tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

全力疾走は遠い昔、今は片足立ちで靴下を履くのがノルマ。

今週のお題「運動不足」。人生の中で一番運動したのは、やはり高校時代のサッカー部になるでしょう。普段の練習時間を2時間程度として、やや早歩きの時速5kmとしても、練習中だけで10kmは歩いた計算です。加えて自転車通学で往復で15kmほど。

 

つい最近までスマホの万歩計で1日の歩数を測っていましたが、働いている時の平均は1万5千歩程度(約10km)でした。それが退職してからは、1日に5千歩(3km強)に届かない日がほとんどでした。

 

歩く(走る)距離だけでも、高校時代はよく運動していたんだなあとしみじみ思います。その上、サッカーとなれば身体の動かず部分も必然多い上、大きく動かすことになります。体勢もバランスをとって動きますし、瞬時の動きも求められます。全力疾走は当たり前ですが、走るのが遅い私にすれば、動き出しのタイミングの見極めや、短時間にトップスピードする加速力も重要になってきます。それなのに、どれも鈍かったです。そんなこんなで、高2の時に部活を辞めました。その辺の詳細は、こちらにも少し書いています。

それでも、1日15kmの自転車通学は続きましたから、運動量はそれなりにあったと思います。

 

大学時代も自転車が一番の移動手段でした。ですから、それなりに運動しているつもりでした。しかし、運動の実技の際に、その甘さに気づきます。そこで100mの全力疾走をしたとき、ふらふらになってゴールを抜けて待機場所についた途端に、座っていることもきつく、仰向けになってしまいました。鼓動が急で、息も大きく、はぁはぁ、ぜぇぜぇと止まりません。一緒に受講していた人が紙コップに水を入れて持ってきてくれたので、それを飲みようやく落ち着いてきたものの、過呼吸のような症状になって、手足の先がしびれてきました。高校時代にサッカーで試合等で、同じようになったこともあったので、慌てることはなかったのですが、かつてはそれを体力不足や練習不足と言っていましたのです。それが、この時ばかりは運動不足なのだと感じたのを憶えています。

 

高校時代でも、100mの全力疾走なんてそうなかったですし、途中で息をせずに走るなんてできてませんでしたが、イメージ通りの動きができなかったというのは、軽い衝撃でした。それ以降、そんなことが増えていきます。足が高く上がらない、ジャンプしても低い、敏捷性や動体視力の衰え等々。その後何度か全力疾走をしたことはありますが、イメージ通り走れたことはありません。

 

 一番最近では、地区運動会のリレーに引っ張り出された時だと思います。小学校の運動場を借りていたので、トラックの1週が約100mだったのですが、カーブでこけそうになるので、全力疾走はできなかったことにしていますが、もし、直線のコースだったとしても、それ以上のスピードが出せたかどうか怪しいものです。それも、もう10年以上前の話になります。

 

それ以外で、運動不足を感じたことがいろいろありますが、5年ほど前の靴下履きもショックでした。少し寝坊したのですが、いつものように片足立ちで靴下を履いていると、慌てていたせいもあるのでしょうが、ぐらりとバランスを崩してしまい、柱にヘディングをしてしまいました。とても痛かったです。当たったのが柱の角でなくて良かったです。

 

コレデハイケナイ。コレイジョウ、ウンドウブソクニナッタラ、ジブンデジブンヲ ユルセナクナルーー。

 

そう思い立ち、時折に片膝を抱えて片足立ちをするようになりました。調子が良ければ左右交互に20秒は維持できますが、ふらつくこともたまにあります。靴下を履くときもふらつくことや履けないことはありますが、ノルマを達成できる日が圧倒的に多いです。

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片足立ちの新旧イラスト

プロフィール画像の入れ替えに合わせ、新旧画像を並べました。新画像がちょっとしっかり立ってる感じでしょうか。)

かつては毎日10kmを歩き、自転車で15km走っていた高校時代を思えば、運動とも言えない靴下履きをする今にどれだけの意味があるのかという話ですが、一応のサッカー経験者として、柱や壁にヘディングはしたくないなあと思っているのでした。