試験初日の朝
3月4日朝。起きて驚いた。雪国の宿なのに、布団から半身起こしてもそれほど寒くないのだ。自分の家の朝の方が余程寒くて起きづらいと思った。暖房が効いていたのか、9人で寝ていたからか、受験への意気込みからなのか、理由は定かではない。もう一つ驚いたのが、部屋の静けさだ。布団の衣擦れも、外の音も小さく感じられた。寝ている間に雪が積もり、消音効果が上がったせいかと思っているが、本当のところは知らない。後で気づいたのだが、部屋は障子窓とガラス窓があって、その外にもう一枚ガラス窓があった。防寒と防音は二重窓の効果だった気もする。
前日の起床は午前2時15分だったにもかかわらず、誰よりも早く目が覚めたのは、私の学習スタイルが朝型だったからだろう。(関連記事 真冬午前2時からの勉強 )何時だったかは憶えていないが、腕時計のアラームよりかなり早かったのは確か。(関連記事 腕時計 )
それでも、障子窓はうっすら明るかった。あちこちから静かな寝息が聞こえている。皆を起こすのは気が引けた。一度トイレに行ってからまた寝るつもりでそっと部屋を出たら、やっぱり寒かった。トイレから戻ってもう一度寝た。だから、この記憶全てが、夢だったという可能性も否定できない。当時の手帳には、「ゆっくり寝た」と書いている。
※ この記事は、下の記事の続きです。
試験内容
昨日、下見をしたおかげでバス停まで迷うことなく行けた。下見ができなかった相部屋仲間も安心して一緒に歩く。乗車して大学前で降りると、雪の多さに驚く声や溶けた雪の上を歩く音は雪景色に吸い込まれ、白い息を吐いて進む受験生は列をなして大学に吸い込まれていく。初日は良く晴れ、青空と雪山の稜線が眩しいくらいだったように思う。
手帳よれば試験日程は、初日が「小論文と美術」、2日目が「面接と音楽」、3日目が「体育」だったらしい。断片的な記憶なら幾つかある。
美術はデッサン。ミカンが2個ずつ配られ、それを机に置いてモチーフにする。ミカンは、試験後に食べてもいいし、持って帰ってもいいという話だったので、1個は皮の剥きかけにした。2個のミカンだと構図の変化が乏しく似た作品が増えるので、良いアイデアだと思ったが、かなり描きづらくなってしまい、時間に追われた記憶がある。
母校でレッスンを受けた歌唱は、楽譜を見て階名で歌うもの。でも、音楽の試験は、♭が付いた楽譜で全くの予想外。軽くパニックになったが、仕方なく覚悟を決めて♭は無視した。クレッシェンド等わかる記号は考慮したものの、この時に受験は終わったなと思った。
体育は、準備運動を兼ねてのストレッチがあった。それなりの柔軟さがあると自負していたがかなりきつかった。私より硬いと思われた人も多かったが、上には上がいる。その人たちには到底敵わない。手帳には、その後、バスケットをしたと書いてあるが、記事に書けるような記憶がない。
何にせよ、試験内容はどれも私の予想をはるかに超えていて、自分の不勉強と奇跡を期待した無邪気さを反省した。小論文と面接は記憶が無いし、他の試験もあったかも知れない。ただ、それよりも、順番の待ち時間が長く、その間、大学内の喫茶室で相部屋仲間と一緒にいたことをよく憶えている。
相部屋仲間の結束
相部屋の縁で初めて出会い、一泊過ごして幾らか親しくなったとはいえ、それほどお互いを理解できるはずもない。むしろ、二日三日と過ごして中途半端に親しくなった分、遠慮が影を潜め、我が出て衝突する心配も出てくる。
サングラス事件
何日目だったか不明だが、仲間と試験の順番を待っていたときのこと。食堂だか喫茶室だか、一つの食卓に4人分の椅子。2つの机で8人、もう一つ椅子を持ってきて座っていた。
仲間の一人が受験とは場違いに思われるサングラスを着けて、私の前に座っていてた。傍から見れば真っ黒に見えるサングラスに慣れていない私は、彼の表情が読みづらく、もしかしたら私を睨んでいるのかもと気になっていた。それで時折に、彼をちらっ、ちらっと見て表情をうかがっていると、突然彼が怒って私の座っている椅子を、机の下から蹴り飛ばした。驚く私に「何をちらちら見てるんだ?!文句があるならはっきり言え!」的に凄まれてしまい、恐る恐る「サングラスに慣れていないから、何を見ているのか気になって、つい…」と答えると、他の仲間も自分も同じだと助け舟を出してくれた。
