tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

私と煙草(3)禁煙でも断煙でもない今後のこと

告白します。まだ禁煙すると決めたわけではありません。でも、いつまでも喫煙し続けるつもりでもありません。そんな揺れ動く思いを持つ喫煙者の気持ちを書いてみました。 

 

喫煙への風当たり

大学生になってから、未成年の煙草だけでなく、少しずつ成人の煙草への批判も出てきました。私自身が高校時代に科学雑誌で煙草の害を知ったくらいですから、それは当然だろうという思いもありました。一方、知らずにいた煙草の害に気づかされることも多かったです。

 

 

※この記事は『私と煙草(2)喫煙、勝ち煙草、節煙休煙、本格再開』の続きです。

大学の講義

チェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年4月26日。その年の夏、大学の集中講義(夏休みなどを利用して数日で一気に単位が取れる講義)で煙草の害の話がありました。その時はまだ禁煙派でしたが、嫌な感じを持ったことは憶えています。科学的、医学的な煙草の見解に異論はなかったのですが、講師の話によれば、煙草は原発より深刻な問題だというのです。話の筋としては、日本の原発も安全性が確立できていない問題があるが、事故がなければ特に被害はない。でも煙草は、毎日、主流煙が喫煙者の体に悪影響を与えるだけでなく、副流煙で周囲の者にも被害を与え続けている。だから原発より悪いという感じの論調でした。

 

ある意味、正しいのでしょうが言葉の節々に棘というか悪意を感じました。世界が注目する原発の問題を引っ張り出してきて、それより煙草の方が問題だと脅すような論調が不快に思えたのです。それなら車の排気ガスはどうなんだとか、工場などによる大気汚染、水質汚染はいいのか等、反発がありました。その後も、誇大した嫌煙論に出会うことがありましたが、煙草以外の問題を軽く見てしまいそうで、疑問が残ります。

 

それでも、副流煙の害には納得して、喫煙者は周囲への配慮をすべきという思いには繋がりました。

 

ゴミの中に吸い殻がたくさん

大学祭の手伝いだったかで、大学構内の掃除をしたことがあります。そのゴミの中に吸い殻がずいぶんと多いのには驚きました。ぱっと見で歩道の上にポツポツ落ちているくらいに思っていたのですが、それはまだ新しい吸い殻で白さが目立つ状態の物でした。

雨や露、土埃などで汚れるほどに黒ずんで、土やアスファルトが保護色になって目立たなった吸い殻が、白く新しい吸い殻の陰で増え続けているのだと知りました。

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アスファルト上の新旧吸い殻 イメージ

既にもらい煙草をしていた頃でしたが、吸い殻のポイ捨てはしないと決めた要因となっています。

 

父の実家近くの様子

父の実家の周りには幾つか煙草畑がありました。子どもの頃は自分の背より高く、顔の何倍もある葉の大きさに驚いたものです。でも、いつごろからかその畑が別の作物に変わっていきました。最近では全然見当たりません。

 

葉煙葉の種類は不明ですが、県全体の数字として平成12年(2000年)に222haあった耕作面積は、令和2年(2020年)に127haまで減っています。

葉煙草は収益性が高い上、値段の変動が少なく収入の安定した作物だそうです。他の作物と違い、JTが全部を買い取るシステムのおかげで作り過ぎによる廃棄等が無いというのが大きな理由のようです。決して楽に作れるという話ではありません。

 

煙草自体の需要が減っているのですから、生産量が減って当然なのですが、子どもの頃と違う風景に少し残念な気もします。

 

煙草の銘柄と価格

初めて自分で購入して吸った銘柄は、マイルドセブンライトだと思います。もらい煙草をしていた時、先輩や友人に吸っていた人が多かったからでしょう。価格は180円だったと思います。その後、バニラビーンズの風味があるキャスターマイルドも楽しむようになりました。

 

