tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

授業19.『卒業』には笑顔が似合う

高校の卒業式はどうだったろうと気になって、当時の映画手帳を見た。

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高校時代の映画手帳 日記代わりのメモも書き込んでいる

ほぼメモ書きなのだが、そう言えば…と思い出せたこともあった。一部抜粋の上、いくらか言葉を補ってここに載せることにした。

1984年3月8日木曜日)

みんなと久しぶりに会った。卒業式では「仰げば尊し」を歌った後、笑いかけていた。

一人で昼食をとった後、クラスのさよなら会に出た。フルーツバスケットなどをした。Y先生にお土産を渡し、お礼を言った。その後、卒業アルバムをもらった。

 

以下、誤解を招かないよう幾つか釈明しておこう。 

 

「笑いかけていた。」

という一文に、私らしさが満載で苦笑してしまった。

でも、確かにそうだ。達成感や解放感に近いものを感じて笑いそうだった。小学校でも中学校でも同じような心境になった。

「お別れするのは悲しい」という人がいるのは承知しているし、その気持ちもある程度は理解できるのだが、その別れも乗り越えて卒業なのだという思いが私は強かった。

 

実はこの時点で合格した大学は無かった。結果発表待ちの大学も合格は無理だと確信があった。それでも「笑いかけていた」のだから私らしい。未来のことはわからないが、卒業する今は胸張っていいはずだ。そんな感じ。ただ、下を向いて笑いをこらえていたような気もする。

 

あ、そうだった。

あの時、笑いをこらえながら大学入試の面接を思い出していた気がする。

「大学を卒業したらどんな人になりたいですか。」

「周りからいい人と思われるように・・・」

「いい人というのはお金持ちということですか。」

ぷふっ!

笑ってしまいそうでうつむいたものの、こらえきれず鼻で笑ってしまったのだ。

面接官と私の「いい人」のイメージに差があり過ぎた。

面接官にかなり悪い印象を与えただろうなと思いつつ、「いい人=お金持ち」という安直なイメージを持つ人の下で学びたくないとも思った。

もっとも、面接官は私を試すつもりで、私の話を遮りそんな話に持っていった可能性はある。

 

「みんなと久しぶりに会った。」

説明する順序が逆になるが、実は卒業式の前日に卒業式の予行があった。私はこれに参加しなかった。というより、できなかった。

前日3月7日は、遠方の大学入試から帰ってくる途中だったからだ。

先述の「ぷふっ!」とは別の大学で、後に不合格が通知が来るのだが、とてもいい経験になっている。まぁ、それは別の話。

 

そんな訳で、一ヵ月以上ぶりに会う人も多かった。卒業式の流れもほとんど分かっておらず、ただ周囲に合わせて立ったり座ったりしていたように思う。卒業証書が壇上で一人一人に手渡されたのかさえ記憶にない。人数が多かったので一括して代表に渡しただろうと思っている。

 

一人で昼食、クラスのさよなら会、フルーツバスケット

一人で昼食にしたのは、他の人が一緒だと受験結果の話が出そうで避けたのだと思う。私は合格がゼロだったが、いくつも合格している人もいる。入試結果の good と bad のコントラストが強すぎるタイミングだった。

 

クラスのさよなら会でフルーツバスケットになったときも、受験合否に関するお題は無しになっていたように思うが自信は無い。

また、この時の余興だったかははっきりしないが、一人のクラスメイトが『トラのパンツ』を歌って踊っていたのが思い出された。

「とら~のパンツはいいパンツ~」と真顔で真面目に体操をするように歌っていた。その真面目さと歌詞のくだらなさのギャップがやたらと可笑しかった。笑い過ぎてひぃひぃ言っていたようにも思う。

これが本当にさよなら会でのことだったなら、今更ながら、そのセンスに感心する。この記事のタイトルを「『卒業』には笑顔が似合う」とした理由の一つは、ここからきている。次のステージに進むには、やはり笑顔がふさわしいと思う。

 

Y先生にお土産を渡し、お礼を言った。

共通一次試験を終え志望大学を決めた後で、歌唱の試験もあるとわかった。楽譜を見て階名で歌うのだったと思う。しかし高校時代、芸術で美術を選択した私に音楽は縁遠い。クラス担任に相談したところ、なんと個別に授業のない日に教えてもらえることになった。それも若い女の先生で、嬉しいやら申し訳ないやら恥ずかしいやら。

 

指導してもらった日数や時間は不明だが、喉を傷めないように水分補給の休憩をしながらだったから、一回に1時間以上は練習していたように思う。指導の詳細は省くが、かなり熱心に指導してもらった。音痴に自信があったから、美術を選択した私である。かなり手を焼かせたはずだ。

 

