tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

授業20.「やる気が出ない」って誰に言う言葉?

 高校時代、私は文系でした。入試(共通一次試験)では数Ⅰを受けるので、数ⅡBはいわば受験対象外の科目でしたが、高2で受けることになっていました。

 

そんな状況だったので当初からまともに授業を受けず欠席や雑談などで時間を潰す人もいました。文系で数学が苦手という人も多く、まともに受けない人は徐々に増えていたと思います。数ⅡBではなく受験に関係する授業を受けたいと言う人も出てきました。まぁ、もっともな話ではあります。

 

 

授業の中断

私自身、お手上げ状態の学習もあって、わからないことがわかったのだから、もうこの科目はやめて他の授業にしてもいいんじゃないかという気持ちも出始めていました。

数ⅡBは補習授業として課外の時間でも行われ、疑問はより膨らみました。

 

そうする内、授業中にふざけたり、遊んだりする人も出てきて、学習が成り立ちにくくなっていきます。さらには、先生をからかって面白がること出てきます。そんなある日、ついに先生が怒って教室から出て行ってしまったのです。

 

 

クラス担任登場

しばらくして、教科担任ではなくクラス担任の先生が教室に入ってきて、話をすることになりました。秋だったか、既に夕陽が窓から差し込む時間で、先生の顔と後ろの黒板が紅く染まっていた印象があります。 

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夕陽に染まる教室の中

先生は厳しい表情ながらも頭ごなしには怒らず、「こういう問題が起きるのは良くないことだが、楽しくもある」みたいな話がありました。解決することで人間として成長できるといった意味だったと思います。

 

私を含め、怒られるという覚悟をしていた人も多かったようですが、話を聞いてくれそうな雰囲気になったので、口々に「やる気が出ない」ことを先生に訴えていました。受験に関係が無い、しかも時間外、そして何より難しくて理解できない、そんな言い分です。また、ふざけたのは良くないが、授業を放り出す先生も悪い、わかる授業をして欲しいといった話もあったと思います。

 

結局、その時は汽車通学の生徒が汽車の時刻に間に合わなくなるということで、話は持ち越しになりました。記憶違いかもしれませんが、先生は全員が教室を出るまで見送っていた気もします。内心、どうしたものかと悩んでいたのでしょう。

 

クラス担任の先生への手紙

家に帰っても、悶々とした思いが続き、学習意欲が湧きません。そこで、担任の先生に手紙を書くことにしました。7時間目の補習授業が中断になった後、もう一つ授業を受けたという意味で、題名を『八時間目の授業』としました。

 

教科担当の先生を責めるだけの論調や、受験に必要無いから(体育や芸術、他にも受験に必要のない科目はあった)授業を受けたくないという意見には疑問に感じること、生徒の反応に関係なく授業を進める先生も良くない等、雑多な考えを半ば勢いに任せて書いた気がします。文末にはできれば最後まで授業を続けて欲しい、わからない授業でも努力して受けたいみたいなことも書きました。

 

手紙に書かなかったら、記憶に残っていなかったかも知れません。

 

クラスで話し合い

翌朝のホームルーム(朝の会)で昨日に続き話し合いの時間を持つことにすると話がありました。先生に手紙を渡したのはその後だったと思います。

 

話し合いの司会はクラスの長が進め、クラス担任は黙って生徒の言い分を聞いていたと思います。言いたいことをぐっとこらえていたのではないでしょうか。

 

 

話し合った内容

話し合いの途中から教科の先生も加わりました。

文系のほとんどの生徒にとって数ⅡBが受験に必要な教科ではないが、勉強する意味がないわけでないこと、難しい部分はあるが教える工夫はしていきたいということ、それでもつまらない授業になるかもしれないが邪魔するのはやめて欲しいこと、そして生徒の態度に怒って授業を放り出したのは自分にも非ががあるということ、そんな話をしてもらったと思います。

 

一方、生徒からは、受験に関係ない科目であっても、またわからないからといっても、授業を妨害したのは良くなかった。受験を引き合いに出すなら、一人静かに他の勉強をすれば良い。先生といがみあっても何の得にもならない。そんな話にだったよう思います。

 

(記憶違いがあったらごめんなさい。)

 

その後のこと

話し合いで、特別新たなルールが決まることはく、先生も生徒も、お互いに努力していこうという程度だった思います。

 

その後先生が授業を放棄することはなかったです。学習に前向きになった生徒は増えたと思いますが、全員が真面目に授業を受けるようになったわけでもなかったです。それでもその後、大きなトラブルにはなりませんでした。

 

先生の名言

事件との前後関係は不明ですが、この記事を書いている内に、数ⅡBの先生が

「X(代数のエックス)がつく計算が苦手な人もいるでしょうが、Xが何かわからなくてもいいのです。人間は、それでも式にして計算ができることに気づいたのです。わからないままでも考えることができるというのは素晴らしい発見です。」

そんな話をしていたのを思い出しました。

 

わからないからと言って歩みを止める必要は無く、わかることを推し進めることの大切さに気づかされます。進める内にわからなかったことがわかることもある、そんな感じにとらえました。先生の言葉自体は長らく忘れていましたが、わからなくてもやってみるというのは、私の学力(学ぼうとする力)につながっている気がします。

 

もっとも、見方を変えれば、車の構造がわからなくても運転したり、パソコンやスマホの仕組みがわからなくてもアプリを使ったりと、日常の生活で普通にやっていることでもあります。わからなくても止めない、わかることを進めていく有効性は、きっと誰もが経験していることでしょう。

 

やる気が出ないときはどうする?

ところで、「やる気が出ない」って誰に言う言葉なのかと考えてみました。

 

  • やる気が出ない状況や原因を作った人に言う言葉でしょうか。誰かに助けを求める言葉でしょうか。本当はもうやめたいという思いから出てしまう言葉でしょうか。
  • それとも、やる気を出せない自分に言う言葉でしょうか。このままではいけない、と失意の自分を鼓舞するための言葉でしょうか。本音は続けたい思いからの言葉でしょうか。

両方の場合もあると思いますが、多くの場合、事の深刻さがわかっていないほど前者の使い方をし、事の深刻さがわかっているほど後者の使い方をするように思います。

 

今の世であればコロナ感染予防対策なども当てはまりそうです。

「政府の対策が不十分で、効果もあまり出てないから、自粛と言われてもやる気が出ないし、ちょっとくらいハメ外しても、まぁ、大丈夫かなって(気にしない)」

「医療現場で休日返上、休み時間も無しに働いて疲れ切っていても、患者は減らないし、ニュースでは外でお酒を飲んで楽しくやってる人もいるような状況で、やる気が出ない自分で大丈夫かなって(気になる)」

 

やる気が出ないとき、その気持ちに流されるか、抗うかーー。

やる気が出ない根本的な原因や解決策はどこにあるのでしょう。

 

「やる気が出なくても、やるべきことはやる。」

難しい話ですが、そうしている人には頭が下がります。

やる気が持てないときはどうしてもあります。それでも、自分でやる気の持てる他の何かを探してやってみるくらいはしたいものです。

 

 

今週のお題「やる気が出ない」