tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

同じ緑でも違う色、違う色でも変化する色、そして彩

今週のお題「わたしの好きな色」。

小さい頃、私の好きな色は、たくさんありました。中学生の自己紹介カードには、好きな色の欄に「この世にあるすべての色」と書いたこともありました。それが、高校時代の通学に使う自転車が緑だったせいもあって、その後、長らく好きな色は緑だと言ってました。

 

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自転車の色は一般の緑よりは少し明るめ。それはそれで好きな色ではあったのですが、こだわって緑を見るようになったおかげで、色の幅に気づいた気がします。特に初夏の頃、自然の刻々と変化する緑色に気づけたときは、ちょっとした驚きでもありました。

 

小学生の写生大会とかで、木の葉を塗るのはどうにも苦手でした。小4の時の先生に「葉っぱ一枚一枚の色が違うから、ペンキみたいにぬってはダメ」と言われ、絵の具をつけた筆でトントンと置くように塗っていました。そして微妙に色を変えてまた、トントンを繰り返します。しかし、そうした苦労の末に出来上がった木の葉は、やっぱりペンキで塗ったような点々の集まりにしか見えず、がっかりしたこともありました。あんなに頑張ったのに、自然の緑を描くのは難しいという思いだけが残ったのです。

 

それが、自然の木の緑にこだわりを持つようになってから「葉っぱ一枚一枚の色の違い」ではなく「木全体の葉っぱの色の変化」を観るようになりました。勝手な思い込みかも知れませんが、初夏の木の葉は毎日、色が変化しているように見えました。朝と昼と夕でも違う色に感じられました。

 

若い芽の新緑、葉っぱ広げたばかりの若葉色、葉っぱに厚みができた時の深緑、広葉樹と針葉樹の葉の色具合の差、風に揺れる葉、陰に隠れた葉、朝日に照らされる葉、夕陽に染まる葉。どれも緑ではありますが、同じ緑は一つもありません。また、それらの緑は、他の緑と影響し合っている緑でもあります。

 

新緑は、若葉の色と相まって、成長の過程が窺い知れ、そこに深緑も加わって季節の移ろいを教えてくれます。朝と昼と夕の光の反射具合で、暑さの度合いも伝わってきます。

 

高校時代、微妙な色の違いにそれぞれの色にメッセージがあるように思えたのは、緑色にこだわったおかげ。きっかけは自転車の色でしたが、こだわったことで、色の彩の魅力に気づけたように思います。

 

その自転車は壊れるまで8年しかありませんでしたが、働きだして自分で青い自動車を買う頃まで、緑を好きな色として観ることができました。

 

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これは2年程前に水彩絵の具で描いた絵です。いろんな緑を 「違う色」ではなく「変化する色」として、塗る場所に合わせて変化をつけるというイメージで塗りました。同じ色でも違う色、違う色でも変化した色、そんな色と彩(あや)を、いつか描き分けられるようになりたいです。

 

今、好きな色はと聞かれたら「青」と答えています。青い車に乗っているからという理由もありますが、「緑」以上に見かけることも多く、また豊かな彩を持った色に思います。嬉しいことに、緑と青は喧嘩をすることも妬くこともありません。近くで観れば互いに色を主張し合うこともありますが、遠くを望んだ時に山の緑の稜線と空の青はいつだって仲が良さ気です。

遊び8.自転車(3)1日に100km

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時折りに、先輩と二人で自転車で遠くまで出かけることがありました。会ってから、その日の時刻や天気、そして気分で、数km~10km程離れた喫茶店等に行くことが多かったように思います。でも、文化祭直前の敬老の日、朝も早めに出発して、行けるところまで行ってみようということになりました。

 

9月とは言え、まだまだ残暑も厳しく、時に休憩もしながら、ゆっくりめで移動してました。そして、お昼よりまだずいぶん前にT市に到着。でも、まだまだ時間もたっぷりあるので、引き続き北にいくことに。目指すはN市。車の多いバイパスを走ったり、裏道に入ったり。当時はスマホもないので、道を半ば運任せで選んでいたら、思わぬ近道になったことも。あと、ところどころにある、標識、案内地図を頼りに進みました。

