tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

授業32.『羅生門』(芥川龍之介)の善悪を判断する意志

芥川龍之介の『羅生門』は高1の現代国語の教科書に載っていました。

高校の現代国語の教科書

芥川龍之介は短編小説も多く、ショートショートの主な舞台であるSFとは一味違う、親しみやすさや、奥深さ、人間の葛藤を味わえます。

 

このブログでも以前『蜜柑』(リンク先は青空文庫)を取り上げました。

短い話であるが、この話をどう受け止めると良いのか今も謎のままだ。ただ私にとって、忘れ得ない話となっている。

 

羅生門』も同じで、正直なところ、どう受け止めればいいのかよくわかりませんが、心に引っかかり続けています。

青空文庫羅生門』(新字新仮名)のリンクを貼っておきます。

www.aozora.gr.jp

羅生門 イメージ

<以下、ネタバレ注意>

羅生門』の要約です。

「ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。」

から始まります。

下人は、この後の行く先も、生き方も決めかね、「盗人になるよりほかに仕方がない」という結論を出す勇気も持てずにいたところ、門の上の楼に続く梯子を見つけ、上り始めるのです。

途中で、上には誰かが火を灯して動いているのがわかり、下人は足を止め様子をうかがいいます。火に照らされて、幾つかの死骸があり、その中にうずくまった老婆が、死骸から髪の毛を抜いているを見つけます。下人はそれを許せぬと思い、逃げる老婆に詰め寄り、刀で脅します。老婆は、鬘(かずら=頭につけるかつら)にするつもりだったと答え、続いて、そうするしか仕方がなかった理由を述べるのです。

下人は、それを聞いて、老婆から着物を剥ぎ取って、闇の中に消えるのでした。

読み返して、「それを勇気と言えるのか?」との疑問が湧きました。

「勇気っていうのは、正しいと思うことを貫くことだぞ。悪いと思ってやることは勇気ではない。」

と、以前に書いた通りです。

 

でも、この話の肝心なところは、下人の心の揺らぎでしょう。当初、老婆の行為を許せぬと詰め寄ったにもかかわらず、老婆の話を聞いて、盗人になる決意をする。それを、わかるような、わかってはいけないような心の揺らぎが、読み手の中に生じるのです。「あなたは、この者を許せるのか」と読者は問われ、下人と同じ心境に落とされる仕組みです。

 

ただし、実はこの仕組みはまやかしであって、結局のところ、老婆が何を答えていようと、下人には無関係です。芥川が仕掛けたのは、「この者を許せるか」と見せかけつつ、「人の言動に左右されずに、善悪を判断する意志」の問いだと思います。そして、その意志を維持する難しさを、揺れ動く下人の心で描いたのでしょう。

 

人の言動に左右されずに、善悪を判断する意志を持つのは、本当に難しいと思います。『羅生門』では、下人と老婆に圧倒的な力(腕力や武力)の差があったにも関わらず、老婆の言葉に大きな影響を受けてしまいます。腕力や武力では、自身の心の奥底に忍び寄る誘惑には太刀打ちできないのでしょう。

 

羅生門』の最後の一文は「下人の行方は、誰も知らない。」です。

何だか、「もしかしたら、その行き先は、読者の心の奥底かも知れない。」と言われている気がして、ぞわりとしてしまいます。

 

 

 

あと2記事。