tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

遊び31.なぜ、空気より重い水でできた雲が、空に浮いているのだろう?

小雨降る中、合羽も着ずに自転車をこいでいる時のこと。

坂道を登りながらこう考えた。

雲は水でできている。水は空気より重い。では、何故、雲は浮いているのだろう。

答えは簡単だ。雲はゆっくり落ち続け、やがて雨になって地面に降り落ちるのだ。

遠くまでどんよりと重く広がる雨雲、そこから降る雨。

雨が空気より重いから、今、私はこうしてじっとり濡れているのだ。

 

堤防を登り切り、自分で出した答えに満足して、橋を渡る。そして下り坂。

待てよ。晴れた日でも雲は浮いているし、雨を降らさぬまま雲が消えることもあるではないか。雨と風を浴びながら、その先の視界は急に悪くなる。

 

「なぜ、空気より重い水でできた雲が、空に浮いているのだろう?」

順を追って考えれば、難しい話でもければ、既に知っていることから答えは出せた。

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何故、空気より重い水でできた雲が空に浮かんでいるのだろう?

雲は小さな水の粒でできているが、かなり小さいので上昇気流によって上に上がっていく。上昇気流と自らの重みの均衡がとれた場所に雲として浮いて見えているのだろう。そして均衡が崩れた時、雨となって降ったり、水蒸気となって見えなくなったりするのだろう。

 

しかしーー。

本当にそうなのだろうか?もし、そうなら、どんな条件で均衡が保たれるのか?

頭で理解はできるのだが、どうにも納得しかねる気がして、疑問を持って以降、何度となく空の雲を見るようになった。いや、雲というより、空気中にある水と言った方が良いかも知れない。浮いている雲の下や上には見えなくとも水蒸気があるはずだ。

 

小学校の理科で、水は100℃になると沸騰し、水蒸気になると知った。でも、やかんの口から少し離れて白い煙のようにみえるのは湯気で、やかん口から湯気までの見えない部分が水蒸気とも聞いた。水蒸気は目に見えないが、水蒸気のあることはその影の揺らぎで見ることができるとも。

このとき、水蒸気はかなり高温なのだなという印象を持ってしまった。そして、水蒸気が冷やされると湯気になる。湯気と聞くと熱いと思いがちだが、霧も雲も湯気と同じなのだとも聞いた気がする。

 

中学で雲の種類を知った。種類によってできる高さが違うことも知った。何かのドキュメンタリーで、アフリカのどこかでは、雲ができて雨が降っても、地面を濡らす前に蒸発してしまうという話を知った。富士山のずっと同じ位置に止まったままの吊るし雲が不思議だった。

 

高校の近くに小さな川が流れている。朝の通学時に、川面の上に霧が浮いているのを見たことがある。それも湯気だと思い出し、一瞬、夜の間に川が沸騰してできた水蒸気が冷えて霧になったのかもと想像した自分を笑ったことがある。

 

どうにも知識というものは、何気なく並べている内に、とんでもない想像を起こすらしい。正しい知識は常に正しい答えを導いてくれるような錯覚を起こしてしまうが、一つ一つの知識が正しいかどうかのみならず、正しく機能する条件下にあるか、また、並べ方や繋げ方が正しいか等、それらを全てクリアしてようやく正しさが効果を発揮するのだろう。

 

「雲は水でできている。」「水は空気より重い。」その知識だけで雲が浮くことを説明するのは無理だ。そこに「雲を作る水はとても小さな粒で風に流される」とか「上昇気流によって上に上がる」とか「上昇して冷えた水蒸気はやがて小さな水の粒になり雲として可視化される」と知ったかぶりしても、私には多様な雲の姿を説明できそうにない。

 

地上近くから天頂まで伸びそうな急成長をする雄大積乱雲のすぐ横で、ちょこんと浮いてるだけのこんもりした積乱雲。二つの違いは何か。

 

雲一つない青空に、まっすぐ伸びて行く飛行機雲。その様子を美しいと思いつつ、快晴に見えている空は既に水蒸気が飽和状態で、気温がほんの少し下がればたちまち小さな粒になり、広がる雲となって姿を現すんじゃないか。快晴の中で飛行機雲が伸びる条件とは何だろう。逆に雲のある空で、飛行機雲ができない条件とは何だろう。

 

川面すれすれに浮く霧を「水蒸気は目に見えない」や「水蒸気の上、目に見えるのは湯気」「水は100℃になると沸騰し、水蒸気になる」などの知識から上手く説明ができそうにない。ふと思う。川面の霧は川面に雨を降らすことは無いのだろうか。いや、それより、雨と霧と雲の違いとは何だろう?

 

昼下がりのドライブ中、山肌の緑からうっすら霧が立ち上っているのを見る。植物の息吹かと思いきや、霧はだんだんと濃さを増し、いつしか覆われてしまった。フロントガラスを濡らす霧雨は降るのか、かかるのか。やがて霧を抜けて展望台から見下ろした時、さっきの霧を雲海と呼ぶ不思議。

 

上昇気流はその水蒸気も押し上げていると思われる。上昇気流に水の粒が押し上げられて雲は浮くと言う。しかし、雲の下に水蒸気がなければ、その現象は起きえない。ならば、上昇気流に水蒸気が押し上げられ、冷えて可視化された部分を雲と呼んでいるだけではないか。雲は浮いている訳ではなく、見えない水蒸気に支えられてると言うのは間違いなのだろうか。

 

高校時代、坂道を下りながら思いついた私の疑問は、未だ晴れることがない。

まさに、雲をつかむような話。

しかし、そんな遊びも楽しかったと、霧の中を運転しながら思い出していた。

 

 

え?単に私が知らないだけ、気づかないだけ、わかってないだけ?

まあ、それでも構わない。

大事なのは、ああ、今自分は考えているんだなと、自分が単なる葦ではなく人間なんだと思えるだけでも、答えを探すことに価値がある。もしかしたら、答えを見つけるよりも、答えを探すことの方に意味があるんじゃないか。

 

「それだ! それだ! それが大事なのだ。」

そう思う私である。

 

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<余談 滝雲>

かつて滝雲を見た時に、疑問が根底から揺らいだ。

本当に雲は浮いているのだろうか?

↓滝雲(たきぐも)の画像

https://www.iine-uonuma.jp/wp-content/uploads/2019/11/DSC_3381-400x267.jpg

www.iine-uonuma.jp

より、画像をお借りしました。

 

 

 

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