tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

AI考 (1)将棋AIとプロ棋士と私

人間の知能を超えるAI

持論です。人間の知能を超えるAIは、もう存在していると思います。ある意味において、AIは既に人間より賢いということです。2013年の第2回将棋電王戦で、現役プロ棋士5人とコンピュータ将棋AI5機で5局対戦し、棋士の1勝3敗1分けに終わった時にそう実感しました。当時は一部でしか大きな話題になりませんでしたが、私にとって大事件でした。

 

もちろんそれで、全てにおいて人間がAIに劣るという話ではないですし、将棋のみAIが人間に勝っているという話でもないです。いろんな場面で、それぞれに特化したAIが登場し、それぞれの場で人間より賢いと言われることが増えたと思います。

 

AIについての記事で、最初にAI将棋を取り上げるのは、将棋は手筋だけを読み、勝ちを目指すシンプルな世界なので、考察しやすいと考えたからです。

 

この話題は『tn40.ネタ帳20210115 5つの話題宣言』の記事

の中の「1.AIの話」にあたるお話の第1話です。数回の記事では収まりそうにないので、「AI考」のタイトルは、折を見ながら長く続くと思います。

 

 

私と将棋とAI

将棋を覚えたばかりの頃の話

私が将棋を覚えたのは小学校2年(1972年)の時でした。近所の上級生から教わりました。私の性に合ったゲームだったのでしょう。しばらくの間、遊びと言えば将棋で、誰かれなく相手を頼んでいました。程なく、教えてくれた上級生にも勝てるようになりました。鬼ごっこや野球など体力が物言う遊びでは全く敵わなかったのに、将棋では勝てたことが、かなり嬉しかったのを憶えています。

 

家で3歳上の兄と指すことも増えましたが、段々と勝つことが増えていきます。兄は、将棋の本を買い込んで勉強していましたが、上級者向けの本だったので、難し過ぎたようでした。「その手は本と違うからダメ。」と言われたのを憶えています。将棋の指し手が私の考えている以上に手広いことも知りました。

 

町主催の小学生将棋大会に出場して三位に入賞したり、中学校、高校の正課クラブで将棋部に入って上級生に勝ったりするなど、それなりに自分の力が通用すると思いつつ、なかなか勝てない相手も増えていきました。ただ、指し手を勉強すれば強くなれる実感はありました。以前兄が読んでいた本も少しずつ理解できるようになり、一つ一つの手筋や、盤面全体を見ての大局観を知るほどに、棋力が上がっていくのを感じて楽しかったです。高校時代には、将棋のアーケードゲームで最後(飛車角桂香落ち)まで勝ち抜くこともできていました。でも、当時のアーケードゲームはAIと呼ぶには、指し手がかなりいい加減だった印象があります。

 

指し手の奥深さ

私の棋力が一番高かったのは大学の将棋部で部長をしていた1986年頃。部長となると強そうですが、1年以上在籍した部員の内で一番弱い人が担うきまりでした。当時の棋力は、良くてアマ2、3級くらいだったでしょう。それでも、集中した対戦であれば対局後に初手から最終の手まで再現することもできました。どの手が後に効果を発揮するか、逆に失敗の原因となるか、それが対局中に見えるかどうかが勝負の分かれ目です。わずかな読みの見落としも許されない場面で、時間制限に焦って勝ちきれないことも度々あり、自分の限界を知りました。

 

高難度の詰将棋もすらすら解く先輩や後輩部員を見て、これは私には敵わない世界だと思い知ります。部長の任を降りた頃、私は数合わせ部員、新入生の実力判断部員という感じになりました。

 

windows3.1パソコンの将棋ソフト

初めてパソコンを購入したのは1994年。OSは、windows3.1でした。当時は、フロッピーディスク数枚の将棋ソフト(今でいうアプリ)をハードディスクにインストールしたと記憶しています。ソフト名は憶えていません。対戦するとやたら長時間考え込んだり、駒の動かし方を憶えたばかりのような手を指したりで話になりません。むしろ付属の詰将棋(人間が作った問題)の方が楽しめました。あの頃は、まだアーケードゲームの方が強く思えました。ただ、棋譜(将棋の指し手の記録)の保存や再現にパソコンは便利でした。将棋ソフトは思考しているというには程遠く、単にプログラムを実行しているという感じでした。

