tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

音楽16.『傘がない』(井上陽水)と『前夜(桃花鳥)』(さだまさし)

「都会では自殺する若者が増えている

今朝来た新聞の片隅に書いていた」

 1972年7月1日にリリースされた『傘がない』(井上陽水) は、ショッキングな歌い出しです。

 

実は、歌を知ったきっかけは、1982年12月11日にリリースされた、さだまさしのアルバム『夢の轍』に収録された『前夜(桃花鳥)』でした。

 「桃花鳥が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に

写りの良くない写真を添えた記事がある」

※「桃花鳥」の読みはトキ。学名は「ニッポニア・ニッポン

 

社会問題を歌にしていたのが印象に残りました。「ニッポニア・ニッポン」は、小学生か中学生のいつだったかの国語の教科書に載っていた話でした。人間の身勝手により、美しい鳥が絶滅させられつつあることに憤っていたのに、いつのまにかそれほど気にならなくなっていた自分を批判されている気がしました。

 

この歌を知った後、かつて社会問題を同じように取り上げた歌として『傘がない』をラジオで聞いたのです。「新聞の片隅」がどちらの歌にもあり、関心を持ちました。当初、どちらも社会問題を歌にした隠れた名曲という感じでした。

 

『傘がない』の続きの歌詞はこうです。

 

「だけども問題は今日の雨 傘がない

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ

つめたい雨が 今日は心に浸みる
君の事以外は考えられなくなる
それはいい事だろう?」

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『傘がない』のイメージ

 

『傘がない』発表当時は、一時期世間を席巻した大学紛争が混迷を深めていき、あさま山荘事件等で大きく流れが変わった頃。また、学生がエリートからノンポリに変遷していった頃とも言えるかも知れません。当時小学2年生だった私にその辺のことがわかるはずもなく、そもそも、『傘がない』の歌も知りませんでした。

 

でも、中学生の頃には、「神田川」、「赤ちょうちん」(かぐや姫)等、いわゆる「四畳半フォーク」を知ります。また、松本零士の漫画『男おいどん』も知っていました。そうした記憶に、高校時代に知った『傘がない』もすんなり入っていきました。傘がない人達が、赤い手ぬぐいをマフラーにして銭湯に行き、月に一度の贅沢として赤ちょうちんで酒を飲んでいたのだろうとなりました。

 

「『いちご白書』をもう一度」(バンバン)の

「社会を変えるつもりで闘争に加わった学生達は、生活のために会社の歯車となり、彼らは皆何らかの敗北感を持っていた。この歌は挫折感を抱えた同世代への鎮魂歌なんです」

(by 「『いちご白書』をもう一度」wikipedia

といった話も聞いたことがあったように思います。

エネルギーの行き場を失った若者と同じように、私もノンポリ学生になるのかな?なんてイメージでした。「大学に行ったら思う存分遊ぼう」と冗談半分に友人と話していた記憶もあります。

 

『前夜(桃花鳥)』の続きはこうです。

ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥がたぶん

僕等の生きてるうちにこの世から姿を消してゆく

わかってる そんな事は たぶん
小さな出来事 それより
君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり
I'm all right I'm all right
それに僕は君を愛してる それさえ間違わなければ」

 

私の主観でしょうが、『傘がない』は、目標を見失い社会問題から逃避しているという感じ。『前夜(桃花鳥)』は、社会問題が気になりつつも、目の前の幸せが優先と言い訳をしているという感じです。

 

しかし、高3の時に、そんなイメージががらりと変わりました。ロッキード判決です。

 

また、比例代表制ドント方式)導入で話題になった一票の重みや死票のとらえ方も影響を受けました。

 

政治や社会問題は、逃避や言い訳をして見過ごしていい話でないと。社会には何の影響も与えられないかも知れないが、何かを考えることは自分に大きな影響があるーー。

 

そう思うようになって、『傘がない』の歌詞が

「君の事以外は考えられなくなる それはいい事だろう?」

と疑問形になっていること、『前夜(桃花鳥)』の歌詞が

「たぶん… それさえ間違わなければ」

 と、言い切りになっていないことの意味を考えるようになりました。

 

いつしか『傘がない』の真意はこうじゃないかと思うようになりました。

無い傘は差せないが、ぬれる覚悟さえすれば大事な人と会うことに何の問題もない。

ぬれるとは、社会に打たれることじゃないかーー。

 

一浪後に進学した大学で、ノンポリ学生にはならず、それなりに学習できたのは、高校時代のこうした影響も大きかったのだろうと、今は思えます。むしろ最近まで高校時代を、社会に対して「無気力・無関心・無責任」な時代として決め込んでいたことが不思議なくらい。個々について拾い上げて考え直してみると、既に今の自分に欠かせない要素はたくさんあったと思うのです。

 

 

今週のお題「傘」