tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

生まれて初めて納豆を食べた朝

1980年代前半、まだ西日本で納豆を食べる習慣がほとんどなかった頃です。売っている店はあったかもしれませんが、食べたことは無かったと思います。初めてそれを食べた記憶は、大学受験のため宿泊した東海地方のホテルの朝食。ちなみに、この10日程前は親知らずの痛みに苦しんでいました。 


それ以前の納豆の記憶に漫画があります。車田正美のデビュー作『スケ番あらし』(今回の記事の下調べで判明)。貧乏な主人公が御令嬢から弁当を分けてもらったお礼に、家へ招待して納豆をふるまうのですが、ねばねばを振り回してドタバタになり、さらにその後に一騒動起きるというものでした。

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『スケ番あらし』納豆事件で巻き添えに遭う図

ホテルの食堂?だかで、お盆に欲しい料理を載せていくのですが、そこに納豆も並んでいました。ねばねばしているが美味しいという漫画の情報から興味もあったので手にとった納豆は、丸いカップの中にひっそりくっつきあっていました。

 

これをかきまぜたら大変なことになるから、そっと食べないといけないぞ。

本気でそう思っていたのです。タレや辛子をどうしたかは覚えてないのですが、ふたのフィルムをはがして、箸で一粒とり、ぱくん。

私は、納豆の味を、甘納豆から甘味を取り除いた感じ、または砂糖を使わずに茹でた小豆のようなものだろうと予想していました。しかし、予想は裏切られ、柔らかい食感の上、強い苦味や酸味を感じたので、反射的にぷっと手の平に吹き出しました。

思わず拒否反応ううん・・・。これはきっと腐っているんだろう。

さすがに食べられそうもないとあきらめました。

 

幼少の頃、肉嫌い、魚嫌い、野菜嫌いの私でしたが、18歳の時には、ほぼ好き嫌いは無くなっていました。なのに、新たに嫌いな物ができてしまった感じです。納豆の味より、そのことが気になってしまいました。そのせいか、その後の入試もあまり覚えていません。

 

さて、二日目の朝食です。

一日目と同じように、納豆がありました。少し悩んだものの、昨日のはたまたま腐っていただけかも知れないと、またお盆に載せました。

今回は、ふたのフィルムをはがす前に、周りの人を観察しました。

皆、普通に食べています。格別に美味しそういという感じでもなかったですが、それにしても、私だけ食べられないのは何か悔しい・・・。

さらに注意深く見ていると、驚いたことに皆、納豆のカップを手にして、箸で混ぜていました。それも、優しい感じではなく、ガンガン、ゴリゴリやってる人が多いのです。

納豆は、混ぜると危険ではなかったのか?

漫画を見てそう思い込んでいたのが間違いだったとようやく気づきました。

 

納豆を混ぜるのが当たり前の人からしたら、とても珍妙に思うかもしれません。でも、当時の私としては、塩素系洗剤「混ぜるな危険」表示の禁を破って混ぜる感覚に似ていた気がします。(当時の洗剤にその表示があったかどうかは不明。)

漫画みたいに飛び散ったらどうしよう・・・。

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まぜるな危険?!

入試二日目の朝に、何に緊張しているんだ?と、自分でも思いましたが、飛び散らして周囲に迷惑をかけたくはなかったのです。

 

それにしても、これほど混ぜる食べ物を見たことがありません。

飲み物なら、学校給食で人気だった「ミルメーク」でしょうか。牛乳瓶に粉を入れストローでぐるぐるぐるぐる。慣れっこになると、粉を入れて、蓋して、ビニルをかぶせ、上から指で押さえて、シェイク!シェイク!してましたけど。

 

混ぜるだけで納豆の味が変わるものだろうかという疑問も湧きました。

カレーライスだって、混ぜる混ぜないで、食感こそ変わりますが、劇的に味が変わる程ではありません。和え物も味がなじむ程度に混ぜれば十分なはず。

まあ、何はともあれ、混ぜてみよう。

そう思うと、混ぜる前と後の味の違いを確かめたくなって、昨日は噴き出した納豆を一粒食べました。やはり、ぐにゅっとして苦いです。

この味がどう変わるんだろう?意を決してというより、興味津々で、慎重に混ぜ始めます。(残念ながら、タレと辛子をどのタイミングで投入したかの記憶は無いです。)

 

 

少し混ぜただけで、ひっそり鎮座していた納豆は粘り気を帯びてきました。

おぉ、ハンバーグみたい!

