ以降ではSF作品のイメージががらりと変わったと言えるでしょう。また『スターウォーズ』は、世界各国で興行収入記録を更新しました。ただし、公開当初にはB級映画扱いされていたことは心に留めておきたいところ。時に上映後の評価がB級からA級に変わる作品があるのは事実です。

 

エクソシスト』はホラー映画でありながら、1973年のアメリカ興業収入1位、第46回アカデミー賞の脚色賞と音響賞を受賞しています。1975年の『ジョーズ』は、製作費は『エクソシスト』より低いながら、興行記録を塗り替えます。

 

コメディー映画もB級映画が多い気はしますが、コメディ映画=B級映画とならないのは、チャップリンの偉業でしょう。笑いが楽しさのみならず、悲哀や忍耐、卑屈、傲慢、恐怖からも起きることを教えてくれたと思います。その他にも『博士の異常な愛情』や『雨に唄えば』等、A級のコメディー映画が数多くある辺り、日本の映画界にはない現象に思えます。

 

とにかく、こうしたことから、

今日では上映時間の区別ではなく、以下の観点から使われている。

  • A級映画 - 潤沢な予算により制作された大作映画。ハリウッド映画に代表される興行収入を重視し人気俳優を揃えたブロックバスター(興行的大成功)狙いの映画、映画祭などに出品される芸術性を重視した作品。
  • B級映画 - 低予算で小規模の小作品。俳優や監督は無名・新人であり、A級の格下という比喩的意味合い。

新しい意味合いでは、B級映画かつ長編映画かつ単品上映も存在する。

となったのでしょう。

 

現在の定義

一方で、「 B級映画 - Wikipedia 」には、今日のB級映画は、

現在でも限られた期間で撮り経済的にも限られた条件で製作された映画を「B級映画」と呼ぶ場合がある。そして第1作はB級映画と言われながら高い評価を得たり、あるいは大ヒットして、続編が超大作映画となってシリーズ化するケースもある。

とも説明。その例に、『007シリーズ』、『ターミネーターシリーズ』を挙げ、後に大作シリーズとなったとしています。また、

プラトーン』は、制作費600万ドルだったが、興行ではアメリカ合衆国で制作費の20倍である、1億3,800万ドルの興行収入を記録する大ヒット映画となった。

とも。製作費が600万ドル(現在の換算で約8億円)でB級映画なら、日本映画の多くの作品がB級映画になってしまいそうです。(※ 日本のB級映画については別の機会に記事にしたいと思っています。)

 

私のイメージ

公開当初はB級映画とされても公開後に評価が上がり名作とされる場合もあれば、多額の費用と俳優陣を揃えたにもかかわらず思うような評価が得られない場合もあります。従って、「B級映画=名作ではない」や「A級映画=名作」等の図式は当てはまらないでしょう。結局のところ、A級とB級を分ける明確な数値は無さそうです。

 

ただ、私としては、枠や期待度の違いという感じです。費用や、キャスト、上映時間などである程度の映画の枠、期待度ができあがります。その大きさでA級、B級のイメージができるのではないでしょうか。もちろん、その枠の中での作品が傑作か、良作か、凡作かは公開してみないとわかりません。

 

キャノンボール』とB級映画

キャノンボール』の上映時間は95分。セスナ機やカウンタックが登場し、空中からバイクで飛び降りるなどの派手なアクションに加え、役者もオールスターといって差し支えありません。製作費は諸説あるようですが、俳優陣、演出を考えても、低予算では済まなかったでしょう。更に、興行収入としても大成功を収めています。

 

こうなるとA級映画と言っても良さそうですが、個人的にB級映画だと思う理由を考えてみました。

 

一番の理由は、映画に一貫したメッセージが感じられないことだと思います。ドタバタが多く意表を突く展開は面白さの要因でしょうが、どの役柄もレースへの思い入れがずいぶん軽い感じがしてしまうのです。ライバルを欺くとか、時に観客を騙すのもありという感じ。コントの寄せ集め的な、或いは学芸会的なノリです。娯楽映画なのでそれでも十分なのですが、ただ面白おかしく作り上げた感が目立ってしまって、A級映画に思えないのでしょう。

 

二つ目の理由が、主人公のあやふやさです。ストーリー的にはバート・レイノルズ演じるJ.J.マクルーアが主演となるのでしょうが、脇役陣との関わりが薄く主役の存在感が弱いのです。オールスターであるが故、それぞれの俳優に見せ場がある一方、その見せ場がストーリーに無関係なことも多く、一つの作品として盛り上がりに欠ける気がします。この辺、監督の狙いが俳優の演技を見せるより、アクションシーンを魅せることに重点があった気もします。

 

三つ目の理由が、目指した笑いの軽さです。意表を突く笑いや滑稽さ、嘲笑等の軽い笑いも許容はできても、心に刺さる笑いが無い感じ。映画のメッセージが感じられないのも、それが理由でしょう。

 

結局、『キャノンボール』は、A級映画の枠を構えつつも、良作のB級映画になった。

とは言え、凡作のA級映画よりは、高評価。

そんなイメージです。