 

windows98パソコンの将棋ソフト

パソコンの普及が大きく広がり始めた98年頃、windows98にCDだかDVDだかでインストールした将棋ソフトは、基本の定跡(将棋の序盤戦で最善とされる駒の組み方)には対応できていて、俄然将棋らしくなりました。画面上で駒や盤の色、質感の設定、棋譜再生時の滑らかな動きや音等、進化を感じました

 

定跡通りに進めていくと、うっかり負けることもありました。対戦相手としては定跡にはかなり詳しい中級者の手前という感じでした。ソフトの棋力を上げて本気で対戦しようと少し定跡から外れた手を指すと、急に思考時間が長くなるし、明らかな悪手を指してくることもよくありました。

 

その頃は、思考時間と定跡以外の対応が将棋ソフトの課題に思われました。でも、そう遠くない内にいつか将棋ソフトにまったく勝てなくなる嫌な予感を持つようになったのもこの頃でした。



同時期、『金沢将棋』、『柿木将棋』、『森田将棋』等の将棋ソフトがかなり強いという話も聞きましたが、半信半疑の上、ソフトの値段も高く、手は出しませんでした。

 

21世紀になって

21世紀に入り、パソコンのOSもwindowsXPになった頃、状況はがらりと変わりました。安価な将棋ソフトでも上級者モードになると、簡単には勝てなくなったのです。思考時間の消費もソフトの方が短く、難解(に思える)な局面でも指し手にほとんど時間がかからりません。

 

安価な将棋ソフトでさえ、2,3年でこの上達ぶりです。私が2,3級程度になるまでに費やした時間と比べても、圧倒的な速さ。プログラムの進化と同時に、コンピュータの性能も飛躍的に上がったこともあるでしょう。この時点で私が将棋でAIに勝つことはもう無理だと悟りました。

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どんどん強くなっていった将棋AI

しかし、 人間はAIと比較するとき、多くの場合、ズルをします。自分はもう敵わないと思いつつ、プロ棋士が将棋AIに負けるということはまずなかったです。まだまだAIは人間には敵わないという見方にしがみついていました。

 

プロ棋士とAI

20世紀の将棋界とAI

1980年代後半、棋士界では、若手棋士の間でコンピュータを使って力をつける勢力が台頭し始めます。コンピュータ相手に将棋を指すのではなく、大量の棋譜をコンピュータに保存させ、多くのデータを検証するという活用法だったようです。まだ将棋ソフトが市場を開拓する前の話です。

 

wikipedia 島朗(しまほがら・初代竜王)では、

若手との研究会や、パソコンによるデータ管理など、将棋界に新風を吹き込んだ(当時、研究は一人で行うのが普通であった。)。中でも、羽生善治佐藤康光森内俊之が参加していた「島研」(命名米長邦雄とされる:1986年頃から1990年頃まで)は伝説的研究会といわれる。

とあります。島朗自身、「1988年の第1期竜王戦米長邦雄に4-0のストレート勝ちし、初代竜王」の経歴を持ちます。さらに

島研のメンバーは、のちに全員が竜王位を経験し、島以外は全員が名人位についた。この島研時代の研究量は他を圧倒していた。NHK杯の解説で、指された手に対して数年前の対局の棋譜を並べだすこともよくあった。

とのこと。

 

棋士自身がグループになって、パソコンを活用して研究し、大きな成果を収めたのは興味深いエピソードです。当時は、「棋士がコンピュータに頼るのは情けない」等の声もありました。それは、棋士がコンピュータに負けるなんてありえないという自負の裏返しだったでしょう。

 

しかし、この話は独学で棋士の腕を上げるよりも、ビッグデータを共有する方が棋力の上昇に有効だという証でもありました。より効果的な手を見つけるには、より多くの指し手を検証することが欠かせないという訳です。もちろん、棋士同士の順位争い、タイトル戦もありますから、すべてのデータを共有するわけではなかったろうとは思います。

 

それでも、公式戦の棋譜は全て残され続け、共有されます。一度は戦った棋士が、その戦いを棋士界全体で検討し合うというシステムは、棋士の棋力向上だけでなく、将棋AIの進化にも大きな影響を与えたと言えるでしょう。もし膨大な棋譜データが無ければ、将棋AIの進化はあり得なかったと思うのです。もとになるデータ量が同じだったからこそ、将棋AI同士の過酷な競争ができたのでしょう。

 