母の手伝いでこねた経験が、思わぬところで活きました。まあ、ハンバークのネタは糸を引くまでは混ぜませんが、「混ぜるな危険」から「混ぜて粘り気を出そう」に変わった瞬間です。

(なんだ、豆が飛び散らないように混ぜればいいのだ。)

だんだんと、混ぜるのに力が必要になってきます。粘り気と言うより絡んでくる感じ。回される豆は蜘蛛の巣のような細い糸を引き始めます。

(ああ、この糸を飛び散らさなければいいんだな。しかし、どのくらいまで混ぜるのがいいのだろう?)

 

再び周りを観察。その中で、丸くまとまった納豆をごはんに乗せている人を発見。

見様見真似で、こんもりまとまるまで混ぜたものの、そのままごはんに乗せる勇気はありません。まずは、数粒とって試食です。ぱくん。

 

タレや辛子の味の向こうに、元の苦味とは違う甘味がありました。

それを格別美味しいとまでは思えませんでしたが、食べられそうな気はしました。

もっとも、それは頑張って混ぜることによって得た愛着心からかも知れません。

ただ、その後に食べたご飯の甘味も増した気がしました。

これはこれで美味いんじゃないか?そう思ったのです。

ご飯にはかけなかったですが、ようやく納豆を体験した達成感が得られました。

納豆も、一定以上混ぜることで、ご飯を美味しく感じさせる魔法を発動させるのでしょう。納豆は「混ぜるな、危険!」ではなく「混ぜると美味い」食材だと理解したのです。

 

似た感じを、うどんに散らばせた青ネギで得たことがあります。

小学生の頃、うどんに載せられた青ネギの匂いや苦味が嫌で、その味が出汁に混ざる前、すぐ箸で出していた時期がありました。

それが、中学生になった頃、熱い出汁にしばらくつけていれば、青ネギの苦味が弱まりほんのり甘味が出ると気づきます。

先日記事にした高校時代のうどん屋さんでは、根元の白い部分も美味しく感じるようになりました。青ネギは、うどんや出汁の甘味を際立たせる触媒とも言えるかも知れません。いつしか、青ネギがないと物足りなさを感じるようになったのです。

 

青ネギの制覇には数年かかりましたが、納豆は2日ですみました。

大学の受験は見事に失敗しましたが、「納豆の美味しさ」や、「食材を混ぜることも調理方法の一つ」、「好き嫌いの多くは、食わず嫌いと偏見が原因」等、収穫も多かったです。

 

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< 余談 納豆の匂い >

(※ 閲覧注意! 以下、既に思い当たる経験がある人はともかく、経験がない人は読まない方が良いと思います。)

 

高校卒業後、徐々に納豆と食べ慣れていった頃に、漫画『コータローまかりとおる』では、ギタリストのカイザー・ラステーリが納豆の匂いに執着する場面が出てきます。1日はいた靴下の匂いといった感じの言い回しだったと思います。

 

これもまた、強烈な印象となって頭にこびりついてしまいました。そして、夏、下宿近くの食堂で夕飯に納豆を食べようとしたときに、サンダルばきの裸足と納豆の匂いがシンクロしたのです。確かにそっくり!と感じてしましました。それ以降、しばらくの間、納豆を食べる時に足の裏を連想してしまい、困りました。

匂いを変えるために、辛子や刻みネギ、マヨネーズなどを入れてごまかしましたが、いろんな匂いの向こうにどうしても、それを嗅ぎ分けてしまうのです。

 

ただ、最近の納豆はそれほど匂いを感じません。私の嗅覚が衰えた気もしますが、臭さを感じないのも、どこか物寂しさもあって・・・。不思議なものです。