tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

AI考 (2)AI美空ひばりとAI手塚治虫 その人らしさ

AIが誰かを蘇らせる時代は来るでしょうか。蘇った人が誰であるかの証拠は必要でしょうか。そして、蘇った後で再び活躍することはできるでしょうか。

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AI歌手、AI漫画家は可能でしょうか

この記事は、「AI考 (1)将棋AIとプロ棋士と私」の続きです

 

 

AI美空ひばり

その人らしさは何で決まるか

2019年のNHK紅白歌合戦のAI美空ひばり登場は、「革新か冒涜か」と話題になりました。 その是非はともかく、美空ひばりの声質や歌い方、体格や表情、ちょっとした所作までデータ化して歌わせたとのこと。AI技術がここまで来た、或いはまだこの程度と目に見えた機会であったと思います。(どこまで来たのかと問われると明確には答えられませんが…)

 

NHKのリンクから、AI美空ひばりの動画が見られます。

www.youtube.com

美空ひばり本人には及ばないにしても、美空ひばりらしさをどこかに感じ取った人は多いと思います。違和感はあれど、少なくとも美空ひばりと比べて、似ている、似ていないの判断をしたと思うのです。もし、AI美空ひばりの外見がまったくの新人AI歌手だったなら、美空ひばりをモチーフにしていると気づく人はいなかったでしょうか。案外、たくさんの人がモチーフに気づいたのではないかと思います。映像よりも、声の方に美空ひばりらしさが出ていたように感じました。

 

私が気になったのは、その人らしさは何で決まるかです。外見だけでなく声や仕草にもその人らしさがあります。これまで、その人らしさを漠然としたイメージやわずかな言葉でしか表現できなかったのに、データ化できるかもと少し考えただけで、頭がくらくらしそうです。その人らしさを蘇らせるのに、どんなデータがどれほど必要になるのでしょう。

 

ものまねとの違い

ものまねお笑い大会等の番組で、観客を大きく沸かせる芸人がいます。インタビューでネタ元になった有名人の体格の特徴や所作の癖、表情の特徴等などを幾つか教えてくれることがあります。それを参考にしてものまねに挑戦をする人もいますが、どちらかというとネタ元の有名人より、ものまねしている芸人のものまねというイメージです。

 

多くの場合、ネタ元になった有名人は、ものまねされることを強く拒否することなくいます。芸能界の暗黙の了解でしょうか。貶めるものまねなら許されないでしょうが、受けるネタとしてなら良いとされているのでしょうか。

 

ものまねには、これまでの歴史があります。時に批判も、絶賛もありながら、一つのステージ、演目として成り立っています。観客にも漠然ながら「ものまねとはこういうもの」というイメージができ上っていると思うのです。

 

AI美空ひばりとものまねとの違いはこの辺にもありそうです。つまり、本人の要素を取り入れる外枠(見た目)から内枠(声質や特徴)まで全て作り出したAIと、別人がやっている前提で行われるものまね。馴染みの薄いAIだからこそ、厳しい目で見られる。そんな気もします。

 

AI歌手というステージ

AI美空ひばりの登場は、「革新か冒涜か」と問われました。その判断はいろんな要素が絡んでいて難しいです。

 

新しい技術が生み出されたとき、賛否両論に分かれることは珍しくありません。人体移植、体外受精、試験管ベイビー、代理母、クローン羊(ドリー)、IPS細胞等の医学関連。核融合反応、原子爆弾、ロケットミサイル、核兵器、軍事衛星等の軍事技術。原子力発電、クレジットカード、電子決済、携帯電話にスマホ…。思いつくだけでも枚挙にいとまがありません。賛否の決着がついていないものも多いです。

 

故人の冒涜という見方もわからないではないですが、故人を偲んで、遺影をかざることや似顔絵を描くのはどうでしょう。目が開いたままの写真遺影、まばたきをするデジタル遺影では、どちらがいいのでしょう。或いは、個人が願い果たせず行けなかった場所を背景に、元気だった頃の写真を合成するのはどうでしょう。個人の声の再生はよくても、復元するのはよくないのでしょうか。どこまでなら偲ぶことで、どこから先が冒涜なのか、時代や考え方で大きく変わると思うのです。

 

