tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

映画20.『スターウォーズ』リバイバル上映と理力(フォース)

今までに観た回数が一番多い映画は『スターウォーズ』(第1作)です。

映画手帳によれば、初めて観たのは1982年5月23日です。映画館のリバイバル上映でした。字幕版です。実は先に『帝国の逆襲』(1980年)を観ていました。

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映画手帳(1982、1983、1984

 

スターウォーズ』オープニングの衝撃

20世紀フォックスの ファンファーレとともに

 私にとって『スターウォーズ』オープニングの記憶は、20世紀フォックスのファンファーレとセットになっています。これは外せません。

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20th CENTURY FOX ファンファーレ画面

けたたましい程のファンファーレの音の中、

「20th CENTURY FOX」のロゴが浮かび上がり、

その音の後半に「LUCASFILM」のロゴ、

そして一瞬の暗闇と静寂の後、浮かび上がるこの文字列。

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A long time ago in a galaxy far, far away. . . .

この文字列が消えた瞬間、画面いっぱいの「STAR WARS」ロゴと、スターウォーズの音楽に度肝を抜かれ、ロゴがあっという間に遠ざかっていきます。

この部分、稚拙ながら gif アニメで再現してみました。

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スターウォーズ オープニングの真似

STAR WARS」のロゴが消える前に、作品のバックストーリーの文章が現れますがそれは省略。雰囲気が伝わるでしょうか。

 

実は、『帝国の逆襲』(EP5)を観た時は、まだこのオープニングがシリーズ作品全体に共通しているものだとわかっていませんでした。リバイバルで『スターウォーズ』を観て初めて、ああ、そういうことか!と理解し、ようやくスターウォーズのシリーズに出会えた感を得て、感動したのです。

 

オープニング直後

その感動が消えぬままに、本編スタート。惑星の上を小さな宇宙船が通り過ぎ、続いて帝国軍の戦艦が頭上を通り過ぎ………、ずに戦艦の姿がどんどんスクリーンを占めていきます。ようやく艦の後ろに行きついたかと思っても、それは艦の中腹の出入り口(ドッキング・ベイ)。

(あの小さい宇宙船に対して、こんなにでっかい戦艦が追いかけてるのか?!)

と驚きを超え、呆気にとられてしまうほどの巨大さです。 

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スクリーンを覆うほどの帝国軍の戦艦

この衝撃の始まりで、帝国軍の容赦のない圧倒的な力を見せつけられます。

スターウォーズ』シリーズの数ある名シーンの中でも、このシーンは特に象徴的です。帝国軍の強大さや怖さ、冷徹さのイメージが、ここで出来上がるのですから。

 

今なら、youtube で「スターウォーズ4 オープニング」と検索すれば、その映像を見ることもできますが、敢えて断定します。小さなスマホやPC画面で映像を観ることはできても、この映画を体験することはできません。私も映画を観る前に、この導入映像は見ていたように思いますが、それは知識でしかなく、映画館での体験とはかなり離れていた気がします。是非とも映画館で体験して欲しいです。付け加えるなら、映画館の5列より前で体験して欲しいです。両目の視界一杯に戦艦を入れて観るのがお勧め。

  

それにしても、20th sentury Fox のファンファーレから2分半程で観客を圧倒した迫力には参りました。映画を観ながら総毛立ったことが忘れられません。手抜きのアイキャッチ画像ながら、これを見て『スターウォーズ』だとわかった人もいるのではと思います。

 

スターウォーズ』のストーリー

ここで『スターウォーズ』のストーリーを簡単に紹介します。

(注意:ネタバレを含みます。)

 

貧しい星

帝国軍の圧倒的な力を見せつけられた直後に現れるのは、辺境の星タトゥイーンの砂漠地帯です。ハイテクノロジーな宇宙船と文明とかけ離れているような貧しい村。この対比でスターウォーズの舞台が壮大さを予感できます。

 

また、現地人によるC-3POR2-D2の扱いは、SFの名作映画『猿の惑星』を彷彿させますが、2体のドロイドを青年ルークが手に入れることで別の展開になります。ドロイドとの関りでルークは、ジェダイの騎士オビ=ワンと出会います。その後、叔父家族を襲った悲劇があまりにあっさりしていて、それでいいのかと疑問も生じるのですが、ルーク達は、ハン・ソロの宇宙船に乗り込み、宇宙に飛び出します。その期待感の強さが、ストーリーの急展開を可能にしているのでしょう。