 

程なくN駅に到着。自宅から軽く30km位まで来ました。でも、まだ時間はあります。そのままの勢いでN市にあるスカイラインに挑戦しようということになりました。軽い気持ちで次に向かったものの、そこから先はあまり馴染みのない場所。ちょっとした冒険心もあって、普段とはちょっと違うテンションになってたのでしょう。

 

ここからは、googleストリートビューで当時のルートを辿ってみながらの追体験

 

 当時は赤かったつり橋を通り島に渡ります。小学生の時に車で通ったこともあり、橋のインパクトが強く、夏休みの宿題の工作でひごや板、棒などを使って模型を作ったこともある橋です。でも、この橋の坂が予想以上に急だったことにはびっくり。自転車だったからこそ実感できたことでしょうね。加えて、交通量もそこそこあり、おまけに風に吹かれたり、橋の下の景色も目に入ったりで、なかなかにスリリング。競艇場も見えました。わくわくする楽しみと、大丈夫だろうかと言う不安が入混じったのを憶えています。でも、先輩は平気そうだったので、私が臆病なだけかも知れません。

 

 誤算だったのは、橋を渡った後スカイラインまでの距離。当時、頭の中にあるおぼろげな地図では、そんなに長いイメージはなかったのですが、実際に自転車で走ってみると長く感じました。砂浜沿いの道で、海や道の先遠くまで見えたせいかも知れません。ペダルをこいでもこいでも、あまりすすめなかった気がしました。しかし、google map で調べてみたら距離にして6km程。実家から母校の道より短かったとわかりました。

 

スカイラインに行く前に、公園に寄ることにしました。この寄り道もまた誤算。つり橋の坂以上に、きつく長かったです。車の交通量もそこそこありました。でも、自慢の12段変速でしたから、自転車を下りて押すこともなく、一気に進めました。公園についてから、一休み。残暑が厳しかっただけに、風が心地よかった記憶があります。昼食も公園内の食堂だかレストランだかでカレーライスを食べたように思います。

 

いよいよNスカイラインへ。海岸沿いの高さからスタートです。しばらく上り坂が続きますが、それほどきつくは感じません。車の交通量も一般道に比べてかなり少なかったので気持ち的にも楽でした。でもスカイラインと言う割には、山の中を走っていた印象があります。大したことは無いなぁと思っていると、ほどなく下り坂に。そして海が見えてきたと思ったら、橋が見えました。島から出る橋です。あれ?もう終わりなの?こんなに短かったっけ?と思いつつ進んでいると、橋は上り坂になってまだまだ続きそうな雰囲気。車で通った時には、橋を渡る前に展望台があり、橋は下り坂だったはず。ちょっと狐につままれているような感じがしましたが、スカイラインを走っていることは間違いないことと思い、とにかく進みました。

 

その橋を渡ってからの上り坂がきつかったです。自転車の変速を軽くしていたので上れないこともなかったのですが、スピードは出ないし、立ちこぎをしようとして、前輪が浮きそうに思ったこともあったほど。長くきつい坂に二人ともさすがに疲れ、会話らしい会話もできないようになって黙々と自転車を進めます。時間と汗がたっぷり流れて、休憩を取ろうと思っていると、喫茶店がありました。「ひまわり」という店だったと思いますが、googleストリートビューでは見つかりませんでした。ここにあったのかな?という感じの土地は写っていました。

 

身体をずっと動かして汗だくになると、気分が高揚することがあります。所謂「ランナーズハイ(runner's high)」です。そんな感じで、何か自分がとてつもない大きなことに挑戦している特別な人間のような感覚で店に入りました。出された水をがぶ飲みし、すぐ当たり前のようにもう一杯水をもらった気がします。注文したのはアイスコーヒー。でも、この注文は失敗でした。最初からガムシロップが入った状態だったので、予想と全く違った味にびっくりしたのを憶えています。しかもかなりの甘さ。店によってはアイスコーヒーに最初からガムシロップが入っていることがあるのをうっかりしてました。当時は珍しくなかったはず。それでも、全部飲んだと思います。

