tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

映画4.“ I am a human being !” 初めて涙した映画

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“I am not an animal. I am a human being !”

「私は動物ではない。私は人間だ!」

映画「エレファントマン」(1981年)の中のセリフです。私はこの時、初めて映画館で涙が流れました。涙が頬を伝うその暖かさに驚いて、泣いているのに気がついたのです。

 

 映画は、19世紀末、ロンドンで実在した青年メリックの生涯に基づいた作品。病気のため、全身に極度の変形があり、不遇な人生を送ります。見世物小屋で「エレファントマン」として好奇の目を集めていたのですが、一人の医師の目に止まり、研究対象として病院に引き取られます。その後、メリックが、知能と誠実さを持って生きていたことがわかり、医師はメリックを人間として向き合い、人々に紹介していくようになります。しかし、社会と繋がりを持ち始めたメリックに対し、周囲は、同情と好奇心の対象としてしか見ず、メリックは孤立感を一層深めていくことになるのです。

 

街中で見つかったメッリクは、好奇心によって膨れ上がった群衆に追いかけられます。歩くのも大変な中で、メリックは群衆から逃げ隠れるのですが、遂に見つけられてしまいます。

“I am not an animal. I am a human being !”

この台詞は、そこで発せられました。私はそのシーンを「そんなに大勢で、そこまでを追い詰めなくてもいいだろう。」と悲痛な思いで観ていたのですが、押し寄せる群衆に対して、メリックはたった一人でそれを叫んだのです。それを聞いて気がつけば涙が流れていました。メリックを好奇の目で追いかける群衆と、意を決して“I am a human being !”と叫んだメリック。人間らしいのはどちらなのか。そんな怒りにも似た感情でした。

 

この作品も続けざまに2度観ました。でも、2度目に観た時も、同じ場面で涙が出たのを覚えています。映画館を出た後も「人間て何だろう?」という疑問は消えることはなく、今でもそれを考えることがあります。人間らしさを考える時、その原点の一つはこの映画にあるように思うのです。

 

 

ところで、その年の高校の文化祭では、クラスのテーマが「人間」になったと思います。私はこれしかない、という感じで「エレファントマン」の映画パンフをお手本に鉛筆画にしました。しかし、その絵はクラスで用意していた他の展示品とあまりにも趣が違っている気がして、提出に気後れしていました。すると、一人の友人に見つけられ、「これはすごい!」と持って行かれたように思います。正直なところ、場違いな作品に思えて、片づけようかなと思いかけていたので、何だか救われた気がしました。

 

「エレファントマン」の映画のように、遠慮や気後れ、引け目、負い目で、自分を隠そうとしてしまうこって、意外とあるものです。でも、伝わる人には伝わるのだと思えたのは、その時の友人のおかげかも知れません。このブログも、あの時の鉛筆画とどこか共通している気がします。もう35年以上前の話なのに、何がどこにつながっているのか、不思議なものですね。