何分、夢の話なので曖昧な部分も多いのだが、思い出し思い出し、さらに記憶の齟齬を修正しながら記事にしていることを先にお断りしておく。なお、記事に出てくる有名俳優は仮名にしている。実名で検索してこの記事がヒットする恐れはないと思うが、念のため。
- プロの作家になれるかもという企画
- 二つのアイデア
- すべては夢だった
- 夢のからくり
- ニンジン入りハンバーグ
- シイラの刺身
- 人生で一番美味しかったもの
- 高校時代の美味しかったもの
- 結局のところ
- 閑話休題
- 敢えて結論
プロの作家になれるかもという企画
人生で一番美味しかったものは何かを募集する企画がある。なぜ一番なのか読んで納得できることが重要で、この企画で最優秀賞をとれば、スポンサーつきのプロ作家になれるとのこと。スポンサーの言いなり記事を書かされるのはどうかとも思うが、安定した収入となるのは魅力である。
スポンサーになるのは、企画の発案者でもある大物俳優、役場工事(仮名)だ。ある映画完成の打ち上げで、これまでに食べたことの無い美味しい物を食べてみたいという話が出た。よくある飲み話だが、役場が一番おいしかった食べ物を通して、その人生を演じてみたいと熱く語り始め、今回の企画につながったらしい。企画の盛り上がり具合によっては、映画化の可能性もあると言う。映画化が難しくても、いくつかの記事を抱合せ、役場工事がそれを食べに行く食レポを兼ねたテレビドラマにするアイデアもあるそうだ。
役場工事の食レポ。これは面白いかも知れない。今、日本映画界で彼の右に出る者はいないだろう。その彼が、どんな食べ物に関心を持つのか、どんな扮装でどんな食べ方をするのか。想像もつかないが、興味津々である。
スポンサーや映画化、ドラマ化をエサに原作を募集する企画の成功例はあまり聞かない。だが、役場工事自身が絡む企画となると参加してみたい。レストランや家庭の味、再現可能かどうか等にはこだわらない。とにかく、なるほどその人の人生でそれが一番美味しかったのだなと納得できる話であればいいと言うのも彼らしい気がする。
二つのアイデア
そう思って人生で一番美味しかったものを数日間考えてみたが、これというものが思いつかない。いや、幾らかは思いついくが、証明するには説得力に欠けるものばかり。
そんな時に、夢の中で閃いたのだ。それも二つ。最優秀は無理でも最終選考には残る可能性がありそうなアイデアに思えた。よし!これならいけるかもと思ったタイミングで、私の隣に役場工事が来て、「そうか、何を書くか決まったんだな。」と言い、ニヤリと笑みを浮かべた。
すべては夢だった
そこで目が覚めた。それでも、何かとても大事なことのように思えて、布団の中でスマホからつらつらブログ記事の下書きにメモを残した。きっと今、起き上がったら何もかも忘れてしまいそうだと思いながら。とはいっても、そもそも役場工事の企画段階からすべて夢なので、最優秀でプロ作家になれることも映画化されることもない。
夢の中で、ああこれは夢だなと気づきながら、そのストーリーが気になって夢を見続けたくなるのは珍しいだろうか。映画『マトリックス』の世界観に似て、そこではできることできないことがあり、たいてい期待通りにはいかない。それでも夢の世界観に浸り続けていたくなる。夢の中の話を細かく憶えていることは滅多にないが、ごくたまに夢の中の設定が気になってあれこれ考えてしまうことがある。
今回もそうだった。役場工事から声をかけられてプロの作家になれるかもと期待した二つのネタ。その記憶を糸口に、崩れ行く世界を強引にとどめようとかなり補修しながらこうして記事にしている次第である。
夢のからくり
どうしてこんな夢を見たかについては思い当たる節がある。ガンプラを購入する前に観た映画『すばらしき世界』の影響だ。
(上は 購入したガンプラで遊んだ記事)
映画での彼の演技に息を飲み、彼はどんな役でも見事に演じるのだと改めて思った。それがベースとなり、私の人生で一番美味しかったものを食べる姿を演じてもらいたかったのかも知れない。
