tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

「年間アクセス数の倍増」と「100記事投稿」計画進行中

2020年の目標に掲げたのが、「年間アクセス数の倍増」と「100記事投稿」でした。

当初、2019年に引き続きマイペースで「100記事投稿」を目指すことにしたのですが、

余りに進歩がないと思い直し、ちょっと自分を追い込んでみようと勢いづいて翌日に「年間アクセス数倍増」の目標を追加したのでした。

以下、その部分を引用すると

ってことで、はい。

「年間アクセス数の倍増」を目指します!

 

なんか、こう書くと、かなりでっかい夢のようですが、2019年の年間アクセスはわずか3200程度でしたから、2020年は6400です。別の表現にすれば、

「目標:累計アクセス数、10000突破」

となりますから、ほんとにささやかな夢です。

というのが実態です。

あんまりアクセス数に縛られたくないという本音はあるのですが、アクセス数が増えた方が嬉しいのもまた事実。そこで、自分を追い込み過ぎない程度に設定したつもりです。

 

で、上半期終了の6月30日時点で総アクセス数は約6000でした。ここまでの凡そをグラフにするとこんな感じです。

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アクセス数グラフはこんな感じ 縦軸1目盛が3000


去年1年で3200程度でしたから、この半年で約2800アクセスです。3200に届かず、少なめではありますが、まだまだ挽回の可能性はあります。(ブログによっては1日で1万という方もいるでしょうけれど、それはまた別の話)ちなみに、2019年の上半期のアクセスは1800程でしたから、同じ期間では約1000増(増加率、155%)です。

安心はできないものの、あきらめるにはまだ早いという辺り、私らしいかも。

 

記事数の方は、6月30日時点で丁度50になっています。

こちらは、ゆっくり目ではありますが、まあ順調ですね。

 

相変わらず、こつこつ、のほほ~んとしなやかに、したたかに、をモットーに書き続けていきたいです。

そんな感じですが、今後ともよろしくお願いします。

 

 

今週のお題「2020年上半期」

紙コップ式コーヒー自販機と、にゅるにゅるうどん

冬の部活終了後、高校近くの本屋に寄ることになった。自転車で3~4人一緒に出かけた。その帰り、街の中で温かいコーヒーの自販機を見つけた。紙コップが出てきてコーヒーを入れるタイプ。はっきりとした値段は憶えてないが、自販機の100円缶コーヒーより安かったので、これにしようとなった。

 

ところがこの自販機、紙コップが出てこないまま、コーヒーを注ぎ始めたのだ。

仲間はまだ冷静だった。

「たまたま、運悪くカップが出てこなかっただけじゃないか?」

「紙コップが無くなっていたら、売り切れランプがつくはずだ。」

など話して、とりあえずもう一回、お金を入れてボタンを押す。

またも、紙コップは出てこないまま、コーヒーだけが無情に上から下へ落ちて行くのが見える。半透明の扉の向こうにコーヒーの滝。

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紙コップ式自販機でコーヒーの滝

それを見て、不意に私だけが「くくく・・・」と突然笑いに陥ってしまった。ここで笑ってしまったら私が何かいたずらしてるみたいだと、耐えようとするがなかなか止められない。

コーヒーの滝を見て、不覚にも、春日三球・照代の漫才を思い出してしまったのだ。

「この前、一人で夜のコインスナックに行ったの。自動販売機でうどんを買ったんだよね。でも、どんぶりが出てこないの。おだしがジャーッと下に落ちてしまってね、あ~あ、と思っていると、その後、うどんがにゅるにゅる落ちてきて、でも、うどんは下に流れないでしょ。扉から這い出してくるのよ。にょろにょろにょろにょろ…。生きてるみたいで、恐いよ~。襲われるかと思った。」そんなネタ。

コーヒーが流れた後に、うどんが出てくる想像が止まらない。

 