価格は1989年の消費税導入やたばこ税の増税などで、徐々に値上がりしていきます。大学を卒業してすぐに220円になりました。その影響もあって、新銘柄のハイライトマイルドが200円と安かったのでメインに吸うようにもなりました。ただし、ハイライトマイルドを売っている店が少ない上売り切れも多く、他の銘柄を吸うことも多かったです。 

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キャスターマイルドとハイライトマイルド イラスト

上記の二つの銘柄は今はありません。マイルドセブンシリーズはメビウスシリーズとなり、2021年3月時点で一箱540円です。180円時代の3倍。高くなったものです。

 

以前は1日10本までのルールでしたが、最近は経済的な理由も加味して3日で1箱(20本)が目安になっています。

 

喫煙マナー

喫煙マナーの話をすると、そんなことに気を遣うより吸うのをやめたら?と一蹴される時代になりました。今は個々人の禁煙というより、社会全体で脱喫煙に向かう時代です。喫煙マナーなんて既に無意味なイメージが付きまといそうですが、このブログは「人生に無意味な時間は無い。」の立場なので、幾らか書いておくことにします。

 

吸い殻のポイ捨てはしない

外で吸った時も、吸い殻のポイ捨てはほぼしていませんでした。灰皿がない場所では靴の裏に火を押し付けて消し、ひとまず煙草のパッケージのフィルムの中に収め、灰皿を見つけてから捨てるなどしていました。  

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吸い殻をポイ捨てしない

ただ、散った火の粉を避けようとして、うっかり吸い殻を側溝のふたの隙間に落としてしまったことがあります。また、吸い殻でなくとも煙草の灰には気が回らず平気でいたことを後に反省したこともあります。

 

換気と喫煙場所

大学

学生時代は周りで喫煙者も多く、あまり気にせずに研究室でも吸っていました。ある深夜、研究室にこもって卒論を書いていると、友人が来て「煙がすごい」と言われました。そこで初めて、霧のように煙が充満しているのに気づきました。直ぐに窓と扉を開けて換気。部屋が外気より暖かかったからでしょう、冷たい空気が流れ込み程なく霧のような煙は消えました。その後、ある程度の時間が経つと研究室の換気を意識するようになりました。今、大学は敷地内全面禁煙となっているようです。

実家

一人暮らしをしていた頃は自分の部屋で吸うことに抵抗がなかったのですが、帰省した折には、窓を開けるか、外で吸うことにしていました。煙草を吸わない両親は、冬は寒いので窓を閉めて中で吸えば良いと言ってくれたのですが、かつて煙草嫌いだった頃、煙の匂いが嫌だった記憶もあったので、吸うときは、両親と離れ別の部屋で一人、窓を開けて吸っていました。正月の帰省では、立って吸います。盆の帰省では座って吸います。そうする方が、煙が外に出ていきやすかったからです。最近は、自宅でも実家でも、夏でも冬でも玄関の外で吸うようにしています。

職場

働き始めた頃、隣の席の先輩から自分の席で吸うように言われたことがあります。気を遣わなくていいからという気遣いからだと思いますが、言われた通りにしていました。でも、異動で職場が変わってからは、喫煙場所か外で吸うかになっていきました。

禁煙席から喫煙席、全面禁煙への流れ

1990年代に入り、喫茶店やレストランでは禁煙席が増えていきました。当初は、喫煙可能の席より禁煙席が少なかったのですが、分煙の流れは拡大し、いつの間にか喫煙席の方が少数になっていきました。

 

2000年代になると、JRの喫煙可能な車両は激減、さらに喫煙室以外禁煙、やがて全席禁煙となっていきました。一部の駅の喫煙場所はホームの遠い場所にポツンとあるだけ。歩いていくのが面倒という思いはありませんでした。むしろ、乗り換えの待ち時間、周りに気兼ねなく吸える場所として重宝していた感じです。でもそれも、2010年頃には駅構内全面禁煙が普通になっていきました。

 