AIのモデルなら、既に存在しCMも作られています。指摘されないと、AIと人間の違いが判らないほどになっています。

ledge.ai

AIによる架空のモデルであれば、歳もとらないし、スキャンダルも起きないなどのメリットがあるとされるようです。(ただ、起用の仕方でSNSの炎上などは考えられるので、リスクがゼロかどうかの疑問は持っています。)

www.itmedia.co.jp

故人の三船敏郎石原裕次郎が今演じているかのようなCMもあります。こんな風に、AI歌手が活躍できる場(ステージ)ができると、また違うイメージが社会に醸成されるの可能性もありそうです。

 

テレビでなくとも、youtubeなど配信できる場は多いです。AI歌手が活躍できる場を作るのも、AI歌手の浸透には不可欠なのかも知れません。

 

AI手塚治虫

AI手塚治虫の新作漫画『ぱいどん』

2020年2月には、AI手塚治虫が新作漫画を描いたとして、一部で話題になりました。 

robotstart.info

プロジェクトの詳細はこちら。

tezuka2020.kioxia.com

こちらでは無料で作品が読めます。

brand.kioxia.com

 

漫画データだけでは不足

漫画作成までの話で興味深かったのが、手塚治虫の漫画データだけを集めたAIではとても漫画と呼べるキャラクターにはならなかったものの、人間の写真データを組み込むことで、それらしい描画になったことです。とてもリアルな話に思えました。

 

漫画が人間生活と全くかけ離れた二次元世界ではなく、人間の生活をもとに人間が見て考えて作り出した世界ということでしょう。多くのことを漫画で学んだという人はいます。しかし、漫画が人間生活から抽出したエッセンスで描かれた世界だからこそ、学べた気がするのです。漫画が人間社会の優れた表現方法だという証明に思えます。

 

根っこには人間の生活がある。恐らくこれは、物語や絵画、文学、食べ物、家電、ロボット等、いろんな分野で共通していることだろうと思いました。これを無視した技術は人間社会で成り立たない気がします。

 

『ぱいどん』の評価

『ぱいどん』の評価も賛否両論ありますが、ラインタッチや展開などある程度の手塚治虫らしさは出ていると言えると思います。ただ、人間スタッフが手を加えた部分もかなりあるとのことなので、AIによる手塚治虫新作品とはまだ言えないでしょう。

 

AI美空ひばりが人間の作った歌を人間が取り込んだデータを使って歌うことと、AI手塚治虫自身が考えて漫画にすることには大きな差がありそうです。

 

それでもーー。手塚治虫らしさはどこにあったのか、それはどうやって生まれたのか、それを探る方法として『ぱいどん』制作は可能性を広げたように思います。

 

もし、人間の生活の多くのデータを取り込み、その上でラインタッチなどの技術を駆使し、手塚治虫本人の思考パターンなどのデータで練り上げたAIができたなら、いつか…とも思うのです。プロの漫画家には及ばないまでも、私より手塚治虫作品らしい絵は描けるんじゃないかとも思います。

 

私が1990年代まで負けることがなかった将棋AIに、いつしか勝てなくなったのと同じように。

 

その人らしさのデータ

AI美空ひばりもAI手塚治虫も、その人らしさを様々なデータで構築する作業だったと思います。つまり、その人らしさはデータ化できる可能性があるということでしょう。

 

体格、顔立ち、性別、動き、声、所作の癖、口癖、思考パターン、ラインタッチ等、そうした外からでも感じられること。さらに、生育した時代、国籍、地域、経験、学習内容、移動範囲、宗教、哲学等、個人の人格形成に影響を与えていること。云々。

 

どこまでのデータが必要で、どれなら無くてもいいのかは、個人個人で違うでしょう。でも、これだけのデータがあれば、その人らしくなるという到達点はありそうです。懐かしい友に会った時、「お前らしいな」とか「お前らしくないな」とかの判断が変わる根拠を人間は持っています。その根拠と判断力をAIが持つことは可能な気がします。もちろん、同じ友を別の人が別の判断をすることもありますけど。

 

一方で、その人自身が考える自分らしさの根拠だけでその人らしさが成り立つものでもないと思います。このブログを書くまで、高校時代灰色の時代としか考えていなかった自分を振り返って、強く思います。

 

客観的なその人らしさのデータをどう集めるか。本人でもわからない自分らしさの根源にどう迫るか。そして何より、その人らしさを追求することがどこまで許されるのか。プライバシー保護、人権尊重の課題も見過ごせません。

 

AIによるその人らしさの追求は、まだまだ始まったばかり。

でも「人間 & AI 」の今後を左右する大事な視点だと思うのです。

 

 

AI考(3)へ続く