冬の部活終了後、高校近くの本屋に寄ることになった。自転車で3~4人一緒に出かけた。その帰り、街の中で温かいコーヒーの自販機を見つけた。紙コップが出てきてコーヒーを入れるタイプ。はっきりとした値段は憶えてないが、自販機の100円缶コーヒーより安かったので、これにしようとなった。
ところがこの自販機、紙コップが出てこないまま、コーヒーを注ぎ始めたのだ。
仲間はまだ冷静だった。
「たまたま、運悪くカップが出てこなかっただけじゃないか?」
「紙コップが無くなっていたら、売り切れランプがつくはずだ。」
など話して、とりあえずもう一回、お金を入れてボタンを押す。
またも、紙コップは出てこないまま、コーヒーだけが無情に上から下へ落ちて行くのが見える。半透明の扉の向こうにコーヒーの滝。
それを見て、不意に私だけが「くくく・・・」と突然笑いに陥ってしまった。ここで笑ってしまったら私が何かいたずらしてるみたいだと、耐えようとするがなかなか止められない。
コーヒーの滝を見て、不覚にも、春日三球・照代の漫才を思い出してしまったのだ。
「この前、一人で夜のコインスナックに行ったの。自動販売機でうどんを買ったんだよね。でも、どんぶりが出てこないの。おだしがジャーッと下に落ちてしまってね、あ~あ、と思っていると、その後、うどんがにゅるにゅる落ちてきて、でも、うどんは下に流れないでしょ。扉から這い出してくるのよ。にょろにょろにょろにょろ…。生きてるみたいで、恐いよ~。襲われるかと思った。」そんなネタ。
コーヒーが流れた後に、うどんが出てくる想像が止まらない。
幸い、友人たちはそれには気づかず、店の人に言うかどうか相談している。
「でも、嘘と思われたら嫌だな。」
「機械が壊れてたら、他の客も困って店の信用も落ちるから、言ってあげた方が良い。」
など話していると、店の電気が消えた。閉店の時間かもしれないと、仲間がそれぞれ、大きな声で店の奥に声をかけた。
「すいませ~ん!」
けっこう大きな声になっていたはずだ。
店の人が出てきて、
「そんなに大きな声で呼ばれたら迷惑なんだけどな。」
と嫌味を含んだ返事に、気まずい雰囲気になったが、丁寧に事情を話した。
こちらは学生服。店の人は高校生の悪戯かもと警戒しつつも、機械を開けて動作を確かめてくれた。
ところが、大方の予想に反して、その時はきちんと紙コップが出てきた。
「きちんと動いているじゃないか。」
店の人は、こちらの悪戯だと思ったかもしれない。でも、2つ分のお金を入れたという話だったので、コーヒーの入った紙コップを友人に受け取らせ、もう1回機械を動かした。
果たして、2回目も紙コップが出てきた。
(これは信じてもらえないかも…)と思いかけたが、その紙コップは2つ重なっていた。友人も気づいて
「やっぱり、おかしいみたいです。今度はコップが重なってます。」
と指摘した。
店の人もようやく、何かおかしいと信じてくれたようだ。
3回目を試した時、紙コップは落ちず、再びコーヒーの滝に。
「これは、おかしいな。」
ところが、それを見てまた脳内で、にゅるにゅるうどんが再生されてしまう。
さすがに、このタイミングで笑うのは、絶対にまずい。歯をくいしばって、うつむいて、腹を手で絞る風にして必死に耐える。
結局、私の挙動不審に気づく人はいなかったようだ。
店の人があれこれ機械の動きを試した後で、明日、業者の人に来てもらうようにすると言っていた。
そして、最後に
「ありがとう。疑ってすまなかった。」
と店の人は言ったように記憶している。やはりきちんと店の人に伝えて良かったと思えた瞬間だった。それ以上に、店の人が自ら最初は疑っていたことを正直に明かし、謝ってくれたことが嬉しかった。
少なくとも、店の人の「信じられない」とか「嘘だろう」とかの言葉は、記憶に無い。言葉の節々に、嫌味があったようには思えたけれど、それでも「疑っていた訳ではなかった」と言い張ることもできたはずだ。
内心、(こちらこそ、笑っちゃいけない所で笑ってしまいそうになってごめんなさい。)と思いつつ、そこは黙っていた。
友人のお金がどうなったのかは記憶にないが、きっと返してもらったのではないだろうか。一緒にいた友人全員に試運転で入ったコーヒーが振る舞われ、少し暖をとれたのを憶えている。それは寒い中、いろいろ話をする間に少し冷えていたと思うが、お金で買えない暖かさがあったと思う。
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<余談 春日三球・照代>
漫才の若手が売れに売れた漫才ブームの陰に隠れてしまった感はありますが、私は、春日三球・照代の漫才が好きでした。
一番有名なのは、「地下鉄ネタ」でしょう。wikipedia でも紹介されています。
三球「…しかし、地下鉄の電車をどっから入れたんでしょうねぇ。それ考えると一晩中眠れなくなるの」
照代「あなたも面白いこと言うわね」
三球「あらかじめ電車を地下に埋めておいてトンネル掘りながら『確かこの辺に埋めたよなー』『あったぞあったぞ、電車が』なんて」
照代「そんなわけないじゃないの」(以下続く)
この変形バージョンもあります。山手線ネタも有名。
現在は一発芸が注目を浴びやすいですが、どうしてもパターンが限られがちで、まったく同じネタを飽きられるまで続ける(続けさせられる)ことが多いように思います。
その点、春日三球・照代の漫才の面白さは、想像が想像を呼び、更に話が広がっていきます。一つのネタを発端として、いろんな視点から面白く切り込んでいく感じ。一言で言えばネタが完結しないのです。
上のネタの続きは
三球「じゃ、あなた知ってるんですか?」
照代「当たり前じゃない。地下鉄の階段から入れたんですよ」
三球「え、そうなんですか?」
照代「常識よ」三球「そうなんですか。よく改札が通れましたねぇ。・・・
となり、その後に落ちに入るのが定番ですが、続けようと思えば続けられます。
ちょっと、私流に続きを考えてみました。
「簡単ですよ。だって、切符がいらないんだもの。」
「なるほど。そりゃ簡単だ。」
「上野行きですって言わなくたって、ちゃんと車両の頭に書いてあるのよ。」
「ああ、車両には大きく書いてありますね。そりゃあ、切符見せなくていいね。」
「でしょ。改札通るなんて簡単なのよ。」
「いやいや、簡単ではないでしょ。だって、ずら~~~と車両は続いてるじゃないですか。とても簡単には通れませんよ。」
「何言ってんの。駅員さんがいなくても、大丈夫なんだから。知ってる?自動改札。」
・・・
自販機ネタは、youtube等では発見できませんでしたが、幾つかのネタはありました。
それを観て、気づいたのですが、あの頃の漫才の入場にはお囃子があったのです。
落語の流れを受け継いでいた感があります。
一つのネタでも、その裏でお囃子を演奏する人の生活も支えていたのでしょう。
だからでしょうか、当時のネタは人を傷つけたり、馬鹿にしたりするネタが少なかった気がします。また、一発芸であってもそれで終わらせず、次のネタを待てる客が多かったようにも思うのです。
落語には、「話し手が聞き手を育て、聞き手が話し手を育てる」といった言葉があります。あの頃の漫才にも、それがあったなあと思うのです。