棋士が予測した将棋AIの将来

興味深い話として、コンピュータ将棋「人間との対局の歴史」 - Wikipedia では、

1996年に発行された『平成8年度将棋年鑑』には、コンピュータがプロを負かす日は? 来るとしたらいつ」というプロ棋士へのアンケートが掲載された。

 とのこと。

米長邦雄「永遠になし」加藤一二三「こないでしょう」と否定意見もある中で、久保利明「来世紀」、内藤国雄「10年以内にくるような気がする」と近い将来とした棋士羽生善治「2015年」、森内俊之「2010年」、屋敷伸之「来る。ただトップには勝てない」また10年以上先とした棋士、それぞれいたようです。

 

当時の棋界のトップと言える羽生善治が「2015年」と言ったのに特に意図はなかったそうですが、近い将来AIがプロ棋士を負かすことを、コンピュータを駆使していた棋士が予想していたのは興味深いです。

 

しかし、しばらくはプロ棋士と将棋AIとの対局は実現しませんでした。一つは明らかに棋士が強くて実力差があり過ぎたこと、二つ目はAIとの対局が棋士に何のメリットもないこと等の理由があったようです。そりゃあ、そうでしょう。1996年なら、私でも将棋ソフトに楽勝でした。

 

2000年代の棋士とAI

21世紀になって、少しずつ状況が変わってきます。私見ですが大きな変化は二つ。

一つ目はデジタル化された棋譜が圧倒的なデータ量になったことです。

何台ものコンピューターを使うほどの量になりました。

二つ目はコンピューターの演算速度が急激に上がったことです。

膨大な量の棋譜データから、目の前の将棋の手でどれが有効なのか、短時間に見極められるようになりました。

この二つによって、いよいよプロ棋士に劣らないAI将棋が生まれようとしていました。

 

2000年代半ばまで棋士と将棋AIは、棋士駒落ちでの対局が主流でした。後半になると平手(駒落ち無し)でも指され、接戦が繰り広げられるようになったのです。

 

2013年将棋電王戦以降

冒頭にも書きましたが「現役棋士5人とコンピュータAI5機で5局対戦し、棋士の1勝3敗1分けに終わった」のは私にとって大事件でした。団体戦でコンピュータがプロ棋士に勝ち越したことに、ついに来るべき時が来たかと思ったものです。

 

電卓が普及した1970年代、日常の四則計算は人間より確かと考えられるようになり、店では算盤より、レジ計算の方が速くて正確だと信頼されるようになりました。それと同様に、将棋AIは、プロのトップレベル相手ならともかく、通常ではアマチュアよりも早くて強いとされるようになりました。

 

将棋のAIが進歩して、プロ棋士の次の手をかなり正確に予測できるようになり、それまでなかった弊害も生まれました。あるプロ棋士が差し手をAIに指示してもらっているのではないか?との疑惑が向けられたのです。疑われた棋士は、プロ棋士なのに対局が許されない事態になりました。後にそういう事実はなかったと結論付けられますが、人間とAIとの関係が新たな段階に入った気がしました。人間が将棋AIを悪用するのではないか。それはある意味、人間よりAIの方が賢く強いという証左にもなります。

 

AIとプロ棋士

藤井聡太四冠の活躍

圧倒的なデータと計算力を持つ将棋AIが棋士に勝てることがわかって以降、棋士の価値が暴落するのではという危惧もありました。しかし、結果的に棋士の価値が下がることは無かったと思います。いろいろ揶揄された時期もありましたが、藤井四冠の大活躍は称賛され注目を浴び続けています。

 

以前のように、プロ棋士とAI将棋との直接対決はほとんど目にしなくなりました。でも、棋士が残した棋譜をAIが取り込み、進化は続いているし、棋士も将棋AIを使っていろんな手筋の有効性を確認しています。もちろん藤井四冠も上手く活用していると聞いています。

 

藤井四冠(当時二冠)が対局の解説に使われたAIが予測しきれなかった手で、勝利を収めたことがあります。藤井四冠がAIを超えて「神の手」を指したなんて報道もありました。竜王戦の挑戦権を争う対局でした。

news.tv-asahi.co.jp

センセーショナルな内容ですし、実際「こんな手が成立するのか?」と思うような手ではありました。ただ、誰も予測できなかった手を対局中の棋士が指すことは、他の棋士にもあった話です。

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神の手とも言われた 4一銀

(※ 棋譜にも著作権があるので、ここでは一部のみの表示です。)
詳しくはこちら↓

www.youtube.com

 