それにしても私の人生で一番おいしかったものとして浮かんだアイデアが微妙過ぎた。
ニンジン入りハンバーグ
候補に上がった食べ物の一つはブログ記事にしたこともあるニンジン入りのハンバーグだ。でも、それを人生で一番美味しいと思うはずがない。記事を読んでもらえたら自ずと分かるはず。なのに、なぜ思いついたのかすらひっかかる。
ニンジン入りと知った驚きを演じて欲しかったのだろうか。
シイラの刺身
もう一つはシイラの刺し身。こちらは、人生で一番おいしかったと言えない訳でもない体験である。
シイラは釣って時間が経つほどに味が落ちていくと言われるが、食べたのはホエールウォッチングに向かう漁船の上。船長が釣りの仕掛けをしてクジラを探索していたら、運良く掛かったのだ。すぐ釣り上げてバンバン跳ね回るシイラをあっという間にさばいて振る舞ってくれることになった。
近くの漁船に連絡して醤油を分けてもらう。ワサビは無し。シイラはすぐ臭くなるとも聞くので少し不安がよぎる。一緒に乗船していた他の客もいるので一人当たり人3切れくらいかと計算して、一つ食べてみることにした。
青黒い海原の上、新鮮で透き通るような身は夏の日差しを跳ね返しキラキラ輝いて見える。人数分の割り箸は無かったので、指でつまんで醤油をつけてぱくり。
これがとても美味かった。すぐ捌いたせいか臭みは全く無い。コリコリする様な硬さというより弾力が楽しい上にけっこう甘い。私の知る鯛の刺し身の甘味を凌駕していた。一人3切れしか食べられないのが残念だ。
しかし、他の客は船酔いをしているのか、シイラという魚に馴染みがないのか、あまり手をつけようとせず、半分程も残っている。これは幸運だとこのまま捨てるのは船長さんにもシイラにも悪いと思い、残りを食べてもいいかと尋ねてみると、是非どうぞとの返事だったので、遠慮なくバクバク食べた。
あの時の私を演じて欲しくてあんな夢を見たのかも知れない。それでも、この一品で私の人生を描くのは難しいと思う。美味しかったのは確かだし、理想の食材を考えるときによくこのシーンを思い出すのだが、何のことはない、美味しいものを独り占めして喜んでいるだけにも思う。
人生で一番美味しかったもの
ここで、一番かどうかはともかく、とりわけ美味しかったと思うものを並べてみる。
(ほぼ時代の古い順)
- 大学時代の豚焼き定食
- とれたてカツオのぶつ切りみそ汁。
- 獲ってすぐ持って帰ったキスの揚げたて天ぷら
- 酔っぱらった漁師さんが不意にやってきてふるまってくれた甘えび踊り食い
- きびなごの刺身と天ぷらの食べ比べ
- 何度となく通った豚骨ラーメン
- マグロ5種類のトロの刺身食べ比べ
- 山の町で強引に連れていかれた店のツガニ汁
- あん肝のもみじおろしポン酢
- 米沢牛の牛タン
- 富士五湖の一つ西湖畔の店のマス味噌(詳細はこちらを参照)
- お気に入りの店で今日の一番と勧められたシマアジの握り
- 実家の年末恒例おでん、春菊つき
- 讃岐うどん巡りで出会った醤油うどん、近所の店の醤油うどん
- ハモと松茸の土瓶蒸し。
- 戻りガツオの皮つき刺身
- キャベツとピーマンの火加減が絶妙な回鍋肉
- 肉の味に目覚めたフィレ肉ステーキ
- アワビの踊り焼き、活け造り、蒸し焼き食べ比べ
- 漁港にある店のキンメダイ煮つけ
- 3種の焼き方を経たローストチキン
……
とりあえず、思いつくままに並び替えてみた。
全体的に見ると私の場合、海産物が多い。
また、旅先で出会った味の多いこと。3、4、7、9、10、11、14、18、19、20、21の11個、過半数に及ぶ。上記のシイラの刺身もいわば旅先の話だ。
どうやら食べ物そのものの味だけでなく、食べるまでの過程や食べた後のことなども大きく影響しているように思う。人生で美味しかったものとは、食材だけでなくその人生そのものも噛み締められるものと言えるかも知れない。
今更ながら、役場工事のアイデアに感心してしまった。って、私の夢の中の話だが。