 

 休憩を終えて、しばらく進むと車で来た記憶のある展望台に着きました。展望台と言うだけあって、なかなかの見晴らしの良さ。島の稜線やその間にたたずむ海など、自転車で来た甲斐があったと思える景色でした。時折に吹く風は公園での風より強く思えましたが、汗だくの身体にはむしろ心地良かったです。

 

そして、展望台を少し越えると、真っすぐに下る橋、そしてその向こうまで続く坂。ここです。車で通ったときの記憶とぴったり重なった感じです。しかし、自転車に乗って見下ろす橋の下り坂は、正直、恐かったです。

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 道幅は車で対抗できる幅があるのですが、かなり細い気がしました。何しろ橋のすぐ下の景色、眼下の海や建物も目に入るので、下りに任せて自転車を加速させると、橋から飛び落ちそうな気がしてなりません。展望台では心地良かった風が、煽られてしまうのではないかと思えてきます。何度もブレーキで減速しながら下りました。それも急ブレーキをかけると反動でひっくり返りそうに思えて、ゆっくりめに、きゅっ、きゅっ、きゅぅ~という感じ。橋のすぐ手前に来るまでは、一気にスピードを出して降りたら今までの最高スピードが出そうなんて思ってましたが、逆に平地よりゆっくりなスピードだったように思います。 ノーブレーキで下っていたら、時速何kmまで出たでしょうね。挑戦していれば憧れの時速60km超えも出せたかも知れませんが、恐さで挑戦しようという気も起きませんでした。角度の違いもあったと思いますが、自転車では上り坂より下り坂の方が圧倒的に怖いと実感しました。

 

車の交通量が少なくてよかったです。橋の手すりに近寄るだけで恐かったですから。え?単に私が臆病なだけ?そうかも知れません。一緒に走っていた先輩にどう思われたかは憶えていませんが、橋を渡った先でずいぶんと待たせていたんじゃないかと思います。

 

橋を渡ってからもしばらく下り坂が続いていましが、「落ちるのでは」という心配をすることもなく進んでいました。幾つかの橋もありましたが、展望台傍の橋に比べるとどうということもありませんでした。島を通り抜けた後も、上ったり下ったりした記憶があるので、国道に出るまでスカイラインを走ったと思います。でも、身体的にも精神的にも、かなり疲れていました。途中、眠気とも戦いながら帰ったのは憶えていますが、どこをどう通ったのか、先輩とどこで別れたかは、よく覚えていません。ただ、帰り着いたのは、まだ真っ暗になる前ではありました。

 

夜、寝る前に地図を引っ張り出し、糸をテープで留めながら、今日一日走ったであろう道に沿って測ってみると、およそ100km程の距離でした。頑張れば、自転車で1日に100km進めたのはちょっとした自信になりました。結局、一度も実現しなかったのですが、数日かけて自転車で遠くへ行ってみようとあれこれ計画を練ったこともありました。また、高校卒業後には、1日で100km程のサイクリングも何度か経験しています。ただ、それくらいでは大きな自慢にもならず、上には上がいるものだなぁと何度も思わされました。でも、私にとっては自転車で1日100kmの経験は、一つの節目になっています。

授業8.剣道 こてんぱんでの収穫

剣道は、高校の授業の中で一番苦手でした。火曜日の一コマだけだったと思うのですが、授業が始まるまでは(剣道の時間にならないでくれ。)と思い、授業が始まれば(早く終わってくれ。)と思ってました。

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週一回の授業で、十分な基礎が身に着くはずもないし、ましてやそんなに上手になるはずもありません。上達すること、相手に勝てることよりも、武道の精神を学ぶためにするという話だったと思うのですが、私にとっては「微分・積分」よりも理解できない科目でした。

 