 

デス・スター

帝国軍の惑星をも破壊するデス・スターでは、反乱軍のリーダーの一人、レイア姫が捕らわれていて、厳しい尋問を受けています。ルーク一行は目的地であるレイア姫の故郷、オルデラン星を目指していたのですが、デス・スターによって破壊されます。その上、デス・スターに捕らわれてしまうのです。しかし、オビ=ワンを敵将ダース・ベイダーによって失うものの、一行はレイア姫を救出して脱出に成功します。

 

反乱軍の戦い

レイア姫を奪い返し、デス・スターの弱点を突き止めた反乱軍は、デス・スターを破壊すべく戦いに挑みます。デス・スターは強大な上、ダース・ベイダー率いる部隊に苦しめられ、帝国軍は次々仲間を失います。しかし、ルーク達は理力(フォース)の導きと仲間によって死線を潜り抜け、デス・スターの破壊に成功するのでした。

 

スターウォーズ』の魅力と「理力」(フォース)

スターウォーズの舞台となった星々や世界観の魅力については書くまでも無いでしょうし、私の知識は詳しい人の足元にも及びません。旧3部作のDVDセットを購入したので、《特別篇》を含めると、少なくとも20回はEP4を観ていますが、胸を張れるほど詳しくはありません。ここでは「理力」について書きます。

理力について

私にとって『スターウォーズ』の一番の魅力は「理力」(フォース)でした。

高校時代に『スターウォーズ』の映像は手に入らず、小説を買って読みました。そこでは「フォース」を「理力」と訳してありました。私の記憶が正しければ、『帝国の逆襲』もリバイバル上映でも、フォースは「理力」とされていたように思います。

 

勝手ながら、「理力=世の全ての理(ことわり)をコントロールできる力」というイメージでいました。当時、科学雑誌をよく読んでいた影響もあって、もし全ての理をコントロールできるとどうなるんだろう?というワクワクする想像が膨らんでいたのです。

 

大ヒットアニメ映画『君の名は。』のテーマソング「前前前世」に「むしろ0からまた宇宙をはじめてみようか」という歌詞がありますが、まさに理力を制すれば宇宙の始まりからやり直せるのではないかという感じさえあったのです。

 

宇宙を丸ごとひっくり返してしまうような理力。そんな期待が私にはありました。そうなればなんだって可能になりそうだと。(もっとも、そうなればなったで安易な話に失望するのでしょうけれど。)

 

フォースについて

ルーカス監督自身、EP1からではなく、EP4から撮影を始めたのは、フォースを描く撮影技術が追いつかないからだというような話をしていました。これはとても納得できる理由で、確かにEP4以降、作品の回数を重ねるごとにフォースを描く映像も理念も、質を高めていったと思います。

 

でも、結論から言えば、高校時代にイメージした「理力」と、後に普通に使われるようになった「フォース」とのイメージは重ならないばかりか、むしろ作品を追うごとに乖離していった気がしてなりません。

 

 

EP6 を観た時、少しがっかりしました。「C-3POを椅子ごと宙に浮かすとか、そんな話じゃないだろう?」と。でも、EP1のアナキンは子どもながらにしてルーク以上のフォースが使えそうです。一体どれだけの力を秘めているのだろうかと少し期待が膨らみました。

 

ところが、期待したEP2では、フォースが駆使される映像に迫力はあっても、がっくり来ました。理力の理念や哲学が完全に切り捨てられたように思えました。フォースってCG技術のことだったのか…と思ったのです。

 

EP3は、EP4につじつまを合わせるための作品に思え、私にとってはそれまでのスターウォーズとは別物に思えました。ルーカス監督自身、当初全9話と言ってたストーリーを6話で終えると言うのです。まぁ、既に収拾がつかなくなってしまった感があったので、正直仕方ないとも思いました。

 

それでも、ディズニーが引き継いで製作したEP7~EP9まで全9作品を観たのですが、やはり『スターウォーズ』のリバイバルで感じた理力の期待は宙に浮いたまま。

 

そんなこんなで、理力について続きを書ける人を高校時代からずっと待っている気がするのです。