幸い、友人たちはそれには気づかず、店の人に言うかどうか相談している。

「でも、嘘と思われたら嫌だな。」

「機械が壊れてたら、他の客も困って店の信用も落ちるから、言ってあげた方が良い。」

など話していると、店の電気が消えた。閉店の時間かもしれないと、仲間がそれぞれ、大きな声で店の奥に声をかけた。

「すいませ~ん!」

けっこう大きな声になっていたはずだ。

 

店の人が出てきて、

「そんなに大きな声で呼ばれたら迷惑なんだけどな。」

と嫌味を含んだ返事に、気まずい雰囲気になったが、丁寧に事情を話した。

こちらは学生服。店の人は高校生の悪戯かもと警戒しつつも、機械を開けて動作を確かめてくれた。

ところが、大方の予想に反して、その時はきちんと紙コップが出てきた。

「きちんと動いているじゃないか。」

店の人は、こちらの悪戯だと思ったかもしれない。でも、2つ分のお金を入れたという話だったので、コーヒーの入った紙コップを友人に受け取らせ、もう1回機械を動かした。

果たして、2回目も紙コップが出てきた。

(これは信じてもらえないかも…)と思いかけたが、その紙コップは2つ重なっていた。友人も気づいて

「やっぱり、おかしいみたいです。今度はコップが重なってます。」

と指摘した。

店の人もようやく、何かおかしいと信じてくれたようだ。

3回目を試した時、紙コップは落ちず、再びコーヒーの滝に。

「これは、おかしいな。」

 

ところが、それを見てまた脳内で、にゅるにゅるうどんが再生されてしまう。

さすがに、このタイミングで笑うのは、絶対にまずい。歯をくいしばって、うつむいて、腹を手で絞る風にして必死に耐える。

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脳内でイメージされた、にゅるにゅるうどん


結局、私の挙動不審に気づく人はいなかったようだ。

店の人があれこれ機械の動きを試した後で、明日、業者の人に来てもらうようにすると言っていた。

そして、最後に

「ありがとう。疑ってすまなかった。」

と店の人は言ったように記憶している。やはりきちんと店の人に伝えて良かったと思えた瞬間だった。それ以上に、店の人が自ら最初は疑っていたことを正直に明かし、謝ってくれたことが嬉しかった。

少なくとも、店の人の「信じられない」とか「嘘だろう」とかの言葉は、記憶に無い。言葉の節々に、嫌味があったようには思えたけれど、それでも「疑っていた訳ではなかった」と言い張ることもできたはずだ。

 

内心、(こちらこそ、笑っちゃいけない所で笑ってしまいそうになってごめんなさい。)と思いつつ、そこは黙っていた。

 

友人のお金がどうなったのかは記憶にないが、きっと返してもらったのではないだろうか。一緒にいた友人全員に試運転で入ったコーヒーが振る舞われ、少し暖をとれたのを憶えている。それは寒い中、いろいろ話をする間に少し冷えていたと思うが、お金で買えない暖かさがあったと思う。

 

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<余談 春日三球・照代

漫才の若手が売れに売れた漫才ブームの陰に隠れてしまった感はありますが、私は、春日三球・照代の漫才が好きでした。

 

一番有名なのは、「地下鉄ネタ」でしょう。wikipedia でも紹介されています。

三球「…しかし、地下鉄の電車をどっから入れたんでしょうねぇ。それ考えると一晩中眠れなくなるの」
照代「あなたも面白いこと言うわね」
三球「あらかじめ電車を地下に埋めておいてトンネル掘りながら『確かこの辺に埋めたよなー』『あったぞあったぞ、電車が』なんて」
照代「そんなわけないじゃないの」(以下続く)

この変形バージョンもあります。山手線ネタも有名。

 

現在は一発芸が注目を浴びやすいですが、どうしてもパターンが限られがちで、まったく同じネタを飽きられるまで続ける(続けさせられる)ことが多いように思います。

その点、春日三球・照代の漫才の面白さは、想像が想像を呼び、更に話が広がっていきます。一つのネタを発端として、いろんな視点から面白く切り込んでいく感じ。一言で言えばネタが完結しないのです。