面白いと感じたのは「AIを超えた」という表現です。ああ、今はそういう時代になったのだなと思いました。十数年前なら「AIを超えたなんて棋士を馬鹿にするにも程があるだろう!」と怒られても不思議ではありません。それだけ、今はAIの性能が上がり、極めて強くなったと世が認めているということでしょう。

 

将棋AIの浸透と変化

将棋AIが浸透して、対局の解説に変化がありました。指し手ごとにAIが評価をするのです。面白いのが、AIの評価が絶対ではない点。対局中にどちらが優勢かの判断も示されますが、ある一手で評価が逆転することもあるようです。

 

AIも想定できなかった有効な手を棋士が差して、慌ててAIが考え直して推測を変える。もしかしたら、こんな状況が見られるのは今の極短期間かも知れません。話によれば、数千手を読んだ場合と数万手を読んだ場合とで、指し手が変わることがあるそうです。

 

将棋は、動きの限られた駒を一手一手の攻防で9X9の盤面上を動かすルールです。素人考えでも無限に手があるようでも実際は有限に思えます。ですから、とことん理詰めをして行けば、最良の一手は答えが決まっているように思っていました。ところが、これが最良の手だとAIが示したにもかかわらず、どうしてその手なのか判断できない場合もあるそうです。とても興味深い話です。であるからこそ、最強の将棋AIのゴールも見えない訳で、今、その辺りの解明に入っているのだとか。

 

一方で、棋士にもうっかりミスはあります。完全に優勢だった対局を、うっかり間違うこともあります。禁じ手の二歩を打って反則負けになることもあります。指し手を読むだけでは、勝敗の完全な予測はできません。いつか、AIが瞬時に数千万手を読めるようになった時、棋士の対局をどう予測するのでしょう。単に読みを深めてどちらが勝つと予測しても、棋士のうっかりまで予測できるものでしょうか。

 

棋士のプロフィールや対戦歴から、相手がこの人の場合、うっかりミスをしてしまう確率0.02%とか、この時間帯に疑問手を打ちやすいとか。棋士の指し手の癖やモチベーションを左右されやすい状況とか、そんなこともデータ化されるのかもなんて、変なことまで考えてしまいます。

 

指し手の予測と勝敗の予測。恐らく、それを完璧にAIが予測することは不可能でしょう。その意味でAIは人間を超えられないという論調も成り立つかもしれません。

 

AIと人間

「AIは人間を超えられるか」への疑問

変な話ですが、冒頭で「人間の知能を超えるAIは、もう存在していると思います。」と書きながら、「AIは人間を超えられるか」という話はあまり好きではありません。それは、AIについても、人間についても、ごく限られた視点でしか見ていないと思うからです。

 

AIでなく、動物ならどうでしょう?「動物は人間を超えられるか」は陳腐です。チーターより速く走れる人間はいないでしょうし、音速飛行機よりも早いスピードを出せる動物もいません。またその比較にあまり意味も感じません。それと同様に、ある視点から見ればAIは既に人間を超えているし、別の視点でうっかりがある人間を超えられないとも思います。もし、人間のうっかりを許さない社会を目指してAIが使われるなら、その社会を幸せな時代とは思えないです。

 

AIが人間の仕事を必要としない社会を築いたとき、人間は幸せと言えるでしょうか。

逆に、人間が全てのAIを否定する社会が可能でしょうか。

これらの問いに、私は否と答えたいです。

 

「人間 vs AI」から「人間 & AI 」へ

「人間 vs AI」を考える時代は過ぎたと思います。今、「人間 & AI 」でどんな社会が作れるかを模索する時代に入ったと思います。

 

「プロ棋士 vs 将棋AI」の対局が注目された時代は過ぎました。今、プロ棋士は将棋AIを活用しながら棋力を上げて棋士同士の戦場があり、将棋AIはプロ棋士棋譜データを元に、最良の読みを補完したり、観戦者への解説の質を上げたり、AI同士が切磋琢磨したりしています。そんな「プロ棋士 & 将棋AI」の関係になってきているのではないでしょうか。

 

棋士も将棋AIも、最高の棋譜の完成を目指している点では同じかも知れません。でも、人間は自分でできることに挑戦し、自分の納得を得ることでしか満足できないことがあります。その納得のためにAIをどう活用するか。その答えは、人間とAIの共同作業でしか出てこないでしょう。

 

その世界がどんな世界なのか、とても興味があります。

「人間 & AI」でどんな社会が築けるのか、今後も考えていきたいです。

 

 

AI考(2)へ続く