高校時代の美味しかったもの
残念ながら上記の中に高校時代の物はない。高校時代の一品を敢えて挙げるならこれになるだろうか。
それともこちらか。
友だちの家でふるまってもらったサンドイッチもいいかも。
と、ここまで書いて、これらは美味しかったというより心に残った食べ物に思う。食べ物の味より、高校時代は見た目や思いの方が優先されるようだ。
(20230402:追記)
高校時代の美味しかったものに追記しておく。
受験仲間の住む街で食べたとんこつラーメンがあった。
結局のところ
夢で思いついた二品より美味しかったと思うものはたくさんある。
山梨でのマス味噌
11.の山梨でのマス味噌を私が「うまい。」「うまい。」と『鬼滅の刃』のように連発していたとき、経営する夫婦がニコニコして私を見ていた姿が忘れられない。ブログ記事にもしているので興味ある方はどうぞ。(詳細はこちら)
漁師さんが不意に出してきた甘えび踊り食い
4.の「酔っぱらった漁師さんが不意にやってきてふるまってくれた甘えび踊り食い」なんて、深夜フェリーの待合室のことで、酔っぱらいの漁師さんを見て他のお客さんはあれよあれよと居なくなっちゃって、私一人が確保されてしまった。
食べきれないから一緒に食ってくれというが、竹のざるの上で、甘えびがうようよと這い回っている。でもざるから出るだけの元気はない。動いているのを食べるのに躊躇していたら、殻のむき方も教えてくれた。頭部をちぎって、身体から3番目の殻から上を剥はいで軽く噛む。それから尻尾の先をつかみ、絶妙な力加減で引っ張るとするりと身が抜けるのだ。その身をちゅるるっと吸って口に入れる。
詳しく憶えているのには理由がある。まず、これがたいそうな美味しさであった。ぷりぷりのエビと違ってうま味が口内全体に絡まっていくような、ややねっとりした感じでいてしっかり甘みがある。上手く吸い取れた時の方が美味しく感じるのは、噛んだ時の旨味の広がり方にあったかもしれない。
手が止まらず、何度も失敗しながらも成功回数が増え、食べに食べた。動いていないのは別の料理に使えばいいし、生で食べてもそんなに美味しくないと言う。要は、生で美味しいのだけ食べて欲しいとのこと。えびもできるだけ美味しく食べてもらうのが一番の供養になるから、少しでもきちんと選別したいなんてことを赤ら顔で熱く話してくれた。
何匹くらい食べただろう。竹で編んだ直径30~40cmくらいのざるにいっぱいあったのが二人で半分くらいになるまで食べた。酔った叔父さんの声は大きかったが、私が美味いというほどに豪快に笑っていた。そして、これくらい食べたらいいかと漁師さんは立ち上がり、去っていった。
閑話休題
いけない、書き始めると全部に解説を加えたくなりそうなので、ここまでにしよう。
言いたかったのは、本当に美味しいと思ったら、人はそれを伝えたくなるということだ。
敢えて結論
ここで「(シイラの刺身を一人バクバク食べていた)あの時の私を演じて欲しくてあんな夢を見たのかも知れない。」という前言は撤回する。「あの時、食が進まなかった人にも、あの美味しさを知って欲しかった」のだと思うことにした。まあ最優秀賞も映画化もとてもとても無理な話ではあるだろう。
きっと、誰にも伝えたくない美味しさなんてこの世に存在しない。
もしかしたら、こんなに美味しい物を誰にも食べられたくないと思う人はいるかも知れない。食べられたことをただただ悔しく思うことだってありそうだ。でもそこでは美味しい物を共有した者同士だけが知る互いの人間味という隠し味は楽しめない。
無表情な顔や沈んだ顔より、笑顔がそれをさらに美味しくさせる。
きっと、人間はそれを本能的に知っている。
だから、人は食べ物を紹介する情報を求めるし、発信し続けるのだろう。
美味しいものに出会いたい故、人の笑顔を見たい故に。
美味しさの追求が人生の最大目標とまでは言わないが、人生の辛酸甘苦を味わっている人ほど、一番の美味しさを味わえる気がする。
まだまだ美味しい物を味わう人生を続けていたい。