上のネタの続きは

三球「じゃ、あなた知ってるんですか?」
照代「当たり前じゃない。地下鉄の階段から入れたんですよ」
三球「え、そうなんですか?」
照代「常識よ」

三球「そうなんですか。よく改札が通れましたねぇ。・・・

となり、その後に落ちに入るのが定番ですが、続けようと思えば続けられます。

ちょっと、私流に続きを考えてみました。

「簡単ですよ。だって、切符がいらないんだもの。」

「なるほど。そりゃ簡単だ。」

「上野行きですって言わなくたって、ちゃんと車両の頭に書いてあるのよ。」

「ああ、車両には大きく書いてありますね。そりゃあ、切符見せなくていいね。」

「でしょ。改札通るなんて簡単なのよ。」

「いやいや、簡単ではないでしょ。だって、ずら~~~と車両は続いてるじゃないですか。とても簡単には通れませんよ。」

「何言ってんの。駅員さんがいなくても、大丈夫なんだから。知ってる?自動改札。」

・・・

 

自販機ネタは、youtube等では発見できませんでしたが、幾つかのネタはありました。

それを観て、気づいたのですが、あの頃の漫才の入場にはお囃子があったのです。

落語の流れを受け継いでいた感があります。

一つのネタでも、その裏でお囃子を演奏する人の生活も支えていたのでしょう。

だからでしょうか、当時のネタは人を傷つけたり、馬鹿にしたりするネタが少なかった気がします。また、一発芸であってもそれで終わらせず、次のネタを待てる客が多かったようにも思うのです。

 

落語には、「話し手が聞き手を育て、聞き手が話し手を育てる」といった言葉があります。あの頃の漫才にも、それがあったなあと思うのです。

自家製ハンバーグのレシピ ニンジンは必須?

「ハンバーグ作るから手伝って。」と母から声がかかる。

小学5年頃からの定番の手伝いは、高校生になっても続いていた。

母の言うには、私に手伝ってもらわないと、いつもの味にならないとのこと。

手伝いは、決まってニンジンをすりおろすことから始まる。

 

 

ハンバーグにニンジンのすりおろし

「ハンバーグにニンジンのすりおろし?」多くの人が疑問に思うだろう。

でも、私は20歳の時に気づくまで、必須と信じて疑わなかった。9年間、家でハンバーグを作る度にすりおろした。いや、就職した後で帰省した時も。

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ハンバーグにニンジンは必須?

ニンジンを使わないのが王道

大学時代、友人が下宿に来て、夕飯にハンバークを作ろうとなった。近所のスーパーに行き、食材を品定めする。「まずはミンチに玉ねぎ。パン粉と牛乳は下宿にあるから、後はニンジンだな。」と話したら、友人はピタッと立ち止まった。

「ニンジン?つけ合せも作るのか?」

「ん?ハンバーグと言ったらニンジンは必須だろ?」

「つけ合せは作らなくても良いだろう?」

「ん? ???」

話が噛み合わない。そしてようやく、すりおろしニンジンをハンバーグの生地に使うのは、王道から外れた我が家流だと知った。その時になって初めて、母の策略に気づいたのだ。

 

帰省した折にそのことを話したら、

「あははは!ついにばれたね。」

と母は笑った。ついでに

「僕のニンジン嫌いを何とかしたかったんだろ?」

と付け加えたら

「ニンジンはなかなか食べなかったから、苦労したわぁ。」

とまた笑う。

 

母の策略

母のハンバーグは大好物だった。だから、初めて手伝った時のことも憶えている。

でも、思いもしなかったニンジンのすりおろしを頼まれ、とまどっていると、

「ハンバーグだったらニンジンも食べるのにね。」

と、言われて驚いた。幼少の頃、肉嫌い、魚嫌い、野菜嫌いだった私が、少しずつ好き嫌いを減らす中、野菜の難関がニンジンだったのに、既に食べていたとは。

(食べられなかったわけじゃないんだ!)

