tn198403s 高校時代blog

「人生に無意味な時間は無い。ただ、その時間の意味を感じることなく生きているだけである。」この言葉を確かめてみようと、徒然なるまま、私の高校時代(1984.03卒業)の意味を振り返り綴るブログです。

高校のスキマの時間にしたことは

用事が一段落ついて、次の予定まで数分。別の何かを始めるには時間不足。かと言って予定を早めようにも、こちらに何かをできることもなく、ただ待つしか無い。しかも話し相手になる人もいない。そんなスキマの時間。

 

今の時代なら、多くの人が専らスマホを操作するのだろうが、何しろ40年前である。スマホはもちろん、ポケベルもまだ普及していなかった時代。列車の発車時間だったり、誰かとの待ち合わせだったり、授業前だったりの一人でいる数分の間に、スマホではなくて何をしていたか、思い出せる、あるいは考えつくだろうか。

 

高校時代、始業時間になってもまだ先生が来ない数分間の話である。教室なら一人ではないので、友だちと雑談することもできるのだが、当時は始業時間になるとみんな黙って席についていたように記憶している。とりわけ、まだクラスの中に親しい人がいなかった高1の頃は、しんと静まって、それぞれ教科書を読んだり、問題を解いたりと自習をしている風を装っていた記憶がある。この記事は授業開始までのわずかな時間に何をしていたか、という話である。

 

私は、結構この時間が好きだった。多分、他の生徒も同じだと思う。本当に自習をしていたこともあるが、記憶しているのは、自習以外の事の方が圧倒的に多い。

 

その時間、これまでの記事で紹介した迷路や、ショートショート豆本がクラスメイトの中で活躍したこともある。少し離れた席で、それを手にした友人の反応が気になって、ちらちら見ていたことも憶えている。紙切れ一枚の迷路や、手のひらに隠れる豆本サイズにしたのも、「自習や勉強の振り」に都合がいいからだ。

 

短編小説作りや、新たなパズル制作をしたこともある。教科書にイラストを描いたり、落書きをしたりもある。当時の国語の教科書にそれを発見した。ああそうだったと思い出す一方で、こんなの描いたっけ?と思い出せないものもある。紹介するのに気後れする作品も多いが、無難そうなのを一つだけ選んでみた。もっとも、スキマの時間ではなく、授業中に堂々と描いていた可能性も否定できない。

高1の教科書に描いていたイラスト

その他、考え事に耽ることも多かった。今思うと、その考え事が存外、貴重な時間だった気がする。

 

と、この記事のほとんどは、今日、父の病院に付き添って往復する際、列車に乗っている間にスマホで入力したものである。実は、別の記事も作成中。今日は予定が多いので「平和と沈黙シリーズ」はお休みにして、ほとんどを列車で作成した2記事を投稿することにすることにした。

 

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先に投稿したこちらの記事は、結構書き直した。

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今書いているこの記事は、教科書に描いたイラストを選び、汚れなど消す加工等に時間がかかってしまった。それでも、ともかく投稿しておく。

 

 

あと3記事。