そうした経緯があるので、やはりきちんとお礼を言っておきたかった。どんなお土産だったか憶えていないが、センスのない私であるから、もらっても困るような類だったはずだ。さらに、受験の手ごたえを聞かれて「不合格だと思います。」と、なんとも情けない、申し訳ない話をしたように思う。

 

何から卒業できたのか

手帳にはわずかなメモしかなかったが、それを手掛かりに予想以上のことを思い出せた。我ながら感心する。卒業式で笑いかけたことと入試の面接が繋がったのも面白いと思った。

 

ところで、高校の卒業式で何から卒業できたのかを今一度考えてみた。

尾崎豊は『卒業』で「この支配からの卒業、闘いからの卒業」と歌った。かつてなら、ある程度の共感もあったのだが、今は高校時代を支配されていた時代と片づけるのに違和感がある。

 

このブログを始める前、高校時代は受験に追われただけの無意味なもののように思っていた。しかし、ブログを書き始めてみると、無彩色に思えた時代が実はけっこういろんな彩に覆われているのだと気がついた。

 

まるで人生の綿埃のようだ。綿埃は一見、灰色である。しかし、その絡まった繊維を細かく見ていくと、そのほとんどは何某かの色を帯びている。遠目にはどう見たって灰色でも、それを作り上げている一つ一つは単純な色ではない。

 

高校に規則や制約も多かった。世間からの「進学校の生徒ならこうあるべきだ」という応援や叱咤激励、同調圧力もあった。

そんながんじがらめの拘束の中で、周りが求める高校生になるしかなかった人もいれば、反発し続けることで自分らしさを主張した人、のらりくらりと捉えどころのない私みたいな人もいた。

いろんなカラーの生徒がいたはずだが、総体として灰色の綿埃のように感じられたとしても不思議ではない。

 

そこではある意味支配されていたのかも知れないが、それによって学習の時間や成果が保障されていたようにも思う。確かに自由に遊べなかったかもしれないが、努力次第では自由に進学が可能になったとも思う。

高校1年の初めての三者面談で大学進学は無理だと言われた私が、一浪したとはいえ進学できた。それは支配されていたからではないはずだ。むしろ、先生の言葉と闘ったのだとも思う。

 

私にとって卒業は、支配とか闘いとかの大義名分は無くていい。単に高校から卒業できたという事実だけで十分だ。

苦しくもあったが、楽しくもあった。自由もあったが、拘束されてもいた。無彩色な時代に見えるが、いろんなカラーが確かにあった。

そんな時代と空間を抜け出られた爽快感がある。

だから、『卒業』には笑顔が似合う。

  

 

 

今週のお題「〇〇からの卒業」

 

注:卒業式は授業ではないが、正規数の授業を受けたから卒業できたとして、「高校の授業」カテゴリーとした。

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<余談 尾崎豊の『卒業』について>

記事中で、

尾崎豊は『卒業』で「この支配からの卒業、闘いからの卒業」と歌った。

と書いているものの、『卒業』はそんな単純は歌ではないとも思っている。ここで、そのことにも触れておくことにした。

 

尾崎豊の言う「支配」

尾崎豊の『卒業』の舞台は高校だとは思う。ただし、彼は色々な経緯の末に高校を中退している。そこにはいろんな校則や社会慣習による壁、罠にも似た勧誘があったとも聞いた。だから、ここでの「支配」は単に学校による支配を歌っている訳ではないと思う。恐らく学校で何かに支配されていると気づき、学校に支配されているというニュアンスを持たせつつも、結局は世の中全体の支配を歌っていたはずだ。

 

歌詞の後半部分にはこんな言葉がある。

「先生、あなたはか弱き大人の代弁者なのか」

先生は、代弁者で会って直接に支配をしているわけではない。要するに別に黒幕がいて先生を動かしていると見抜いている。ここに「窓ガラス壊して回った」以上の衝撃があった。先生や学校を敵としているわけではない。だからこそ、「俺達の怒り どこへ向うべきなのか」と問いかけ、さらにこう続けている。

 

「これからは何が俺を縛りつけるだろう」

卒業しても、支配から逃れられないことを予感している。学校外にも支配があることを見抜いている。

 

「あと何度自分自身卒業すれば 本当の自分にたどりつけるだろう」

これがこの歌の肝だと私は考えている。尾崎豊が求めているのは純粋に「本当の自分」であって、怒りを向けるべき矛先でもなければ、俺を縛りつける奴の正体でもない。自分の力で得た卒業でなければ、どんなに何かから卒業しても、本当の自分にはたどり着けないという意味だと思う。

そして、本当の自分に辿り着くための第一歩として、彼の自由な活動を許さなかった支配や、賛否あったろう意見との闘いから「卒業」すると決意したのだろう。

 

結局、時間が経てば卒業できるシステムにはあまり価値を認めず、自分の力で人生を切り開くための卒業にこそ価値を見出したという歌が『卒業』だと思う。