その衝撃は、漫画『包丁料理人 味平』で、魚が食べられなかった主人公が魚肉入りソーセージを美味しいと言って食べていたことに驚くシーン、そのままだ。

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ニンジン食べてた!

すりおろした後、母が生地になる食材をボールに入れ、生卵を落とす。

それをこねるのも私の仕事。ミンチ、玉ねぎ、パン粉、ニンジンそれらがきれいに混ざらないと美味しくならないと言われ、まんべんなく混ぜる。(つまりどこを選んでも同じ量のニンジンが入っている。)

焼く前の成形もする。これもハンバーグの大小で兄とけんかにならないようにする母の策略だ。土地を分ける場合、どちらを選ばれても文句を言わないよう、分ける人と選ぶ人が別々というパターン。

 

ニンジンも策略も練りこんだハンバーグが焼き上がり、自家製ソースをかけて食べる。

やっぱり美味しい。今までのも美味しかったが、手伝った今回はなお美味しい。

それまでのハンバーグにニンジンは入れてなかったのだから、これまでのが美味しいのは当然で驚くことではない。むしろ、初めて自分でニンジンをすって生地に練りこんだハンバーグを美味しいと食べたことに驚くべきだが、そこには気づかない。

これまで通り食べる私の隣で、母の方が内心驚いたと思うが、そこにも気づかない。

 

 味の違いには気づかなかったというか、ニンジンが入っていると知っただけで味が変わるはずがないと思い込もうとした。 逆に、ニンジンの味が感じ取れないかと、いつも以上に味わっていたと思う。食べ物を何が入っているか考えながら食べるようになったのはこの時からかも知れない。

 

好き嫌いの多くは偏見

 「好き嫌いの多くは偏見からきている。」

持論の原点が、ニンジン入りハンバーグにある。

偏った知識や、思い込みで、好き嫌いを決め込んでることは多い。

 

ごはんややきそばにマヨネーズ、トーストにあんこ、ステーキにわさび、焼きもちににわさび醤油、パスタにいかの塩辛、そして、納豆も。

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いろんな食べ方

大学受験後、家でも納豆を食べるようになった。

私が、家で納豆の話をしたからだ。

どうせなら、いろんな納豆を食べてみようと、違う納豆を食べ比べた。

粒の大きいの、中くらいの、小粒、極小粒、ひきわり…。ひきわりは馴染めなかった。

味付けも変えた。付属のたれ、しょうゆとからし、めんつゆ、ポン酢、わさび。

化学調味料が好きではない母は、しょうゆとからしを選ぶ。結局、我が家の本流の食べ方は、しばらくの間、しょうゆとからしになった。

ニンジン入りハンバーグを作り続けた母、譲れないこだわりがあるのも母らしい。

 

ニンジンはハンバーグに入れず、付け合わせに

母に認知症が出始めてから、ハンバーグにニンジンを入れなくなった。

帰省した折には、私が料理担当となり、ニンジンを入れるとハンバーグにパサパサ感が出て、どうにもよろしくないと思ったからだ。代わりに、付け合わせとして、グラッセ風に切ったニンジンに、砂糖をまぶし、レンジでチン。アツアツの状態で、小さく切ったバターを乗せて溶かしてなじませる。或いはチンしたものをフライパンでバター炒め風にすれば、なお、おいしい。

 

ニンジン入りハンバーグをまた作ろうという気持ちはない。

ニンジンのおいしさを知った今となっては、付け合わせで食べた方がおいしいと思う。

小さい子どもの食事が、味に慣れさせることを含めて、離乳食であるように、私がニンジンの味に慣れるための、ハンバーグだったと思っている。きっと、ニンジンそのものを味わって食べる方が母も嬉しいはず。

 

グラッセ風チンニンジンを「ニンジンてこんなに甘かったかなあ?」と食べた母。

でも、私がニンジンを食べてたという驚きの大きさには程遠かった。

料理で人を驚かせるのも、母にはかなわないままだ。

 

 

今週のお題「納豆」

(ほとんどハンバーグの記事で、納豆の記事は少しだけど)