防具をつけているとはいえ、叩かれるのはもちろん、叩くのも嫌でした。理由は単純で、痛いのが嫌というのと、痛い思いをさせるのも嫌だから。そのため、相手のある練習では、いつも剣道部員や上手な人と当たって欲しいと思っていました。

 

ちょっと話がずれますが、『機動戦士ガンダム』の、ランバ・ラルアムロの対決のシーンで、上空からアムロがラルの操るグフを狙ってビーム射撃をしたときに、ラルが「正確な射撃だ。それゆえにコンピュータには予想しやすい。」とアムロの力を認めつつ、ギリギリの体勢でかわします。それを見たアムロは「よけもしないのか?」と驚きます。

 

剣道の打ちこみをされる時に、そのシーンを思い出すことが幾度もありました。上手な人は、狙ったところにピタリと当てられるようなのです。顎の出し方で被った面の角度を一定にすると、それほど痛みを感じることなく当ててくれます。ラルの台詞を借りるなら「正確な打ち込みだ。それゆえ痛みの少ない打たれ方も予想しやすい。」と言ったところでしょうか。

 

しかし、私を含む上手ではない人の打ち込みは、竹刀の振りがバラバラ。同じ場所を狙って、同じように竹刀を振り下ろしているつもりなのに、ふらふらしてしまいます。竹刀の軌道が変にずれて、耳に直撃するとかなりの痛みです。耳が真っ赤に腫れあがっているのではないかと思うほど。それが怖くて、振り下ろされる際にすくんでしまうと、今度は通常の面打ちさえ後頭部や頭頂部で受けてしまうことも。これがまた脳天から足もとまで痛みがズッキーン!と走り抜けて涙が出そうになります。

  

それを身を持って知っているせいで、下手な打ち込みをしてしまうのが申し訳ないというか、恐いというか・・・。でも、こわごわ振り下ろすと失敗は更に多くなってしまうし、先生からお叱りを受けるしで、結局、狙わずとも思いっきり耳に当ててしまったことは何度もありました。そして、上手な人ほど、それを黙って耐えてくれるのがまた心痛くて、内心「ごめん、ごめん」と思いながら口で「めーん!めん、めん」と言ってましたね。

 

私とは別世界にいる、初心者でも果敢に打って出るも人いました。きっと上達を目指して痛みも恐れず取り組んでいたのでしょう。その向上心には尊敬の念を抱くこともありましたが、私にとっては上級者の人より恐い相手でした。恐いから更に身がすくんでしまうせいか、打たれるとやたらと痛い。こちらからの攻撃は力も狙いも中途半端になるためか相手の痛い所に当ててしまう。それで時には、相手を本気で怒らせてしまったかと思うほどの勢いで迫られたこともありました。

 

何かと辛かった剣道の時間ですが、唯一好きな時間がありました。練習を終え、正座をして、防具を外し、瞑想する時間です。毎時間必ずあったと思います。つい先ほどまで、恐る恐る、或いはパニック状態で、「早く終れ、早く終れ!」と念じながら練習していた後の静寂。「今日一日の練習を振り返り、精神を落ち着ける」という時間のはずでしたが、防具内で蒸されていた顔に、涼やかな風が当たるのが好きでした。極度のストレスから解放され、精神が自分に戻ってくるような安堵感や快感。パニックから生還する経験を何度も味わえたというのは剣道の一番の収穫だったように思います。

 

後年にドラマ『半沢直樹』の中で、ストレスがたまった時にとことん剣道で打ち合いをするシーンがありました。怒りに任せて竹刀を振ることもあったのですが、練習後に正座をして、防具を外し、すっきりした顔を見せた時、「あ~~、わかる、わかる。」と共感できたのも、授業の収穫と言えるかもしれません。

 

となれば、少しは剣道で身に着いたこともあると言っていいのかな?

 

あ、それともう一つ。頭から流れるほど汗が出る時に、手ぬぐいやタオルを頭に巻きつけるのが手際よくできるのも収穫だったと記しておきます。