飲み会でも、喫煙の際は場所を変えるようになりました。以前なら、喫煙派が多かったのですが、徐々に禁煙派が増えて吸いづらさが出てきました。

外で吸うのも気兼ねする

マンションなどでのホタル族(ベランダに出て吸う)も嫌われるようになったそうで、絶滅危惧種として名があげられることも。

街中の歩き煙草は見かけなくなり、公園など灰皿のある場所で吸う人が集まっていることが増えました。でもその後、公共の場での喫煙をしないように灰皿が減っていきます。煙草を売っているコンビニでも、コロナ感染予防として密集を避ける理由から灰皿を撤去する事例も多くなった気がします。

 

社会全体で脱喫煙に向かう時代

かつて、私に煙草を勧めた友人も「まだ吸ってるの?」と言うようになりました。映画やドラマでも喫煙シーンは激減。歌詞にも使われなくなりました。度重なる値上げ、喫煙が可能な場所の縮小等、禁煙の流れは強く広範囲に及び、いろんなタイミングで禁煙を勧められます。

 

ブリンクマン指数

高校時代に知った「吸った本数が20万本より少なければ、発がん率はそれほど高くはならない」を言い訳にしていますが、2000年頃からだったか煙草を吸った量の目安に喫煙指数(ブリンクマン指数)が言われるようになりました。「1日に吸うタバコの本数×喫煙している年数」が400を超えると肺がんリスクが高まるとされます。

1日10本とすると40年で400です。本数に直すと、10本×365日×40年=14万6000本となり、当初の知識より発がん率が上がるのが約5万本減った計算です。

 

今は1日に7本程度になっていますが、累計言えばで10万本は超えてそうですが、15万本には届いていないはず。ブリンクマン指数で言えば300超えた辺りでしょうね。400になるまでは吸うと決めたわけではないですが、ひとまず当面まだ大丈夫かなあ?なんてことをぼんやり思っています。

 

脱喫煙を目指す社会へ

ブリンクマン指数は、喫煙者本人のリスクを数値化したものですが、今後、吸う人を抱える社会や家族のリスクなどが数値化されるかもと気になってます。なんとも気が落ち込みそうですが、それはある意味仕方ないでしょう。というより、むしろ、そういう方向であって欲しいです。喫煙者がいる現状で一気に禁煙を押し付けるような方向に進むことは避けて欲しいです。ひとまず、脱喫煙を促す方向で、やんわりといて欲しい。そんな思いです。たくさんやめるべき理由があれば、やめやすいと思うのです。

 

それは、リスクを知っていながら、なお吸い続けている者の身勝手な話かもしれません。でも、リスクを小さくして自分のタイミングで吸い始めたように、過大なリスクにならないうちに自分のタイミングで終えたい気持ちがあります。それがあまりに遅く、ブリンクマン指数の400や、自分のリミットとした累計20万本を超えるとなると話は別ですが、今は強要や悲壮な決意による禁煙や断煙ではなく、静かに終える終煙にしたいなと思っています。

 

 今週のお題「告白します」 

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<余談 記事を書き終えて>

ひとまず「私と煙草」について思っていたことを3回に分けて記事にしました。

正直な話、禁煙の風潮を強く感じる中で書きづらかったのですが、書いて少しすっきりしました。

私を含め、喫煙者の多くは幾らかの後ろめたさを感じていると思います。でも、その気持ちをきちんと話す機会、聞いてもらえる機会はまずありません。話そうとしても、結局「煙草はやめた方が良い」で打ち切られることが多いですし、実際、やめた方が良いのは確かなことなので、話しづらさがつきまといます。

 

「盗人にも三分の理」ではありませんが、なかなか踏ん切りをつけられないことってあると思います。賭け事、飲み過ぎる習慣などの依存症と共通する部分もありそうです。

 

もちろん、ある日突然、やめることを否定するものではありませんし、場合によっては不可避的に止めざるを得ないことだってあるでしょう。でも、なるべく自分のタイミングを大事にしたい、そんなニュアンスを私の喫煙記録とかねて記事にしておきたかったのです。長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。