リーダー役が「サングラス使ったことがある人いる?」と聞くと、みんな首を振る。そして、何故サングラスを使ってるのかと尋ねてくれた。彼はいかにも無知な私たちに苦笑しながら、雪の反射がまぶしくて使っていることを教えてくれた。それから、サングラスを外して、見ればわかると渡してくれた。その時の彼の柔和な表情に安心したのを憶えている。椅子を蹴られたときはどうなるかと思ったが、入試の順番を長い時間待たされていることを考えれば、誰しも苛立って当然で、そんな時にちらちら見られて良い気がしないのも納得できた。サングラスを通して雪景色を見ると確かに目に優しく感じられるし、周りの動きも予想以上によくわかる。私が雪靴を必要としたように、彼はサングラスが必要だと感じていたのだろう。
それまで、サングラスは相手を威圧する道具だという偏見があったから、私が睨まれていると感じてしまったのだ。彼の柔和な表情に安心した後は、それほどサングラスが気にならなくなった。後年、スキーでゴーグルを着けると、その時のことをよく思い出した。ゴーグルに慣れると、雪景色の反射の強さがよくわかったものである。
方言で盛り上がる
旅先で出身の違う人と話をする場合、方言が話題になるのはあるある話だ。九州と四国出身者が集うここでも話題になった。この時、自分から遠く離れた土地だと方言を乱暴に一括りにしてしまう反面、自分の方言を隣県の方言と一緒にされるとそれは違うと反発してしまう可笑しな傾向があると気がついた。
福岡、熊本、大分の方言をまとめて、「九州弁は面白い」と言ったところ、「九州弁とは何だ。他の県と一緒にして欲しくない」と思わぬ反発が一度に来た。さらに「福岡弁と博多弁も違うと。ばってん、地元の者でないとそれがわからんちゃねぇ。」(可笑しな博多弁の可能性あり[以下同様])
「四国弁も4県で違うだろ。」と言われて、はっとした。確かに四国弁とは言わない。讃岐弁、阿波弁、土佐弁、伊予弁と呼んでいる。何故、県名ではなく旧藩名で呼ぶのが多いかも知らない。困ったのは映画『鬼龍院花子の生涯』で「なめたらいかんぜよ!」の土佐弁が流行った後なので、質問攻めにあった。同じ四国とは言え「ぜよ」なんて生で聞いたことも使ったことも無かった。(数年後に聞いた)
そんなこんなで、あちこちの方言をあれこれ習い真似している内に、だれもが可笑しな方言になってしまった。方言には意外と、語尾の変化の規則性や、音の伸ばし方、イントネーションの上げ下げなど、共通する部分がある。あれこれ練習している内、自分の方言も何だか変に思えてしまうのだ。
例えばこんな具合。「知っているの?」は、福岡弁で「知っとーと?」、土佐弁では「知っちゅうが?」だが、語尾の「と」と「が」の規則性が同じなので、混ぜ合わさって「知っちゅうと?」となるような。当初こそ、九州弁と一緒にするなと言ってたのに、時に大笑いしながら話している内、皆何弁だかよくわからなくなっていった。否、むしろ、誰もが場を盛り上げようと、他の方言を敢えて使っていた気もする。
皆若かった。この世に存在しないはずの九州弁に慣れ、吸収してしまうのも早かった。話してる途中に「それ、何弁?」と聞かれて「もう、勘弁。」なんて話した気もする。ちなみに、この方言ハイな状態は、試験終了後も数日続き、家族や友人など周囲に怪訝な顔をされることになった。
似た境遇の者だからこそ
試験は3月4~6日で、私は7日に卒業式予行練習(帰りの途上なので欠席)、8日に卒業式の予定だ。すでに卒業式を済ませた人もいたかも知れない。何にせよ受験に苦しめられた高校生活はもう終わるのだ。受験は失敗の可能性は高かったが、卒業は決まっている。地元では皆と散り散りになる。その前の刹那、それまで全く知らなかったけれど、同じ境遇を生き抜いた者同士が出会い結束する。皆、それに興奮していたのだろう。
相部屋の割り振りも功を奏した。隣県だったゆえ盛り上がった話もあったし、旅程が共通する部分が多かったのも、雪国での仲間意識を高めてくれたと思う。更に、予想以上に高難度な技術が要求された実技試験だったゆえ、試験二日目が終わった時点で、私を含め、吹っ切れた仲間が多かったのも一因だろうと推測する。
そんな訳で、試験最終日前夜はさらに盛り上がることになったのだ。
(「雪国への受験旅行(3) 受験を終えれば春」に続く)
今週のお題「試験の思い出」